「英雄世に好まれず」英雄の証明 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
英雄世に好まれず
ある善行をした男が疑惑やSNSにより歯車が狂っていく…というのが大まかな話だが、まず驚いたのは、借金の罪で投獄。
日本には勿論無いが、アメリカやイギリスにはその昔あったという。債務者監獄というらしい。
初めて知った。改めて、日本に生まれて良かった…。しかし、主人公が置かれた状況はどの国でも、私たちのすぐ身近や自身にも起こりうるもの。
始まりはほんの些細な事。それがきっかけとなって、取り返しの付かない事態へと陥っていく。
『別離』『ある過去の行方』『セールスマン』…。
それらで見せた手腕を本作でも発揮。アスガー・ファルハディの語り口、見せ方は相変わらず巧い。
元妻の兄からの借金を返せず、収監の身のラヒム。
2日間の特別休暇が与えられ、借金を返そうとする。
当てがあった。婚約者がバッグを拾い、その中に17枚の金貨が。
これを換金し、借金返済に当てる。…が、思ってたより値が付かず。
ラヒムは罪悪感も感じていた。拾ったものをクスねるなんて、盗っ人と同じ。落とし主は困っているに違いない。
悩みに悩んで、落とし主に返す事にした。
僅かな手掛かりを頼りに落とし主を探し、見つけ出した。その女性は、夫が浪費癖故なかなか名乗り出る事が出来なかったという。
この事がニュースやSNSで取り上げられ、ラヒムは“正直者の囚人”と喝采を浴びる。
刑務所上層部や慈善団体の耳にも入り、寄付金が募られ、借金も返せそう。
…と、ここまでは上り坂。突然訪れた好機。
だが、危機も突然訪れる。
あっという間に下り坂へ…。
事実確認やバッグを拾った時の説明。
そもそも、バッグを拾ったのはラヒム本人じゃない。
が、バッグを拾った事になっている。その状況を実際にあったかのように説明。
ラヒムはちょいちょい小さな嘘を付く。婚約者を妻と言ったり。
小さな嘘かもしれないが、それが徐々に誤解を招く。
バッグを拾った時の再現なんて、もはや嘘ではなく、でっち上げ。
彼の善行は人々の喝采を呼び、彼の吃音症の息子のスピーチも感動を。
まさに時の人。誰もが彼を称える。
そんな時必ず現れる“アンチ派”。
ラヒムの借金相手である義兄。
いくら寄付金を募っても、返済の半分にも満たない。皆、彼の行いをもてはやしているだけ。どんなに称賛を浴びようが、罪人は罪人。
辛辣だが、この義兄の言い分も一理ある。
SNS上でも悪意あるコメントがちらつき始める。
身から出た錆。ラヒムの“嘘”でボロが出始めたのもこの頃。
実際ラヒム自身はバックを拾っていない。あたかも全て自分の功績のように。
事実確認取れたらどれもすぐ分かる事。なのに何故、“嘘”を付いたのか…?
これが問題視され、内定していた就職も取り消し。寄付金も保留。
団体は信用の問題になると激昂。
家族からも厳しい声。
ラヒムは婚約者を落とし主に仕立てて裏付けしようとまでする。
もうここまで来ると、醜態。悪あがき。
本当は詐欺師ではないのか…?
本当に落とし主にバックを返したのか…?
そんな悪い噂のメールを流したのは義兄に違いないと詰め寄る。
カッとなってしまい、暴行。さらにこの様を、義兄の娘が動画に録画し…。
嘘、疑惑、暴行…。“正直者の囚人”から“ペテン師”呼ばわり。
刑務所上層部からの名誉挽回の提案。本当の事を打ち明け、息子のコメントも撮って世間の感動と同情を買おうとする。
が、緊張で上手く喋れない息子がさらし者になると、これを拒否。
口論となり、またしてもラヒムは暴力を振るってしまう…。
ラストシーンは残りの刑期を終える為、再び刑務所に戻っていくラヒム。
人生に希望を見出だせたかと思いきや、瞬く間に閉ざされた。
元々の借金罪や嘘で自業自得とは言え、物悲しい。
特別休暇でシャバに出ず、刑務所にずっと居た方が何も荒事起きなかったのでは…?
皮肉的にもそう感じた。
彼一人が悪い訳じゃない。
持ち上げる者、利用しようとする者、食い物にしようとする者…。
SNSでの悪質コメントも質が悪いが、表立って何か思惑持って近付く方も同罪。
そんな思惑と、SNSの誹謗中傷という“現代の魔女狩り”が、一人の人間の全てをいとも簡単に狂わす。
彼は、善人か、詐欺師か。
…だけではなく、
ラヒム本人や関わった者全員に問いたい。
これは、善意か、偽善か。悪意か、悲劇か。
アスガー・ファルハディはまたしても見る者の倫理観を揺さぶる。
日本でも1980年に一億円の入った風呂敷包みを拾った男性がいた。
時の人となり、TVにも引っ張りだこ。落とし主が現れなかった為、一億円はその男性に…。
棚からぼた餅どころか棚から高級スイーツなくらいの有名逸話だが、やはり色々あったという…。
嫌がらせ、脅迫…。
80年当時でもこれ。SNS社会の今だったら…? 考えただけでもゾッとする。
人の善行が癪に触るのか、妬ましいのか、大金に目が眩むのか。
人のやる事は昔からそう変わっていない。
何だか虚しく、情けない。