「描写が“省略”された部分の解釈次第で、ラヒムの人間像が変わってくる。同情すべき人間なのか些か軽率な人間なのか。“社会”の不条理ではなく“人間”の不条理を描いた映画では?」英雄の証明 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
描写が“省略”された部分の解釈次第で、ラヒムの人間像が変わってくる。同情すべき人間なのか些か軽率な人間なのか。“社会”の不条理ではなく“人間”の不条理を描いた映画では?
①『英雄の証明』というから戦争映画だと思いました。②私は殆んど法律の知識はないけれども、イランでは求償権を基に告訴出来て敗訴になったら刑務所行き(?)、服役中に休暇が取れて外出できるの?、床にご飯とおかずを並べて家族で座りながらご飯食べるのもなかなか良いなあ、イランの商店街も日本とあまり変わんないじゃん、イランは落とし物は警察に届けないの?と映画自体より先ずはイランの社会・風俗の方に興味を惹かれました。③ラヒムは休暇で刑務所から出られてホントに嬉しそう。顔が始終にやけてます。本当に刑務所イヤなんだな(当たり前か?)。(或いは休暇中に告訴を取り消してもらえると期待をしていたのか)本人は刑務所から出たくて出たくて堪らない。ファルコンデがアパートの最上階から階段をかけ下りてくるカット。ファルコンデの早くラヒムに早く逢いたいという想いがひしひしと伝わってくる。ファルコンデもラヒムに早く刑務所から出てもらって結婚したい。ラヒムのお姉さんもその旦那も勿論早くラヒムに刑務所を出まてもらいたい。それは自然な感情で勿論共感出来るのだけれども、その強すぎる思いが後に逆に彼らを不利な状況を陥れてしまいます。④刑務所を出てすぐ遺跡発掘をしている義兄を尋ね、「借金の半分は返せる目処が付いたから、残りは働いて返す」と原告(元妻の兄)に取りついで欲しいと頼む。後になって原告から「刑務所からメールで「借金の半分の目処が付いたから休暇中に話がしたい」と連絡してきたとの証言が出てくる(刑務所からメールしてはいけないのに)。既にこの時点でファルコンデから金貨(借金の半分相当?)を拾ったと聞いていたのだろう(ここも省略)。“英雄”と呼ばれるに値する人ならこの時点で「警察に届けよう」とか「落とし主を探そう」とかなるんだけど、刑務所から早く出たい(出したい)二人はその金貨を借金の返済に当てようと考えてしまう。二人の切羽詰まった心境を考慮したり(後であんなことになるとは予想も出来なかっただろうし)、自分が同じ立場だったらどうしたかキッパリ言える自信がないので二人をjudge出来ないけれども“筋を通す”という観点からするとこの時点で間違っている。⑤一旦は金貨をお金に換えようとする二人だが、代わりにラヒムは銀行に行きバッグを落としたと言って来た人はいないかと訊く(くどいがイランでは警察に行かないの?)⑥何故一転してバッグの落とし主を探すことにしたのか。ラヒムとファルコンデとの話し合いの様子が“省略”されている。何故したか後で二人から証言が出てくるが何処まで本当かわからない。何故拾い主を実際に拾ったファルコンデてはなくラヒムにしたのか?(事実隠蔽してるよね?)何故張り紙という方法で落とし主を探すことにしたのか?連絡先を姉の家ではなく刑務所にしたのか(刑務所の番号は教えないでと言われていたのに…ここでも約束違反をしている)。美談を捏造したと後で疑われても仕方がなく倫理的に言っても正しくない行動をしている。⑦