「前提としてある程度の知識が必要だけど、キラリと光る良い作品(補足入れてます)。」英雄の証明 yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
前提としてある程度の知識が必要だけど、キラリと光る良い作品(補足入れてます)。
今年97本目(合計370本目/今月(2022年4月度)7本目)。
ということで、イランの映画です。今年では「白い牛のバラッド」以来でしょうか?
日本からみて、お隣韓国や台湾(便宜上の国扱い)や、メジャーなアメリカ等とは全然違うイランのお話なので、法律ワードはそこそことんでくるし、本質論的にはそれらが見え隠れしているのですが、日本からでは(行政書士など資格を持っていても)まぁ理解ができないところです。法律ワードなどとんでくるのも、固有名詞で見たほうが良いくらいです。
他の方も書かれている通り、日本や韓国などと違い、債権債務の問題でトラブルになると、民事の問題になりますが、ここで刑務所に入れられる(ただ、描写的にはいわゆる刑務所というより、日本でいうところの「社会復帰センター」というような軽い扱いにも見える)ところがそもそも違います(よって、刑務所からの社会復帰デーか何か、定期的に外に出ている描写があるのも、いわゆる純粋たる刑務所ではない、ということなのでしょう)。
主人公は善意で(ここでは、通常の意味)金貨の入ったバッグを拾得してしまうのですが、それを公的機関に預けたところよからぬトラブルに巻き込まれる…というお話。
そして、意外なことに「善意」(ここでは法律用語。「知らないこと」を意味する)の証明って難しいんですよね。「悪意」(ここも法律用語。「知っている」こと)の証明は簡単なのですが、「善意」や「善意無過失」(知らず、過失もないこと)の証明って日本でもイランでもどこでも難しいんです。
意外だったのが、スマホやSNSといった語が出るあたりからすると、少なくとも2015年~くらいからの作成と考えられるところ、規制が比較的厳しいと思われるイランにもSNS(まぁ、ツイッターのような公的なものから、それこそ「イラン製・イランの「大本営」が作った」SNSかは知りませんが…)ってあるんですね…。アラビア・イスラム系の国の中では比較的規制が厳しいほうなので(逆に宗教と文化を切り離しているのが、トルコ等)、ここは驚きです。
そして、誰のものかもわからない金貨をめぐって、自分が所有者だのこっちの借金を返せだの、金貨の存在自体がウソの話だの何だのという面倒くさい話に巻き込まれるのですが…。おっと、ここはネタバレですね。4月1週の中では本命以上に推せると思います。
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(減点0.2) 上記の通りイランの映画という事情もあって、大半(ごくごく一部、フランス語が出てくる)、アラビア語か何かの看板やらが出てくるのですが、まるで翻訳なし…。まぁ、上記にも書いている通り、主人公の「移動範囲」が結構広いので(刑務所といっても、そんなに拘束度が高くない模様)、どこか街の中やらタクシーやら移動しますが、まるで看板がない状況…。もっとも、何も書いていないということは、どうせ「肉屋」だの「魚屋」だのなのだろうと思いますが(あるいは、壁の落書きなどは、どうせ「イスラム教を信仰しましょう!」とかのいたずら書き?)、もう少し字幕に工夫が欲しかったです。
※ エンディングロールも同じで、延々とアラビア語(読みようがない…)が出たあと、フランス語でちらっと権利関係が出てきておしまいという、「英語からの推測が大半何もきかない」という珍しい映画です。
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▼ 主人公は何をすべきだったのか(ひとつの考察。日本の法律基準で)
・ このようなことは日本でも起きえますから、行政書士資格持ちとして気になった点書いておきます。
・ 金貨の袋を拾う
→ 映画内では、警察(日本では、遺失物法では警察か管理施設に届け出るのがルール)でもない「変な場所」(まぁ、公共施設とは言えますが)に届けていますが、日本では「その変な場所」に行ってもダメです(届け出るだけ無駄)。
・ 借金取りが何とかどうとか
→ 借りたお金は返さないとまずいですが、債権者が特定できない、行方不明など「返したくでも返せない」場合、「供託」という制度があります(民法の「弁済」のところで習います)。本映画はここがポイントで、正直「どっかの供託所に供託してあるんだから取りに来い」で一瞬で終わりなのですが、イランに供託所(に相当する公的機関。日本では法務省が管轄)があるかどうかは怪しいです。
・ (振り返って、再び)金貨の袋を拾う
→ (日本では)遺失物法の扱いですが、より広く一般法でいう民法では、「事務管理」の扱いです(義務なく、他人のために何かをする行為一般。落とし物や、よくある、突然倒れている人に声をかけて救急車を呼ぶなども、広くはこれです)。この「事務管理」は日本では「助け合いの精神」のもと定められているので、「義務は多い」(最も本人のためになるように対応しなきゃいけない、勝手に中断しちゃいけない)ものの「権利は少ない」(費用は本人に請求できるが、報酬は原則請求できない。遺失物法などは特則)という、まさに日本の「助け合いの精神」のもとで成り立っている、債権編の最後のほう(親族相続に入る直前のところ)で学習するお話です。
ここでも書いた通り、「一度着手するとやめられない」のであり、逆に言えば「自分に関係がなければ、着手しない限り放置するのも自由」なので(もちろん、自動車ではねちゃったというような場合は、これとは別に救護義務はあるので注意)、実は日本の事務管理のルールは「義務は多いが権利はほとんどない」ので、やらないほうがマシな部分もあったりします(もちろん、それと助け合いの精神の話とは別)。
※ 国によっては、日本の事務管理(助け合いの精神)が義務として定められているところもありうるので、一概に言えません。