TITANE チタンのレビュー・感想・評価
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グロを通り越した先に皮肉とユーモアが
子供の頃交通事故に遭い、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれた少女が成長し、なぜか車に性欲を感じる奇妙で凶暴な人間へと変貌する。デヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』を過激にアップデートしたような話だが、物語はさらにアクセル全開に。犯罪者として逃亡中のヒロインは10年前に失踪した息子の帰還を待つ孤独な消防士の前に息子を装い現れ、彼の懐に潜り込む。
人間が持つ肉体の常識をことごとく打ち砕き、観客を道連れに暴走するような映画に、カンヌはパルムドールを与えた。確かに、人を選ぶ映画かもしれない。しかし、グロテスクな描写が続いた後に訪れる不思議な感動は、今年唯一無二のもの。そして、何よりもグロを通り越した先に痛烈な皮肉とユーモアがある。特に、青年の形をした主人公が突然ストリップショーを始めると、それを見ていたマッチョな消防士たちがモジモジし始めるシーンは笑える。
とにかく、全編が想定外の展開と衝撃と笑いで構成されていて、息つく暇もない。前衛的でありながらロマンチック。ファッションに例えるなら、かつて一世を風靡した"フレンチ・パンク"の復活と言えるだろうか。
私は一体、何を見たのだろうか?
“怪作”とは正にこのこと!
スクリーンに映し出させる衝撃の数々に、最後まで目が釘付けだった。そういう意味では、圧巻の一作であると言える。
しかし、あまりにも常軌を逸した一作である為、一般的な観客とシネフィルとでは賛否が極端に分かれるだろう(実際、エンドロールと同時にまるで早くこの空間から立ち去りたいかの如く、そそくさと席を立つ観客がチラホラ居たし、上映後言葉を失い無言で俯いて劇場を後にする人も居た)。
正直、私にもキャパオーバーな作品だった。
観終わった後も、作中に登場する様々な要素は、一体何についてのメタファーなのかと思考を巡らし続け、自分には合わなかった作品であるにも関わらず、少しでもこの作品を理解したい一心でパンフレットも購入してしまった。見方によれば、もしかしたら私は非常に幸福な映画体験をしたのかもしれない。
先ず、タイトルの『TITANE』とは、神話に登場する巨神タイタンの事なのかと考えた(事実、パンフレットの解説でも筆者が同様の考察を披露している)。何故なら、主人公アレクシアの頭に埋め込まれたチタンプレートに、“設定”以上の特別な意味を、鑑賞中見出せなかったからだ。
だから、頭に埋め込まれたチタンプレートによって、彼女は鉄と自動車に異常な執着心を示すように変貌するが、この様子が彼女が人間を超越した所謂“神”と呼ばれる存在へと昇華した事を指しているのかと考えることにしたのだ。鑑賞し終えた今、改めて考えを整理してみると、この推察は強ち間違いでは無かったのかもしれないと思う。
こういった具合に、作中で描かれた出来事についてパンフレットで示されたヒントを頼りに、順を追って考察していこうと思う。
序盤、炎が描かれたキャデラックとアレクシアが交わるシーン。鑑賞後もずっと、「車は男性を象徴しており、アレクシアはレイプされたという比喩なのではないか?直前に殺害したストーカー紛いの男性に、実際はあの後レイプされていて、その後の妊娠は彼が原因なのではないか?」と勘繰った。だが、パンフレットを読んだことで、あれは作中で実際に起こった出来事なのだと知り驚いた。そして、自分が如何に自らの常識の範疇にこの作品を収めようと必死だったのかを痛感させられもした。
もう一度言うが、この作品は常軌を逸している。“普通”や“リアリティ”なんて価値観は、この作品の前では悉く瓦解するのだ。
イベントで知り合ったダンサーのシェアハウスでの一連の殺戮シーンは、引き金となったのがセックスであることから「彼女は他者から求められる事に対して酷い嫌悪感を抱いており、その怒りの発露が殺人なのか?」と考えた。イベントでサインを求められた際も、ストーカー紛いのファンに言い寄られた際も、彼女からは気怠げな印象を受けた。“アンタ達が私を求めても、私はそれに答えるつもりはない。”という拒絶の意志の現れが、すなわち殺人なのだと思った。
実際、彼女は愛を知らない孤独な女性なのだろう。冒頭の自動車事故直前の車内での父親とのやり取りからも、親子間のコミュニケーション不全を疑った。
自宅のガレージにて殺戮の証拠を隠滅する為に火をつけた際、偶然家ごと燃えることを確信した彼女は、両親の寝室の鍵を閉めて彼らも葬り去る。指名手配され、空港で失踪者になりすます事を画策し、自らの顔を作り変えるシーンは実に痛々しい。あれだけの大虐殺を繰り広げておきながら、捕まることに対する恐怖心はあるというのが人間の身勝手なエゴを感じさせる。
見事、失踪した息子になりすます事に成功し、消防士のヴィンセントに保護されるアレクシア。しかし、喜びも束の間、彼女の身体は妊娠という確実な変容を遂げつつあり、それをひた隠して生活しなければならない。映像を見るだけでは、殺人者が逃亡の為に正体を隠すことに必死な哀れな姿にしか映らない。だが、アレクシアが女性である事を隠さなければならない姿は、現実で女性が女性としての役割を押し付けられる事に対する抵抗の姿勢にも映る。
後日、ヴィンセントに連れられ新米消防隊員として現場に入ることになるアレクシア。隊長とはいえ、一個人の決定で消防隊員という過酷な職業にアッサリと就けてしまう事は疑問だが、常識は通じないのだと無理矢理言い聞かせて進めることにする(笑)
案の定、部下達の中にはアレクシアの存在に疑問を抱く者も居る。しかし、部下からの進言に、ヴィンセントは頑なに耳を貸そうとしない。後述するが、ヴィンセントは既にアレクシアが息子ではないと気付いていたのではないか?そう感じずにはいられない。
部下から疑いの目を向けられつつも、アレクシアは次第にヴィンセントとの親子関係や消防隊員としての業務に溶け込んでいく。しかし、そうしている中でも、彼女の子宮では確実に新しい命が育ち続けている。乳房から腹部に空いた穴から、シャワーの際に足下を流れる水に至るまで、彼女の身体から黒い油が流れ出るシーンはどれも印象的。本来ならそこには夥しい量の血液が流れるはずだが、真っ黒な油がそれに代わるというのは、生々しさやグロテスクさ、痛々しさを感じさせず、上手い手法だと思ったしアートだと感じた。
そうした日々を過ごす中で、遂にヴィンセントは、浴室でアレクシアの膨れ上がった腹部と女性の乳房を目にしてしまう。しかし、彼は「お前が何者であろうとも、俺の息子だ」と、それすらも受け入れ、彼女を受け止める。“無償の愛”と言えば聞こえがいいかもしれないが、私はそこに堪らない“人間の弱さ”を感じずにはいられなかった。これについてはまた別に後述する。
余談だが、偶然にも前日に鑑賞した『ベルファスト』のとある台詞が頭をよぎる。
“愛の奥底には、憐憫がある”
消防隊員達と音楽に合わせてモッシュピットに参加するアレクシア。波から弾き出され、消防車の上でかつての自分のように官能的なダンスを披露するが、不思議と以前イベント会場で踊っていた時より、生き生きとした印象を受ける。こちら側にこれまでのヴィンセントとの日々の積み重ねの記憶があるからだろうか。
呆気に取られる消防隊員達の前にヴィンセントもやって来て、遂に彼はあれだけ否定し続けたアレクシアの正体、女性であることを受け入れずにはいられなくなる。
堪らず自宅にて焼身自殺を図りそうになるが、間一髪の所で正気を取り戻す。
そんな中、アレクシアは遂に出産の時を迎え、苦しみながらヴィンセントの居る自宅へと這い戻る。ベッドに横たわる彼に向けて放たれた「愛してる」の一言に、男女の色恋ではなく純粋な相手への感謝と好意のみが感じられる。慌ててその場から立ち去ろうとするヴィンセントに、アレクシアは「見捨てないで」と縋り付く。彼女の様子を見て事態を理解した彼は、出産の手助けをし、背骨が鉄で出来た特異な赤子を取り出す。出産により息を引き取るアレクシアと、再び取り残されたヴィンセント。愛を知らず孤独だった女性と、愛する相手を失い愛する相手を求めた孤独な男性の奇妙な共同生活は、こうして幕を閉じる。しかし、彼の元には生まれたばかりの新しい命がある。ラスト、赤子を優しく抱き抱えながらヴィンセントが溢す「俺がついてる」という一言は、新たな物語の幕開けなのだ。どうか彼が救われていてほしいと願うばかりの締めだった。
全編通して、アレクシア役のアガト・ルセルの体当たりな熱演が光る。官能的なダンスシーンからヌード、殺人の狂気、逃亡中の泳ぐ視線、ヴィンセントとの奇妙な親子生活の中で次第に心開いていく過程と、これが映画初主演とはとても思えない。彼女の熱演があったからこそ、私は最後までスクリーンに釘付けにされたのだろう。
ヴィンセント役のヴァンサン・ランドンの、アレクシアを息子だと信じたいが故の話の通じない何処か狂気じみた印象を与える演技も印象的だ。
警察署の面通しで初めてアレクシアを見た瞬間、実は目の前に居る人物が息子ではないと気付いていたのではないか?と今でも思ってしまう。DNA鑑定を拒否し、「一目見れば分かる」と言い放つその姿に、早く長きに渡る孤独を終わらせたいという意志を感じた。それは、目の前に居る相手が誰であれ、信じたいものを盲目的に信じ安心しようとする、人間の弱さの発露に他ならないと感じられたからだ。実際は、共同生活の中で次第に違和感に気付きつつも、頑なにそれを受け入れようとしなかっただけなのかもしれない。しかし、私には彼がアレクシアという特異な存在を一目見た瞬間、一種の神に縋り付いたかのようにも思えた。
作中、彼は消防隊員たちに「私が神だ。ならば息子はイエス・キリストだ。」と語る。しかし、実際には彼こそが、神に縋りつく信者に他ならないのではないか。
ラストでアレクシアの子供を抱き抱えた瞬間の彼の姿は、優しき偉大なる父としての神というより、新しい命の誕生によって再び生きる目的を取り戻し救われたようにも見えた。
だからこそ、私はこの作品に温もりというものをあまり感じられなかった。監督曰く、これは「愛の誕生」の物語なのだそうだが、少なくとも私には、この作品からは「人は信じたいものを信じ、何かに縋り付かなければ生きていけない弱い生き物だ」というチタンプレートの如く冷たい鉄のような情感を感じた。アレクシアとヴィンセントの擬似親子関係は、互いに欠落した何かを求め、埋め合わせ続ける“依存”のように映ったのだ。
これだけの文章を書いたが、最初に書いたように、私にはキャパオーバーな作品なのは間違いない。今作を決して「面白い」だとか「素晴らしい」だとか言う言葉で形容するつもりは無いし、気軽に人には薦められない。作品としての点数も低めだ。しかし、鑑賞し終わった後もこれだけ思考を巡らせ、作品の本質について手を伸ばさずにはいられないということは、貴重な映画体験をした事には違いない。
何より、監督の次回作に対する興味関心の気持ちが芽生えている自分が居る。悔しいが、この監督を追わずにはいられそうにない。
衝撃は受けたが、わかりづらく面白くはない
他レビュー見て知ったけど、車とのセックス〜?全然わからんかった。
まずこのコ、車に執着がそんなに強かったの?幼いときに車内でブーンって口ずさんだり、新車にキスをするってだけで、普通の車好きの域内な描き方だけで全然伝わってこない。車がガンガン揺れてて、殺したはずの男が生きててレイプされた、とずーと思ってた。なので、なぜこんなに早い期間でお腹膨れるの?って終盤までずーと思ってた。
頭にチタンだから狂人になってしまったかもしれないのはわかるが、連続殺人を始めるタイミングがまたわからん。事故後〜結構、歳とってからいきなり?今までも殺ってたかもしれないが、それなら死体処理や証拠隠滅等、周到にしてきたはずだが、そんな計画性はないキャラ付けだし、これも?しかも複数人のパーティ中に、ここらへんでほぼ興味が失せた。
途中、黒い母乳が出たところで「これダークファンタジーなんだ。何でもありのやつねっ」と思って、ちょっと興味復活。
正体バレた消防士や隊長の奥さんも殺るのかなって思ってたら、それはスルー。
必死こいて鼻ぶつけたり、腹巻きしてバレないようにしてんのに、消防車上で、みんなの前で女性妖艶ダンスするという矛盾。
序盤からのこんな風なので倍速再生が1.25→1.5→2倍速と加速していった。
良かった点はこの作品が某国映画祭の最優秀賞を取ってたと知ったこと。多様性があるのは、とても良いことだと思う。
かなりのクセ映画
好みが分かれそうです。エロ・グロあり!
車の子を妊娠、身元を偽って潜り込んだ職場のパーティーでのダンスシーンなど、ファンタジー要素が所々にあるものの、作品全体の色や雰囲気からはリアリティを感じるという不思議な作品でした。
ラスト、主人公の出産シーンでは赤ん坊の姿がしっかりと映されています。
どんな子どもが生まれるのかという期待感と、それを映画の最後にちゃんと見せてくれる点で「ローズマリーの赤ちゃん」を思い出しました。
なんとも、、、よくもこんな発想思いつくなあ
交通事故で頭にチタンを入れたアクレシア、彼女の体はどうなったのか?
海外の車の展示会?てあんななの?ダンサーが際どい衣装でセクシーダンス、サイン会?それ自体驚きだけど、アクレシアは事故後に車に異常なほどの興味を持ったとの事で、あえてこの仕事を選んだのか?そして車でのあの行為、どういう事?え?赤ちゃんのお父さんは車って事?ウーンすごい設定を思いついたものだ。
アクレシアの殺し方がとにかく酷い。髪飾り(お箸かな)の耳さしも痛いし、いすを口に押し込んでのぶっ差し、もうみているだけで痛い。自分で鼻を折る場面も、ちょっと痛々しくて、たまりません。
隊長もちょっと理解不能。自分の息子かどうか、わからないかな。途中からは気が付いたみたいだけど。
あんなに大きくなったお腹、晒しまいても誤魔化せないよね、普通は。
あまりにも突拍子もない話で、先が読めず、どういう結末になるかと結構楽しめた。
生まれてくる子はひょっとして車の形してるのか?とも思ったが、ちゃんと人間の形。でも背骨はチタン、いや〜隊長はあの赤ちゃんどうするんだろうか?
謎を残したまま終わった。ぶっ飛びすぎな映画でしたね。
見たことのないタイプの映画ではある
前半は車に性欲を感じるサイコパスの話だったが後半は異形の妊娠と(偽)親父との歪んだ生活の話。なかなか凄い話でした。見たことのないタイプの映画、ではありましたけどあんまりまとまりのない話になってしまいました。それなりに見応えはありました。パルムドールは突飛な映画に与えられる側面があるからなあ。
類まれな映画に遭遇
カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したからという理由で鑑賞したが、この内容が女性監督の作品であることに驚愕し、こういう作品に最高賞を与えるカンヌの懐の深さに敬服した。車と性的に交わるというシーン、全編にわたって頻出する痛みを感じるシーン、異常な衝動にかられた凄惨な殺人シーン、これらは脚本も担当したという女性監督の女性ならではの演出といえるのか。過去にデビット・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』が受賞した時も感じたことだが、カンヌの寛容さには度々恐れ入る。
主人公の女優はインスタグラムからスカウトされた新人で、この作品がデビュー作だという。この女優の存在感が凄い。幼少期に交通事故に遭い、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれる数奇な運命、それ以来、車に対して異常な執着心を抱くようになる、男たちを挑発するエロティックなダンサーとして登場したかと思えば、連続殺人事件を起こし、容姿を変えるため、髪を切り、さらしを巻いて、自分の鼻を壊して逃走する、行方不明者の息子になりすまして他人の家に潜伏して、最後は、背骨がチタンでできている子供を出産し、絶命する。主人公の壮絶な人生を全裸も厭わず見事に演じている。
カンヌ映画祭審査員長のスパイク・リーが「こんな映画、観たことない」と評したという。確かに、類似している映画はほかに見当たらない。私自身も、観たのはもう1年前だが、今でもインパクトのあるシーンの数々は残像のように目に焼き付いている。忘れられない1本である。
オチ、それ?
設定だけ。
ホラー? SF? ファミリー? コメディ?
事故って頭にチタン!
さあ、それからっ…どうなる!って期待したのに。
なりすまして、産んで、死んで…終了。
なんだこれ?!
最近、様々なサイトのレビューの高評価がとっても????
愛ってすごいな
ポスターのデザインがかっこよすぎて、予告もめちゃくちゃ面白そうだった上にパルムドールなので期待しかせずに鑑賞。
結果…「すごいもん観た」という感想に。
頭にチタンプレートが入ってるからちょっと普通の人とは違う後天性サイコパスみたいな感じだな…と思って観ていたけどだんだん様子がおかしくなっていくのが息子のフリをするあたりから…。
母親は一目見てすぐに違うとわかるくらいに別人だけど父は引き取りの時に「息子を見間違わない」と言ってたことを考えると父の心労、そしてところであのセックスの激しさ…私には車の方に意思があるように見えたよ)
ラストは感動した。
父、その子を頼みました。
どんどん消耗する。
子供の頃に後部座席で抑制が効かなくなった時点で病んでいたのだろう。話が進むにつれて容姿も環境もどんどん消耗する。ジェンダー不平等な描かれ方だし、救いようのない話だった。
変態なんて言葉で片付けられない
車とセックスする女がいるらしいぜ!
その程度の認識で観てしまったので、大変な目にあった。痛い。痛い痛い。ブラックエンジェルズの雪藤よろしく、とにかく痛い。前情報通りに主人公は車とセックスして、無事にご懐妊。出会う人を殺して殺して逃亡する。この荒唐無稽なストーリーを目の当たりにした人は、変態と評してしまっても仕方がない。でも、この作品を「変態監督が撮った変態映画」で済ましてしまうのは勿体無さすぎる。
無機質な鉄の塊が生命を生み、妖艶に女の性を全面に出して踊る主人公は、鼻を曲げ、髪を切り、サラシを巻いて男性として生きる。痛みが伝わる方法で人を殺しつつ、主題は出産で、主人公は処女懐胎したマリアであり、隊長=神の息子となりキリストに準えられる。
これらが比較的分かりやすく描かれ、性や生や聖をも超越した中で生まれるひとつの愛。誰からも教わったことがない愛の形だからこそ、嫌悪も賛辞も湧きあがるのだろう。異形の作品を変態と評するのは簡単だ。変態の向こう側に真の愛が見え隠れするはずだ(痛いけど)。
よくこんな話を考えつくなあ、と思うけれども、ちゃんと“映画”になっている事に感心。とてもイタくてクレージーな映画だけれどもラストは感動的ですらある。
①アレクシアがあまり喋らないキャラクターなのをはじめ(後半は尚更喋れないシチュエーションに陥るし)説明的な台詞は殆んどなく、映像で語る映画である。しかも、その映像がかなり予想外でインパクト大(強烈な映像を並べればそれで映画になるわけではありませんが)。②ショーの後、しつこくアレクシアに付きまとう男を、キスの最中に突然かんざし?を必殺仕置人みたいに耳から突き刺して殺す(“痛っ“)シーンに第一回目のビックリ。男は泡を吹きながら絶命するが、後で調べたら耳の奥は“脳幹”でそこを傷付けると呼吸とか基本的な生命維持活動が止まって死に至るとか、勉強になりました。③アレクシアの自動車と同化したい思い(“ブー”)、押さえつけようとするものへの反抗心(座席の背を蹴る)、縛っているものからの脱出(シートベルトを外す)は“チタン”を埋め込まれる前からのものであることを冒頭で描写している。(お父さん、運転中に余所見したら駄目だって!)④カー・ショーで一台の車(車のことは殆んど知らないので何という車か分かりません)の上でアレクシアがまるでその車とS⚪Xしているように踊る姿が実に官能的。その後、実際にその車と⚪E⚪するわけだから、あの踊りは車を勃⚪させるため?なお、後半でもアレクシアは消防車の上で呆気に取られる消防士仲間の前で官能的な踊りを踊り、その後で(恐らく)同じ消防車とS⚪Xする。ということは、あの踊りは前戯なのか?⑤これも後で調べたらチタン(合金)は脳外科手術でよく使われているそう(道理で映画の中で誰もアレクシアの頭を気にしていなかったのか)。合併症はあるらしいが精神的なものではないのでアレクシアの異常さは脳をチタンで覆ったためではないという事か。映画でもチタンに触れるのは冒頭の手術の時だけだし。あくまで尋常ではないアレクシアという女の頭の外科手術にチタンが使われていたので『TITANE』とした訳か。⑥32歳まで初潮が無かったということはアレクシアの体は普通に人間の子供を妊娠できる母体ではなかったということだろう。初めてお腹が“ピーッ”と鳴った後、パンティの陰部が汚れていたのでお漏らししたのか、と思ったが車のオイルだったんですね。あれが第2回目の驚き。⑦ショーのあとダンサー達がシャワーを浴びている時に、アレクシアの髪が隣の女の子の(乳首の?)ピアスに引っ掛かったので、アレクシアが「私が取ってあげるわ」と言って作業してる(“優しい子じゃないか”と思ったのに)最中に呼ばれて頭をあげたとたんにピアスが引っ張られたか取れたかして女の子は“イタッ”“痛いじゃないの!”“痛くてもいいって言ったじゃないの”みたいな会話になったように思う。そのあと二人で睦あっていてアレクシアが女の子の乳首を舐めた上に噛んでいる内にまるで噛みきろうとしたので、またまた“痛っ”。ついで家の中でその女の子もかんざしで耳を突き刺して殺すわけですが、、
パンクですね・・。
映画観たあとで、
ウマい晩飯食って帰ろうと思ってたのですが、
大幅に食欲減退しました。
エロもグロもあるんだけど、
それよりも主役の女優さんが終始嘔吐しまくってたので。
さらに言うと、
なんで頭に埋め込まれるのが”チタン”なのか?
車への偏愛というが、
それと”チタン”とどう関連があるのか?
なんでこの人、こんなに殺しまくるんですか?
そもそも両親は、
これらの理由を知っているはずだが、
何も語らないまま出番を終えてる。
父親は娘の術後医師に、
「頭のプレート(たぶんチタンのこと)は動かないのか?」
とたずねており、
それに対して
「衝撃を与えなければ大丈夫。」
と医師は回答。
その後主人公による一家惨殺のシーンで、
彼女は階段から転げ落ち、
頭部を強打しているのだが、
これが何か影響を与えたのか?
これらの謎の伏線回収がされてなくて、
これまた食欲減退の一因にもなりましたね。
最後のシーンは「やっぱりか」と容易に想像できたけど、
異種間恋愛がテーマなら、
何も殺人鬼にしなくてもいいだろうに。
最後に出てきた”それ”も、
やがて無慈悲な殺戮を繰り返すのか。
それこそが、
治療と称して彼女を改造した者たちの目的である!
・・・とでもいうのだろうか。
SF?ホラー?ギャグ?
笑えばいいのか、怖がればいいのか、
はたまた感動すればいいのだろうか。
いったいこの映画をどう楽しめばよかったのか・・・困惑。
すごかった
最初に駐車場でファンの男の耳にかんざしを刺して殺した後、特にうろたえもせず淡々と体を洗って死体を車に乗せていたのが謎だと思ったら、その前からとっくに何度もやっていた。とんでもないやつだった。
一軒家で殺人を行った後、どんどん人が出てきて全員殺そうとする。
消防士の隊長のお父さんを殺そうとしたけど、相手が本格的に格闘センスがあって鍛えている人だと通用しないところが面白い。
出産までの期間が早い気がする。かんざしを使って独自に中絶しようとする場面が怖い。お腹をやたらとかきむしるのも見ていて、いてててとなる。
鉄腕アトム
最初は物凄いテンポの良さとデスプルーフよろしくのダンスから始まり、ワクワク。途中からマークコールマンそっくりのジャンレノ風マッスルが出てきてこれはヤバいぞと思いながら見てましたよ。『運命は踊る』とか『ラブレス』とか、父子の在り方を問う擬似親子または親娘ものとして、鉄腕アトムに近いものかと思いながらみてました。クローネンバーグよろしく対物性愛のモチーフはまあオマケでいいんじゃないですかねくらいの。
あのおとっつぁん、あの冴えない警備員役で出てたおっさんと同じとは思えないマッスルで最後まで似てると思いつつ同一人物とは思えませんでしたわ。
あとガバの爆音でモッシュはちょっとギャスパーノエみたいでしたね。
なんかすごいものを観れるかもしれない、という期待
モーター、交通事故、手術、退院した少女、頭の傷、車に擦り寄ってキス、タイトル。成長した少女か、頭の傷。もうオープニングから引き込まれてしまう。
描写がなかなか痛々しく、画面から目を離したいが離すことができない。
逃亡するまでの前半は犯罪物みたいでテンポもよく引き込まれたが、キリスト教的なものもギリシャ神話もDNAに刷り込まれていない身にとっては、後半は少し置いていかれたか。見せたいのは後半なのだろうが。
チラチラとレビューをみて、なんかすごいものをみれるかもしれない、と期待して観に行ったので、ハードルを上げすぎてた。
平日の昼間の割に結構観客入ってた。みんな怖いもの見たさなんだな。
内容とは関係ないが、食べ物美味しくなさそうだし、街は汚いし、男はバカばっかりだし、今の若い人たちはフランスへの憧れなんてないだろうな。
天井桟敷の人々やパリのアメリカ人やアメリや、、、
高貴でお洒落でロマンチックで、みんなが憧れていたフランスが懐かしいな。
ここで終わるのか
面白いけど、だから何なのかっていう話なの。
監督の前作が《RAW〜少女のめざめ〜》と知って「それ系の映画かあ」と思うだけど、それ系ってなに系だろ。
主人公は頭にチタンを埋め込まれたおかげで、金属と愛し合うことができるようになったんだよね。
それで金属と人間のハーフを産むんだけど、それがどうしたのか。
転がり込んだお父さんはゲイだよね。それで近親相姦願望があるのかな。職場の若い人がパートナーの立場を奪われたから怒るっていう。
良く分からなかったけど、観てて飽きなかったらいいかな。
これぞ変態フランス映画
フランス映画は基本的に説明なし、つじつま合わせる気なし、オチがあるようなないような、ギャグはだいたいスベるのを見せたい感じ、どこかに愛の物語、というイメージですが、そこにグロが加わったような映画です。女性の裸がたくさん出てくるので、フランス映画好きで無ければデートにはオススメできません。ホラー映画ってわけでもない。強いていえばファンタジーですかね。
前半は痛々しい表現が多いですが、後半は疑似親子が愛を紡ぐ世にも不思議な物語です。途中からこのまま幸せになってくれないかなーって願いながら見ていました。
子を失い、妻を失ったマッチョな世界で生きてきた男の成れの果てみたいなものを見せられますが、終わってみるとなかなかどうしていい親父です。
好きかと言われると個人的にはあんまりですが、そもそもフランス映画をあまり観ていないので、フランス映画好きならめちゃくちゃおもしろい文脈があるのかもしれない。
いやもう気持ち悪いし主役の女の人汚らしいしこれは無理。最後に産まれ...
いやもう気持ち悪いし主役の女の人汚らしいしこれは無理。最後に産まれた子がクルマっぽかったら笑えたのかね?
シンプル
さらっと観ると怪奇映画になってしまうが、部分で考えてみると面白い映画だなと、ハッとさせられた。
シンプルに彼女は愛の形を探していたのではないかと感じた。
殺傷行動は謎だが、、。
実の父への愛情が欲しいという素振り(もっとちゃんと診てと言うところ)や母との会話など、彼女の立ち位置から見ると居場所が無いように思える。
特異体質に愛情がといった類の物には感じられなかった。
消防士との関係性も、居場所と愛する気持ちを素直に感じ惹かれあっていってると思うし。
愛情の食い違いで、表現が分からない為キスをしてしまったり。
車への執着も、チタンを頭に入れられ
自身の体の一部になった事により
何か特別なものがあったのか、模索している様に感じた。
インパクトがあるが、魅せたいところ、主軸はシンプルで面白いと感じた。
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