「ニート病む」ニトラム NITRAM かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
ニート病む
1996年オーストラリアのタスマニア島で起きた銃乱射事件を基に、単独狂行に及ぶまでいたった青年の心理に迫っている。監督は、これまでにも凶悪犯罪者を主人公にした映画を多く撮っているオーストラリア人ジャスティン・カーゼル。ガス・ヴァン・サントの『エレファント』をはじめ、乱射事件の被害者をあつかった作品は意外と多いけれど、その犯人を主人公にした映画というのはあまり見たことがない。
社会からの疎外、孤独、嫌われ者、奇行、性的異常....他人との接点がほとんどないという共通点を持つ犯人たちを主人公に物語にしても、観客の共感を呼べないとわかっているからだろう。そこでジャスティン・カーゼルは何をどう演出したかというと、犯人の青年に神の選択肢=偶然の出会いをもたらし、ラストの犯行へと導いているのである。オーストラリア州政府による銃規制の甘さをエンドロールで糾弾したりして予防線をはってはいるが、おそらく主題はそこではない。観客に犯人の“深淵”を覗き込ませることにあったのではないか。
タイトルの『NITRAM』はマーティン(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)の逆さ読みで、“シラミ野郎”という意味を持つ蔑称らしい。小さい頃から花火が好き、騒音をたてるため近所中から怒鳴られまくっている大の嫌われ者だ。この“NITRAM”、精神科の病院からクスリを処方してもらっているが病名がよくわからない。発達障害なのか躁鬱かそれとも知的障害者なのか、本人友達を作ろうと一生懸命なところを見ると、どうも引きこもりや自閉症とは違うようなのだ。
ただでさえ観光ぐらいしか仕事が無いタスマニアで、そんな厄介者のNITRAMを雇ってくれるところなどあるはずもなく、甘々の両親のもとで3食昼寝付きのニート暮し。民宿経営を夢見る親父はそんなダメ息子を一切叱りつけることもなく甘やかし放題で、母親(ジュディ・デイヴィス)は口うるさくNITRAMを管理しようとするがあくまでも世間体から、(映画ラストに示されるように)基本的には出来の悪い息子に無関心なのだ。この甘やかしと無関心が怪物NITRAMの基礎を作ったといっても過言ではないだろう。
サーファーに憧れ金髪を伸ばしているNITRAM、金をためてボードを買おうと芝刈りのバイトを始めたのがいけなかった。雑草が延び放題のお化け屋敷で犬猫たちと暮らす孤独な大金持ちヘレン(エッシー・デイヴィス)と出会い、さらに人生甘やかされてしまうのである。食うに困らない生活と自分に懐くペットたち、口やかましい母親のいない広々とした住居スペース、そして大量の銃を買い込む資金源を得たこと、これらがNITRAMの凶行を物理面からサポートしたのである。
しかし、不慮の事故(っておまえのせいだろ!)で唯一の理解者を失ったNITRAMはまたもやボッチ生活に逆戻り、神はこの変人に友人だけは決して与えようとしないのだ。途中で挟まれた(よくパスポートが発行されたなと思うのだが)NITRAMのハリウッド一人旅の模様を自撮りしたシークエンスが、抜群の“孤独”演出効果を発揮しているのである。ポート・アーサーでも殺戮シーンをおさめるためハンディカムをセットしていたNITRAM。つまり誰かに見てもらうために犯行に及んだのではないだろうか。
小さい頃花火の火の粉を浴びて大やけどをおってTVニュースのネタにされたり、近所の大人たちから「うるせぇこのガキ!」と怒鳴りつけられたり、小学校のガキどもからやんやの(バカにされた)喝采をあびたりした時の快感が、生涯忘れられなかったのではないだろうか。「みんなが俺のことを見てくれている」そこにいてもまったく無視される“シラミ”のような存在の自分にみんなを気づかせる唯一の手段、それがNITRAMにとっての“ドンパチ”だったのではないだろうか。