パリ13区のレビュー・感想・評価
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上映が始まって数分で、観ることを後悔した映画でした。
三連休の中日、明日はどうしても休息に当てたかったので、夕食と入浴を済まして最終回の上映(pm9:30)で鑑賞しました。そこまでして観る価値がある映画かと問われれば、私は「ない」と返答します。
なぜ、白黒映画にしたのかわからない。
性行為の連続で飽きてくる。年中、発情している人間ばかりで、「えいかげんにしろ」と怒鳴りたくなる。最後は何となく救われるような結末だか、私は理解しようという気力はとうになくしていた。
めんどくさいこじらせ女と優柔不断男のお話って、80年代フランス映画の21世紀版か。
エリック・ロメール好きとしては既視感ありながらも、出会い系アプリとか、人種の多様性とか、経済的に余裕ない感じの登場人物たちとかに21世紀を感じました。
しかし、単なる個人的経験なのですが、ベルファスト、カモンカモン、に続き、モノクロ映像の多いことにびっくりです。わかるんだけどー、ついでにジム・ジャームッシュとかを思い出してしまいました。
3人の背景も
なんとなく、感じられた。
カミーユの家族、お父さんの妹さん、良かった。エミリーの家族はみんなとても優秀そう。
ノラも頭は良さそうだけれど、自分が見えてなさそう。だからアンバー・スウィートが彼女の鏡のようで興味深い関係だった。
自然な音楽やそれぞれの個性の描き方が、端的でサラッとしているけれど、深良い。
モノクロが悪くないと思い始めた
カモンカモンを観た直後に立て続けにこれを観たので、モノクロの会話劇が悪くないと思い始めた。ベルファストも良かったし。
人種や地域の特性が我々日本人にはどうしても身につまされないが、黒人、アジア人といったアイデンティティーを描きながら、ラストシーンのシンプルさはとても良かった。
劇中、とにかくセックスが多いのはこれも日本人には馴染まない感覚だけど、セックスを介して自身を見出だしてくノエミさんとビデオワーカー女性との絡みを見ると、セックスを描く事が必然に思えてくる。
いずれにせよ、やはりフランス語というのは語学として聴いてて耳に気持ち良く洒脱で、吃りの妹さんの成長も含めて、フランス語会話劇をモノクロでもっと見たいと思いました。
異人種恋愛
70歳を迎えたジャック・オーディアールの新作である本作は、まるで新進気鋭の若手女性監督が撮ったかのような斬新さと若々しさが魅力として溢れ、目を惹かれる性描写は当たり前の生活にあるセックスを普遍的に描けているハッピーエンドな心地良さ。
オムニバス形式に流れる男女4人の群像劇は物語として全体的に繋がる様子が清々しく軽やかで、脚本に『燃ゆる女の肖像』の監督セリーヌ・シアマと若手注目監督レア・ミシウスが参加したことで映画監督として新たなイメージを構築させたジャック・オーディアールの多彩なジャンル性に驚かされる。
ユーモアがありながら少し生意気で丁度良い可愛さも相まって魅力全開な存在感を醸し出すエミリー、オンザ眉毛に様変わりもキュートで彼女の存在なしでは映画自体成立しなかった?と思わせられる本作に於ける貢献度No.1なルーシー・チャン、カミーユの妹であるエポニーヌの愛嬌があるキャラに癒されてスタンダップコメディもちゃんと笑える。
まぁ、カミーユの一人勝ち、人種も多様にモテ過ぎる、男からしたら羨ましいの一言に尽きる!?
いまを存分に生きるのだ
パリは恋愛に自由な街だ。浮気や不倫で相手を責めるような野暮なことはしない。セックスの相性がいいかどうかは、セックスしてみないとわからない。一度セックスしてから付き合うかどうかを決めるような、そういう自由がある。
本作品は、青春も終わりを告げようとする年齢の男女3人の群像劇である。人種も出身地もバラバラな3人だが、出逢い、会話をし、そしてセックスをする。
満足なセックスができれば離れがたくなるが、互いに解りあえた訳ではない。セックスが上手くいかなくても、相手への尊敬がなくなる訳ではない。セックスの相性がよければ人生の楽しみが劇的に増す。しかしハマってしまうと地面から足が離れてしまう。溺れるというやつだ。男に溺れる、女に溺れる。
台湾出身のエミリーは歌も踊りも上手い。ピアノも弾けるが、それらで食べていけるほどパリは甘くない。ルームシェアを募集すると黒人の青年が現れる。名前はカミーユ。日本の名前なら和美や純、忍、瑞生(みずき)といった男女共通の名前で、見た人の感覚で男女いずれの印象にもなる。エミリーはカミーユを女だと思っていたのだ。迷った末にカミーユを受け入れるエミリーだが、この選択がその後の人生を左右することになる。
カミーユは頭のいい皮肉屋である。何でも相対化して評価する。絶対的な価値というものを認めない。教師をしていて、子供たちも教師の仕事も好きだが、教師の待遇に不満を持っている。半年ごとの査定で恣意的な評価をされるのだ。基本的に勉強は好きだから、いまよりも上位の教職に就くことを目指して勉強している。とはいえ、若くて性欲があり余っているから、エミリーとはすぐにセックスをする。
エミリーはカミーユとのセックスに、尋常でないほどの快感を得る。そこで四六時中、カミーユにセックスを求めることになる。
カミーユはエミリーとのセックスに満足しているが、目指す上位教職のために勉強する時間を確保する必要がある。エミリーの要求に応えてばかりいられない。エミリーとちゃんと交際するかどうかは、エミリーを尊敬できるかどうかにかかっている。
ノラの人生は悲惨である。ノラという名前で、ヘンリック・イプセンの戯曲「人形の家」を連想した。本作品のノラも、育てられた伯父(叔父?)から、人形のように可愛がられた。つまりセックスの相手をさせられたのだ。そのときに仕込まれたアナルセックスの快感がいつまでも忘れられない。
カミーユはノラを尊敬する。賢くて勇気があり、行動力もある。それに美人だ。しかしセックスがうまくいかない。ノラが勇気を出して求めてきたアナルセックスに、逡巡してしまうのだ。ノラはカミーユの逡巡を微妙に感じとる。この関係は上手くいかない。そしてネットで知り合ったセックスチャットの女性との関係にレーゾンデートルを求めていく。
原題は駅名である。パリ13区にある地下鉄のオリンピアード駅だ。パリ13区は多国籍、多民族、多人種という人間交差点みたいな街である。他人の価値観やセクシュアリティに寛容で、SNSで知り合ってすぐにセックスをすることもある。しかし大抵は純粋で傷つきやすく、そして孤独だ。束の間の幸せと長い間の不安に生きている。
本作品はパリ13区に暮らす30歳前後の男女の人間模様を上手に描き出した。インストゥルメンタルの音楽がお洒落で気が利いている。将来の不安は底知れず感じているが、いまを存分に生きるのだ。
おっぱいがいっぱい
パリに住むこじらせ男女の赤裸々ライフ。
ストーリーはなんとなくご都合主義感あるけど、モノクロの映像で切り取られるパリの街と音楽がとても心地好くて美しい映画でした🍀
おっぱいがいっぱいでてきますw
ハッチャけてくれない
モノクロ映画が多すぎる。ベルファスト、カモンカモン、エル・プラネタ、videophovia、ライトハウスなどなど。もっとハードルを上げて欲しい。ちょっとカッコつけるぐらいではモノクロにしてはいけない。こっちも近年のモノクロ映画を観ているので、目線も厳しくなる。
内容は無難で退屈な若者を自然に撮った映画だった。この手の自然な若者映画も規制して欲しい。若者に優しすぎで甘やかし過ぎ。これは今泉の映画を観ていても思う。カメラに若者が写ったぐらいで好意的に観てもらえると思わないで欲しい。なにより、それは評価を誤ってないか。teki latexが本人役で出てくるのはびっくりした。同系統だとパリのどこかで、あなたとの方が気持ち良い映画だった。モノクロのアダルトだとvideophoviaの方が面白かった。スタンダップコメディを扱うのは、アネットとか重なる。
Romance はハッピーエンド
時代が違う(僕とね)、国が違う、でも恋愛に付きまとうもやもや感は同じだよね。俺って何者?、彼女って何者?っていう不安。
人生そのものの行き場も見えないマイノリティが、大都会パリで"ほぼほぼ"真面目に(どこが?って突っ込みもありそうだけど)生きながら、最後に Fin heureuse(ハッピーエンド)に行き着く。この先どうなるかなんて誰もわからないけど。エミリーとカミーユ(アジアンとアフリカン)、ノラとアンバー(女と女)。
こんな風に自由に愛し合い、そしてパートナーを見つけるっていいなあ。
最初のデートにはやめとけ。
お洒落なパリの映画だから好きな女の子誘って見に行くと気まづいです、やりまくりです。
元ネタは日系米国人の3本のグラフィックノベルを合体させた物らしい。脚本に有名女性監督セリーヌシアマ入ってるせいだろうか女性の台詞が繊細で自然。
冒頭のシーンでガッツリ掴まれた、実に上手い。
今の時代カムセックスや、マッチングアプリなんかを駆使している若い子達がどうやって真実の愛に辿り着くのかに興味があったと監督のインタビューにあった。
エロくなりすぎないようにモノクロにしたらしいが、、むしろフェティッシュで個人的には萌えました。
男性モテ過ぎ感はたしかにあるが、たぶん複数の話を合成したためだと思う。それがイケメン白人じゃなくて黒人なのが13区なんだろうな。台湾系フランス人役のルーシーチャンがかわいい。
出演者全員脱ぎっぷりが良くて実にカジュアルにSEXする若者像がからっと描かれている、テンポもよい。日本だと何故かウェットになるんだよね、、、少し性に対して後ろめたさがあるからね、、こんなにサラッとならないのかな。日本の実情はどうなっているのだろう?マッチングアプリは本当に皆んなやってるようだが、、。
まあとにかく酷く突き放すタイプの描き方でもないけど、充分都会の孤独感も伝わるし台詞と間で複雑な感情も描けてると思う。日本で作ると、ついつい懐古趣味的な話になっちゃう、今を舞台にしたこんな映画が出来るとよいね。
寂しさを大スクリーンでw
この映画の底にずっとに流れているのは孤独、寂しさ
幸せじゃなくてもいい、寂しくなければって誰かがどこかで言ってた気がするけど何しても孤独を感じてしまうお年頃のパリ人たちの物語
ゴリゴリのミニシアター的な作品を109シネマで観賞
もうちょっとひねりが欲しかったなー
満たされなさを抱えて
カミーユという男性がいて、女性は前半がエミリー、後半が主にノラの話。
彼らは時に恋人、時には友人という関係?
フランスは高校生が「危険な関係」や「ボヴァリー夫人」を読む国なのでセックスに対する考えかたが日本とはだいぶ違う。
登場人物たちにどっぷり感情移入できるというわけではないけれど、気持ちは分かるかな。
みんな自分の話を聞いてもらいたいのね。
うーん😔だから
現代の三十代の男女のモヤモヤ感を、過激な性描写を交えて表現してた。性におおらかなフランスだけに、交わることに抵抗はなく、国籍が異なってもあんなにおおらかにいれることは凄い。ただ、内容が今一つ。だからなに感が残った。フランスには、石田純一みたいな男女が集まって来るのかも✨
パリの空の下、悩める現代人の姿が交錯する
パリ13区に暮らす若者たち(といっても20代から30代)が抱える苦悩や葛藤をモノクロ映像で描く群像劇。主に、3人のストーリーが描かれているため、くるくる変わるシーンが観るものを退屈させずに引き込んでゆく脚本が秀逸。
台湾系フランス人のエミリー、アフリカ系フランス人の高校教師のカミーユ(モテモテ)、
大学に復学するためにパリにやってきた32歳のノラを中心として織りなすストーリーは、多人種、LGBTQ、アルツハイマー、SNSの中傷、マッチングアプリなどというまさに時代を象徴するテーマが点在している。
ノラは金髪のウィッグをつけて学生が企画するパーティに出かけたら元ポルノスターのアンバー・スィート(ウェブカメラを使ったセックスワーカー)だと勘違いされて泣く泣く大学を辞めることに… 。ある日勇気を出して自分と似ているアンバーと話すため、ノラは課金してチャットルームへ。二人の心の距離が、少しずつ縮まっていくところが素敵だった。
舞台はパリだけど、どこの国の若者たちも多かれ少なかれ彼たちと同じような孤独や焦燥感を抱え、愛を求めて生きているのだろう。
大人になるまで
20代から30代は手当たり次第に動いてあちこちに頭ぶつけて痛い思いをする。そして一人であることと孤独の中で山ほど内省する。そういう時期は誰にでも必要でその経験と時間を経て大人になるんだと思う。その舞台が色んな人が住んで生きている地域であるのがとても良かった。身につけてる服も靴も持ち物も普通。雑誌から飛び出たような表層的「パリ」でなくてほっとする。
ノラだけでなくルイーズ=アンバー・スウィートにとってもSkypeで話す相手がどんどん大切な存在になっていく。エミリーとカミーユはセカセカとスマホで罵りあいつつ、ママとおばあちゃんの喪失が二人を結びつける。
セリーヌ・シアマが関わる映画に今のところハズレなし!彼女の写真、wikiで見ると溌剌としていて知的でパワフル。このサイトの彼女の写真替えてくれたらいいのにな。
ディストピア?フランスの現実
先日公開された「ガガーリン」でも書いたが、ここまでパリは移民の町になっているのか。「オートクチュール」でも主人公は移民の娘だったし。本作も、移民2世?のボーイミーツガール。そして決定的に孤独であることに病んでいる(純粋なる)二人のフランス女性の描写。マクロンが再選され、ペロシが敗退する現実。グローバリズムの進んだ結末が、ユートビアなのだろうか。僕は、否定せざるを得ない。この地は、誰のものなのか!?
奔放なフランス人
台湾系の携帯プランセールスマンの女性と、彼女の家にルームシェアを申し込んだ高校教師の男性と、大学に復学したが若い同級生に馴染めない女性、の3人を軸にした心と身体と友人と家族とというストーリー。
とりあえず身体で繋がってギクシャクしてという関係性とか、皮肉を言い合ったり慰めあったり…。
独りで生きているようで独りで生きていけない若者たちの恋愛の様な共依存の様な関係とか、変わりたい、変わろうとしている姿とか、一応ヒューマンドラマなんだろうけど、結局焦らしに焦らしてそういうことですか…。
オッサンにはついて行けないっす。
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