パリ13区のレビュー・感想・評価
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パリって、フランス人の町じゃなくなっている
白黒の映像が良い雰囲気を醸し出している
これが一番の特徴
フランスは移民が多いとは知っていたが、パリのフランス人は稀なのか・・・・?
人種のるつぼの中で、みんなその時々で好き勝手な性生活を楽しんでいる
それに取り込まれるのが悪夢
最後はサバサバとフランス映画
トラウマを刺激で誤魔化す空虚さ
主要登場人物の全てが傷を抱えており、それをセックスや新たな環境といった刺激で埋めようとしている。
カミーユは恋愛、エミリーはセックス、ノラは復学(環境の変化)…
でもそれらは対処療法であって、彼らが望むものを与えてはくれない。
各個人間の生きづらさに関してはフワッと語られる程度なので、これかなー?と予測できる程度。
なので、誰もが抱える生きづらさ(一般的な人々)を表現しているのでしょう。
そこから彼らは他者との関係構築を始めるのですが、
自分を守ろうとするあまり攻撃的になったり、卑屈になったりで、全然うまくいかない。
自己開示をして、相手を受け止め、そうして築き合う関係性だけが心を満たしうる、的なメッセージかなと解釈しました。
テンポも良く群像劇を飽きずに楽しめます。
たしかにセックスシーンは多いけど、白黒だからか湿度が低くてカラッとしてました。
白黒だと肌の色も分からず、ポリコレを意識したキャスティングではあると思うんですが、より人と人の話であることが強調される気がしますね。
ノエミを観に行ったのだが
セックスとはなんだろう
今さら凄い事に気がつかされる
パリの匂い
ありがちな孤独
上映が始まって数分で、観ることを後悔した映画でした。
めんどくさいこじらせ女と優柔不断男のお話って、80年代フランス映画の21世紀版か。
3人の背景も
モノクロが悪くないと思い始めた
カモンカモンを観た直後に立て続けにこれを観たので、モノクロの会話劇が悪くないと思い始めた。ベルファストも良かったし。
人種や地域の特性が我々日本人にはどうしても身につまされないが、黒人、アジア人といったアイデンティティーを描きながら、ラストシーンのシンプルさはとても良かった。
劇中、とにかくセックスが多いのはこれも日本人には馴染まない感覚だけど、セックスを介して自身を見出だしてくノエミさんとビデオワーカー女性との絡みを見ると、セックスを描く事が必然に思えてくる。
いずれにせよ、やはりフランス語というのは語学として聴いてて耳に気持ち良く洒脱で、吃りの妹さんの成長も含めて、フランス語会話劇をモノクロでもっと見たいと思いました。
異人種恋愛
70歳を迎えたジャック・オーディアールの新作である本作は、まるで新進気鋭の若手女性監督が撮ったかのような斬新さと若々しさが魅力として溢れ、目を惹かれる性描写は当たり前の生活にあるセックスを普遍的に描けているハッピーエンドな心地良さ。
オムニバス形式に流れる男女4人の群像劇は物語として全体的に繋がる様子が清々しく軽やかで、脚本に『燃ゆる女の肖像』の監督セリーヌ・シアマと若手注目監督レア・ミシウスが参加したことで映画監督として新たなイメージを構築させたジャック・オーディアールの多彩なジャンル性に驚かされる。
ユーモアがありながら少し生意気で丁度良い可愛さも相まって魅力全開な存在感を醸し出すエミリー、オンザ眉毛に様変わりもキュートで彼女の存在なしでは映画自体成立しなかった?と思わせられる本作に於ける貢献度No.1なルーシー・チャン、カミーユの妹であるエポニーヌの愛嬌があるキャラに癒されてスタンダップコメディもちゃんと笑える。
まぁ、カミーユの一人勝ち、人種も多様にモテ過ぎる、男からしたら羨ましいの一言に尽きる!?
いまを存分に生きるのだ
パリは恋愛に自由な街だ。浮気や不倫で相手を責めるような野暮なことはしない。セックスの相性がいいかどうかは、セックスしてみないとわからない。一度セックスしてから付き合うかどうかを決めるような、そういう自由がある。
本作品は、青春も終わりを告げようとする年齢の男女3人の群像劇である。人種も出身地もバラバラな3人だが、出逢い、会話をし、そしてセックスをする。
満足なセックスができれば離れがたくなるが、互いに解りあえた訳ではない。セックスが上手くいかなくても、相手への尊敬がなくなる訳ではない。セックスの相性がよければ人生の楽しみが劇的に増す。しかしハマってしまうと地面から足が離れてしまう。溺れるというやつだ。男に溺れる、女に溺れる。
台湾出身のエミリーは歌も踊りも上手い。ピアノも弾けるが、それらで食べていけるほどパリは甘くない。ルームシェアを募集すると黒人の青年が現れる。名前はカミーユ。日本の名前なら和美や純、忍、瑞生(みずき)といった男女共通の名前で、見た人の感覚で男女いずれの印象にもなる。エミリーはカミーユを女だと思っていたのだ。迷った末にカミーユを受け入れるエミリーだが、この選択がその後の人生を左右することになる。
カミーユは頭のいい皮肉屋である。何でも相対化して評価する。絶対的な価値というものを認めない。教師をしていて、子供たちも教師の仕事も好きだが、教師の待遇に不満を持っている。半年ごとの査定で恣意的な評価をされるのだ。基本的に勉強は好きだから、いまよりも上位の教職に就くことを目指して勉強している。とはいえ、若くて性欲があり余っているから、エミリーとはすぐにセックスをする。
エミリーはカミーユとのセックスに、尋常でないほどの快感を得る。そこで四六時中、カミーユにセックスを求めることになる。
カミーユはエミリーとのセックスに満足しているが、目指す上位教職のために勉強する時間を確保する必要がある。エミリーの要求に応えてばかりいられない。エミリーとちゃんと交際するかどうかは、エミリーを尊敬できるかどうかにかかっている。
ノラの人生は悲惨である。ノラという名前で、ヘンリック・イプセンの戯曲「人形の家」を連想した。本作品のノラも、育てられた伯父(叔父?)から、人形のように可愛がられた。つまりセックスの相手をさせられたのだ。そのときに仕込まれたアナルセックスの快感がいつまでも忘れられない。
カミーユはノラを尊敬する。賢くて勇気があり、行動力もある。それに美人だ。しかしセックスがうまくいかない。ノラが勇気を出して求めてきたアナルセックスに、逡巡してしまうのだ。ノラはカミーユの逡巡を微妙に感じとる。この関係は上手くいかない。そしてネットで知り合ったセックスチャットの女性との関係にレーゾンデートルを求めていく。
原題は駅名である。パリ13区にある地下鉄のオリンピアード駅だ。パリ13区は多国籍、多民族、多人種という人間交差点みたいな街である。他人の価値観やセクシュアリティに寛容で、SNSで知り合ってすぐにセックスをすることもある。しかし大抵は純粋で傷つきやすく、そして孤独だ。束の間の幸せと長い間の不安に生きている。
本作品はパリ13区に暮らす30歳前後の男女の人間模様を上手に描き出した。インストゥルメンタルの音楽がお洒落で気が利いている。将来の不安は底知れず感じているが、いまを存分に生きるのだ。
ハッチャけてくれない
モノクロ映画が多すぎる。ベルファスト、カモンカモン、エル・プラネタ、videophovia、ライトハウスなどなど。もっとハードルを上げて欲しい。ちょっとカッコつけるぐらいではモノクロにしてはいけない。こっちも近年のモノクロ映画を観ているので、目線も厳しくなる。
内容は無難で退屈な若者を自然に撮った映画だった。この手の自然な若者映画も規制して欲しい。若者に優しすぎで甘やかし過ぎ。これは今泉の映画を観ていても思う。カメラに若者が写ったぐらいで好意的に観てもらえると思わないで欲しい。なにより、それは評価を誤ってないか。teki latexが本人役で出てくるのはびっくりした。同系統だとパリのどこかで、あなたとの方が気持ち良い映画だった。モノクロのアダルトだとvideophoviaの方が面白かった。スタンダップコメディを扱うのは、アネットとか重なる。
Romance はハッピーエンド
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