わたしは最悪。のレビュー・感想・評価
全164件中、21~40件目を表示
わからないコトが、よくわかる
明確な理由がない心の揺れを映像的によく捉えている。
なにか理屈をつければウソになる。だから自身を「最悪」としか言えない。
映画的な映画と言える。
人それぞれに「自分って最悪!」がある
好きだったな。
前半はポンポン、テンポよく進んでいく。
プロローグ的な。まだ本章は始まってない、説明部分的なところはポンポン進んでいくので、本章に入って行く頃にはストーリーに引き込まれてる。
最初のテンポとはうって変わって、
ストーリーが後半になっていくに連れて、ゆっくりと、ひとつひとつのシーンに集中させてくれる感じ。見入ってしまう。
俳優たちひとりひとりの演技、役作りも魅力的だった。
主人公ユリヤ、コミック作家アクセル、カフェ店員アイヴィン。
この3人をメインキャストとしていいんだろうけど、
この3人、なんかじっと見てしまう魅力があった。
もしかしたら、そういうカメラワークや演出がそうさせてるのかもしれないけど、後半は彼らの演技がとても自然であり、魅力的であり、感情、表情に引き込まれていった。
ノルウェーの作品を見るのは初めてだったかもしれない。
ノルウェー(オスロ?)の街並みが味わえて楽しかったのも、冒頭この作品に引き込まれていった要因の1つだと思う。
北欧、という感じがところどころ感じたというか。笑
具体的にどこが、って説明するのはムズイのだけれど、
街並み、インテリア、人の佇まい(もちろん日本とは違うし、アメリカの感じとも全然違う。ヨーロッパといってもやはり北欧は北欧で独特の雰囲気がある。自立感?の空気?)そういうものから違いを感じた。
私は日本の作品では何故か「湿度」を感じる。映像に。
なぜかわからない。日差し、光量が関係しているのかもしれないけど
作品を見た時に、その光量で湿度とか気候の感じが伝わってくる。
今作の、他の家族たちとコテージで宿泊するときのあの気候の感じ。気持ちよかったな。
そして街並みの時も、空気・気候の感じを味わいたくなって、観ながらもすごく気候・空気感を想像していた。
「気持ちよさそうな気候だな〜」なんて思いながら終始見ていた。
インテリアもよかったな〜
それこそ北欧って感じがしたな〜色味。白とかクリームとかスッキリシンプル系な感じがした。全体的に。
アクセルと住んでた部屋が好きだったな。
アクセル、私は結構好きなタイプだった。
だから結構こころ掴まれる、ぎゅ、っとなるシーン多かった。
ユリヤに別れを告げられて、引き留めるシーンがとても好きだった。
アクセルのスキンシップの取り方、距離の詰め方がタイプだったな〜〜
アイヴィンも優しくていい男だったよな〜
(アダム・ドライバーに見えて仕方ない)
良いか悪いかは置いておいて、ユリヤのああいう決断の仕方、わかるところがあった。
「行き詰まると別れる」私もその節があるから耳が痛い。
何かに行き詰まると、今、できることをしようとしてしまう。
衝動に近い。
それは持ってるものを手放すことかもしれないし、人間関係を見直すことかもしれないし、引っ越すことかもしれないし、転職することかもしれない。
その行動はきっとはたから見ると「迷い」のようにも見えるだろうし「何してんの」って愚かな行動に見えてしまうかもしれない。
でも、本人にとっては、何か、何かはっきりとわからない原因に対して、
何か、何かアクションを起こして、何か、変わっていかないか。
そんな心と体の衝動。
迷ってるのは自分が一番わかってて。でもじっともしていられない。
だから、そんな行動をとってしまうのだ。
その行動は後から振り返った時、後悔してしまうことかもしれない。
でも「良い」とか「悪い」とかではなくて、
その時、その瞬間には、その行動が必要だったのだと思う。
人からはきっと「最悪だ」と言われるのだろう。
ここいう行動は他人に迷惑をかける。
それは本人が一番わかってる。申し訳ない。
「私は最悪な人間だ」とその都度落ち込む。
申し訳なくて、自分も情けなくて。
でも、
私はこう生きるしかないんだよな。と、開き直ってるわけではなくて
いや、開き直ってんのかもな。笑
落ち込んで、落ち込んで、開き直って、また進む。
「私は最悪」
英題: The Worst Person in the World
きっと誰しも「あー自分って最悪な人間だ!」って思うこと、必ずあると思う。今作はユリヤの、「私って最悪だ!」を見せてもらった気がする。
誰かにとっては最悪だし、でも誰かが見ると「わかるよ」と共感し癒えるものがあるのかもしれない。
ユリヤは、何かに行き詰まった時、街を歩いていた。
遠くを見つめて、太陽・朝陽を見つめて涙する。
悩んだ時は歩いて歩いて、太陽を見る頃に、何か自分の中で結論が出るような。ユリヤのそのシーンを見るたびに、ああ、こういうの、あるよなあって。自分も悩んだ時は歩いて、綺麗な朝陽を見たいなって、そう思った。
p.s.
不意打ちのOlav
自分探し
ユリアはトビッキリ強烈でした。
よく考えると普通の30過ぎ独身女性の、ありふれた日常生活ではないか?
ただユリアを演じるレナーテ・レインズヴェの大胆演技(脱ぎっぷりの良さ)
美貌と愛嬌そしてアッケラカンとした性格。
名匠ヨアキム・トリアーの脚本と人間観察の鋭さ。
親戚・家族(幼い子供たちと老親)の人間動物園。
卓越した描写に「スペシャル感がマックス」であるので錯覚するが、
ユリアは普通の30過ぎの女性のほぼ平凡な選択をするだけなのだ。
医学部に入るも、
「私は肉体より魂が好き」と気づいて、
「心理カウンセラー」を目指して心理学部に編入。
実戦より講義を聞くだけの詰め込み授業に飽き足らない。
そのうちカメラに興味を持つ。
奨学金の殆どをカメラ機材購入に充ててしまう。
そんなこんなで書店員としてアルバイトをしながら
自分探しを続行。
そしてある夜バーで風刺漫画の売れっ子アクセルと知り合い
意気投合。同棲関係になる。
しかし結婚と子供を匂わせられたことにより、気持ちが冷める。
勝手に入り込んだ結婚パーティーで、ワインを飲んでいて、
アイヴィンという体格の良い温和な男性と知り合う。
アクセルを振ってアイヴィンと同居を始める。
結婚前に2人や3人と暮らすなんてごく普通‼️
医学部→心理学部→カメラマン志望、
よくあることです。
じゃあ、どこがこんなに斬新なんでしょうね!!
主人公がトビキリ自由でカッコいいから?
男に依存しないところ?
破天荒なところ!!
カメラはユリアの日常の秘めごとを、堂々と映し出します。
アイヴァンとユリアのおしっこシーン(見せっこ・・・
・・・こんなんお医者さんごっこでも、やるんかいな?)
ユリアのオーラルセックス(日本ならパンティ履いたままだもんね)
ユリアがダンプカーの勢いで過去を振り落として行くのが、
本当に爽快‼️
あなたは最悪でも、最低でもない。
社会にも男にも屈せず、へこたれず、へつらわず、
You are Spccial end Beautiful Person
きれいな映像をバックに主人公の揺れる想いがよく映える
何となく好み系だろうと思ってチョイスし、期待違わぬ良い雰囲気にとにかく満足。
主人公の振る舞いは冷静に観るとそれってどうなの!?って感じなのだが、気が付くと性別をも越えた共感が生まれるから不思議だ。オスロの美しい街並みや主演女優の独特な魅力がそうさせるのか。なんとなく自然なカメラワークも、主人公の複雑な想いをより鮮明に浮き立たせている。
本作は一般的には地味な部類になるのだろうが、止まった世界で二人きりで楽しむデートやすれ違いの切ない心情等々、個人的にはノルウェー版「ラ・ラ・ランド」と言っても過言ではないほど高評価できる作品だ。
自分の未来を可能性のままにしておきたい
主人公ユリヤは頭が良く文才もある。何にでも、とまではいかなくとも、本人が望めば大概のものになれる。
しかしユリヤは望まない。何者かが確定してしまうことを恐れている。肩書きが確定しそうになると逃げ出すのだ。
かといって、何も目指していないわけでもない。非常に面倒な女なのだ。
彼女は30歳。しかしまだ子どもでいようとする。
自由で縛られない生き方。未来が可能性に満ちた状態。それを維持したいのだ。
大人になっていくというのは、好き勝手に振る舞えなくなっていくものだ。選べる選択肢が少なくなっていく中で、望むものを得、守ろうとしていくのが大人だ。
その大人の生き方の見本として、アクセルがいる。
彼はグラフィックノベル作家としてそれに邁進し、守ろうと戦う。さらなる幸せのために、ユリヤに求婚もする。
未来を選んで得て守ろうとしていたわけだ。
物語が進み、ある意味で、大人の一生を目の当たりにしたことで、ユリヤもやっと選択し、自分の肩書きを確定させようと成長する。
子どもはいらないと言っていた人間も子を得るように、人は変わっていくものなのだ。
国が違うので当てはまるかどうか分からないけれど、40歳オーバー世代の人は子どものときに、誰もが早く大人になりたいと願っていたように思う。無自覚であっても。
子どもの目線で大人のほうが自由だったからだ。
ピーターパン症候群なんて言葉があるよねってくらい、珍しいといえた。
ものが溢れて、子どものままで充分に楽しめる世の中になったからなのか、大人が楽しそうでなくなったからなのか、ピーターパン症候群という言葉は聞かなくなり、現代のアダルトチルドレンと意味がイコールではないとしても、その状態の人は増えたように思う。時代は変わっていくのだなと強く感じる作品であった。
何も選択しないという選択
「女性はこう生きねばならない」というくびきから解放されたものの、決断をすることの責任感は増した現代女性。
愛されること・結婚すること・子どもを産むこと。
自分に確固たる「核」がない故に、パートナーと暮らすことで「自分の人生を生きている感覚がしない」または「人生のわき役のような気分になる」という物足りなさを抱いているユリヤ。
自分に重なる部分もあり、直視できない痛みがあった。やりたいことがありすぎて、何も成し遂げていない焦燥感…。
主人公は傍から見れば、複数の男性から愛されて未来を望まれて、幸せになれる可能性に満ちている。誰ともパートナーシップを築けなかった人からみたならば、なんてもったいない、羨ましいと思われる立場であることは間違いない。
でも、愛を受け入れたら最後、自分は「パートナーの恋人」以上の肩書は持てないし、子どもを産んだら最後、子育て中心の人生になってしまう。承認欲求はあるが自己肯定感は低め。
だから「どんな選択肢も選びたくない」。ユリヤを通して、監督はそんな複雑な現代女性の揺らぎを鋭く突いていると思う。
生理がきたのか流産したのかわからないが、最後のシャワーシーンのユリヤのほっとしたような顔が印象的。
でも元恋人の死に際からも目を背ける姿は、まさに最悪だと思った。
率直に言ってめんどくさいひとです
奔放な女性の遍歴。
古い引例だが結婚しない女みたいな映画だった。
が、経年分表現は尖っていた。
女性もジルクレイバーグほど柔和じゃなかった。
その時、自分を輝かせてくれる男がすきになる女性。直感で別れたり、さらりときついことを言ったりする。いわゆる地雷系。
彼女自身その自覚があり、ひとしきり気分で生きると“ぶりもどし”(後悔)がやってくる。顧みて思うのが「わたしは最悪」──という話。邦題には句点がついていた。
本作は(ドライブマイカーが出品された年の)カンヌで絶賛され、結果的にとらなかったが有力候補とされた。審査委員長がスパイクリーでなかったらとっていたかもしれない。
Imdb7.8、RottenTomatoes96%と86%。
批評家も一般もすこぶるいい。
ヨアキムトリアーは挑戦的でタフなのをつくる作家だったのが、ノーラエフロンみたいなロマンチックコメディになっている意外性とRenate Reinsveの熱演が高評価へつながった。
個人的には筋にも特別なものは感じられず、ユリア(Renate Reinsve)のキャラクターもよくある奔放さで、会話もクリシェだったと思う。
“奔放”とは子供が古い玩具にあきて新しい玩具に行くのとおなじことで、そんな感覚的なことに理屈はない。奔放な女がいかに「男ができた」を糊塗するかが描かれる──わけである。
ジルクレイバーグやマーシャメイソンが演じた昔の“女性映画”は男に振り回される話だったが、今は女性が振り回す話になっている。
ユリアの“奔放”は特別なものではなくあるていど誰にでもある打算又は優柔不断が表徴されたものだったが、とはいえ面倒な女だなあと感じる度合いが映画からの感興を上回ってしまいそうなのは辛かった。わら
だがオスロの景色はよかったし居住空間や調度に北欧らしい瀟洒があった。日本とは違い街はどっちを向いてもきれいで草木の気配があった。
また感情表現には工夫があり一定のアート値もあった。
どこまでものびるファルセットをだすMorgan Jamesの曲でCall My NameというのがあってそのPVで自分以外動いていない街がでてくる。そこからもってきたようなハイライトシーンだと思った。
最悪でもない‼️
この作品のポイントは主人公の女性に共感できるかどうかにあると思います。なかなか自分のしたいことが見つからず、コロコロと進路を変え、仕事を変え、彼氏よりも他の男性が魅力的に見えてしまう・・・かと思えば新しい彼氏と喧嘩、昔の彼氏が病気になって心配し、一方で妊娠していることを彼氏に言えないでいる、年齢も30を超えてしまっている・・・ラスト、一人になってカメラマンの仕事に打ち込む彼女の瞳は、しっかりと前を向いているように見える・・・この映画のヒロインのような人は世の中にいっぱいいると思います‼️女性だけではなく、男性にも多いと思います‼️そんな不安定でどうしようもないヒロインの成長を、演じるレナーテ・レインスベが魅力的に好演してくれてます‼️ヨアキム・トリアー監督の演出も全体を13の章に分けたり、彼の元へ走るヒロインの周りで他の登場人物たちが静止していたり、音楽の使い方も秀逸で、新たな女性映画の秀作と言えるのではないでしょうか
本当に最悪。
ここまで自由に、自分の思いだけで生きて、大事な「もの」を捨てながら生きていける。
こんなに自分勝手ができることに共感を持った映画かもしれませんが、同じ人類としてああいう行為は悲しくなってくる。
だから、タイトルを忠実に表現できている映画とも言えますね。
そんな最悪でもないよ。
わりと頑張ってたと思うよ。
the worst person in the worldって英題がかっこよくって見にいったようなもん。
素晴らしい
ノルウェー、オスロの街に暮らす普通の女子の恋愛映なんですが、冒頭から素晴らしい。主人公ユリヤ役のレナーテ・レインスヴェが素晴らしい、シーンによっていろんな女子を演じてるんですが、いつもチャーミングです。ノルウェーの街並みや郊外や沿岸の景色も素晴らしいですね!
本当に最悪。
若いアイヴィンはともかく、歳がいっていて、そろそろ身を固めたかったアクセルにとっては、迷惑千万この上なかったんじゃあないでしょうか。
ユリヤ自身は、自分自身が迷っているんだからどうでもいいとしても…。
「アラサー女子の自分探しかなんか知らんけど、やるなら、よそに行ってやってくれ。」と言いたくなったのは、果たして評論子だけでしょうか。
怪作快作テルマからスリラー要素を抜いて成功。
無数に多様な自立自律した生き方から一つの具体を撮って普遍を語れた。
生に伴う痛みへの共感。
恋と仕事で人と関わる事は必要でいて苦痛という当たり前。
怪作快作のテルマからスリラー要素を抜いて成功した監督、次作に期待。
劇場で見ねばだった。支持。
異性の主人公を描くと…
意識高い系現代女子による12(+2)の恋愛&自分探しのセカイ
好んで観るジャンルでは無いが、ここ最近の恋愛映画の中ではとても面白かった!
残念…と言う程では無いが、男性監督による作品なので、主人公がホンネで語り合う相手が全て男性なので、男目線での
"こういう女居るよね感"
を若干感じてしまった。
ハリウッド映画なら、母や友人等同性同士で語り合う女子会的なシーンを入れて主人公にさらなる深味を与えるのではないかなーと。
北欧という土地柄も有るのかもしれないですが、まあ"同性の友人が居なさそうな性格の主人公"だったから良いんですけど…
赤裸々な女性の姿、ユリヤ
男性の前でも、舞台上でも
人生は選択の連続!
毎日、頭を悩ませるものと思いました。
不意にしたことが吉と出るか、出ないか
後々になって分かることもあると共感できました。子供を授かったこともユリヤにとって繁栄となるように気持ちに寄り添いたいと思いました。
第一章と綴られた構成も観終わったあと
1冊の小説を読み終えた印象を受けました。
音楽と映像も美しかったです。
生きるなんて分からないことだらけ
みんな自分なんて分からず生きている。
正解を求めているのか、いないのか。
もしかしたら、そんな不確かさをこそ求めているのか。
その割には「死にたい」なんてしょっちゅう考えるんだ。
10年後とかには大惨事が自分たちを待ってるかもしれないっていうのに、
今日なんかを精一杯生きている。
全164件中、21~40件目を表示