「抵抗感はあったが突き離せない、未熟さに気付くまでの道程」わたしは最悪。 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
抵抗感はあったが突き離せない、未熟さに気付くまでの道程
このタイトルは主人公の自虐的な自己紹介で、実際はもうちょっとかわいげのある悩みの話かと思ったら、正直掛け値なしに最悪に近くてちょっと引いた。勝手な想像をした私が悪いのだが、ポスターのイメージも相まってライトコメディでも見るような構えで受けたので、主人公のキャラと後半の重さに不意打ちを食らった。
いわゆる「お勉強ができる」人間が、成人してから肝心の自分の人生の方向性が見えずに迷う気持ちは、何となく分かる。女性だからというだけで結婚すれば子供を産むだろうと思われることに抵抗を感じる気持ちも分かる。自分の人生も見定められていない状態で、子育てに自分の時間を捧げることに踏み出せない気持ちも、分かる。
一方、何となく感じる行き詰まりや息苦しさの理由を、彼女は他責的に考えているように見えて、そのことに抵抗感があった。恋愛への依存心が重い。人生の空虚さを埋める手段として、自分と向き合うのではなく、代わりに相手を傷つけつつパートナーを変えているように見えてなかなか受け入れにくかった。
年上のアクセルに「何か違う」と感じてアイヴィンと浮気し、アクセルにとっては唐突とも思える形で彼に別れを告げる。アクセルはご都合ではと思うほど物分かりよく別れてくれる。でもアイヴィンと付き合いだしても、結局自分の人生に対する「これじゃない」感は消えない。望まない妊娠と流産を経て、結局アイヴィンとも離れる。子供がほしかったアクセルの病床で、アイヴィンとの子供が出来たことを告白する場面はあまりに残酷。
ラストでその後フォトグラファーに転職し、他の女性と子供を持ったアイヴィンを割り切った表情で見送る彼女の姿を見て、やっと自分と向き合って、人生の歩き方を見つけられたのかも知れないと感じた。
映画として客観的に見ているから、他人の無神経さを見ているようなもやもやした気持ちになったというのもあるだろう。私自身も、違う形だが失敗して誰かに迷惑をかけ傷つけて、自分の未熟さを学んだ経験はある。この映画がそういった人生経験を主人公補正なしに描いているからこそ、あの未熟な自由さを見てどこか身につまされ、そこに抵抗感を覚えたのだろうか。
ユリヤ以外が静止した世界の描写、ドラッグでトラップした時の映像表現は幻想的で面白かった。ユリヤ役のレナーテ・レインスベの美しさ、北欧の風景や洗練されたインテリア、何より終盤でのアクセルの聖人のような言葉が癒しだった。