コンパートメント No.6のレビュー・感想・評価
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90年代後半のロシアに灯ったほのかな希望。
ちょっと男側に甘すぎませんか?というくらい、粗野だけどナイーブなキャラがナイーブってことで許されてはいる。いい映画だと思うし、元バックパッカーとしては90年代の鉄道旅行の雰囲気がちゃんと伝わってきてたまらないんだけど、さすがに酔っているとはいえコンパートメントに乗り合わせた女性を売春婦扱いして触ろうとする輩を「まあまあ昔の時代の設定だから」でスルーしていいものかと考え込んだ。しかしフィンランドにまつわる記事を読んでみると、90年代のフィンランドは売春のまん延が社会問題になり、国外に稼ぎに出ていた女性も少なからずいたようで、僻地に向かう外国人女性を、炭鉱夫目当ての売春婦と思い込むのも、よくある話だったのかも知れない。『タイタニック』が共通の話題になったり、モスクワの大学教授が生徒と半ば公然と同性愛の関係を結んでいることなど、当時の世相は開放的になっていたことは間違いなく、冷戦が終わり、鉄のカーテンが瓦解して、ロシアは一度陥った経済的危機から立ち直りつつある時代だった。だからこそ、混沌の中での最悪の出会いからも、ポジティブな要素を見いだせたように思う。ロシア関連の世界事情がこじれまくっている今となっては、この映画が照らすほのかな希望が、すごく昔かはるか遠い未来のことに思えてします現実が恨めしい。
どんでん返し
むか〜し、むかしに乗った寝台列車が記憶の彼方から蘇ってきた
あの頃は貧乏だったのに幸せだったなぁ……
ロシアにもあの日本の寝台列車に似た列車があると知り親しみを感じた
ただ、酔っぱらいのリョーハが絡むあたりまでは、チョイスを間違えたと思ってたが、映画が進むに連れ、じわりじわりと曇りだった空が晴れてくるのを感じた
ラストシーン
「ハイスタ・ヴィットゥ」が、実は愛してるではなく(くたばれ)だと知った時の、なんとも爽やかな微笑みが主人公のラウラの笑顔よりも早く自分の中で生まれていた
ロシア人って可愛い!!
プラットフォームで雪と戯れてすねる?彼もキュンです
ソックリの似顔絵をもらった時の心情が青い目を通して表れたシーンもキュンです
ラウラのために夢を叶えようと奔走する姿もキュンです
ムルマンスクに向かう車の後部座席でお互いが寄り添って寝てるシーンもキュンです
最果ての地で猛吹雪の中、大人の男女が子供のように遊ぶシーンもキュンです
見ず知らずのラウラ達にお酒をくれたロシア人は、日本の田舎にいる親切な村人達とオーバーラップしてGood
メディア等によって作られ刷り込まれたイメージとはかけ離れたロシア人がそこにいた
きっとウクライナ侵攻でロシアだけが悪者にされているのも刷り込みなのだろう
エンドロールが流れ始めた時には、日本晴れならぬロシア晴れ?のスッキリした雲一つない青空が心に広がっていた
人生における出会いの「妙」が、自分の中で暖かく熟成していくのを感じた
後で、カンヌ国際映画祭でグランプリを取ったと知って、ビックリ&納得
そして監督のこの映画に込めた想いを知れば知るほど、感慨深くなっていく
あぁ、いい映画に出合えてよかった
これも「妙」
国境線
ロシアとフィンランドは国境を隔てているという事実 これを知らないと今作は全く以て心に届かない、邦画によくあるソフトストーリー的プロットに落とし込む帰着に思考を選択してしまいがちになろう 偶々寝台列車の4人個室の相席になったフィンランド人とロシア人の孤独感と共感と、そして距離を縮める淡い思慕 勿論、それだけでも旅情の中での心の変遷を感じる列車ロードムービーとして成立するのだろうが、前述にある、政治的問題が今作のベース足らしめていることを忘れてはいけないと思う・・・ ということを観賞後に考察サイトを調べて自分も初めて知ったことを恥を承知で記載する
"ペトログラフ"云々は、単なる社会階級のメタファーに過ぎない 上流階級に憧れと、しがみつく疲労感 方や一発逆転を夢見ながら今日の生活も儘ならぬ身上 二人とも理想と現実のアンバランスに苛まれる現実なのであり、そんな二人を乗せた列車が国境と並行しながら極北へ進んでいく地理的描写が見事である 個々人は国が違えど同じ悩みや境遇の中で、シンパシーを感じ合える しかしこれが国家同士となると・・・・ 途端に敵同士に変換と相成る この不条理を作劇として落とし込んだ制作陣の意図をきちんとカンヌは評価した結果であろう、グランプリ受賞である 『ハイスタ・ヴィットゥ』のフリオチは、政治を薄めるための制作陣の中和剤といったところだろう 今作プロット、多分世界中の隣り合わせの国の映画制作として活用できる内容なのではないのだろうか、そしてそれが毎年可能な限り作り続けることが、世界の緊張を解きほぐすことが可能な装置の一つだと期待するのは、自分の単なる幻想なのだろうか・・・?
寝台列車
1990年代のモスクワが舞台。
意志薄弱なフィンランド人留学生ラウラと粗悪でぶっきらぼうなロシア人リョーハの同室になった寝台列車の珍道中。
本当に同室の方がだらしなく、アル中っぽかったら、そりゃ部屋も交換したくなるよね。
匂い、音、盗難など長い旅には切実な問題。
特殊な空間により、不器用な二人は人との付き合いを次第に学んでいく。
リョーハの強引な不思議な力により、古代のペテグリフに着いた二人は楽しそうだった。
正に恋人風。
最後に似顔絵つきクソッタレと書かれた手紙を読んだ時の表情は微笑ましかった。会った当初に愛してるは何て言うのと聞かれ、クソッタレと教えたのだ。
二人は短期間で人との付き合いを成し遂げた。そして、心と身体という自分をさらけ出した瞬間であった。+ラブストーリー。
愛の告白がクソッタレ
モスクワから、北へ向かって一直線。世界最北の不凍港ムルマンスクまでの2,000kmの列車移動でございます。多分、今、賑わってると思うんですよね、ここ。ロシアへの制裁破りの諸物資輸送をするとしたら、ここが拠点だろうと。
男女の出逢いの物語です。Boy Meets Girlです。ちょっと歳は行ってます。いい大人の出会い系。ドキドキ要素ゼロ。萌え要素ゼロ。と言うか、北極圏の気温のごとく、むしろ (-)です。氷点下です。でも、なんかジワるロードムービー。
無骨なリョーハ。単純です。分かりやすい性格してます。ストレートです。女慣れしてません。口下手です。ついでに字も下手です。
第一印象はクソッタレ。徐々に惹かれていく女ごころが、やっぱり良く分からないんですが、ワタクシ的には。リョーハ画伯の、気持ちのこもった似顔絵に書き添えられた、愛の告白の言葉に。
そうだよ、最初、私は彼をクソッタレだと思ったんだよね。
なんで今は、チョメチョメなんだろ。可笑しい。笑っちゃうよ。
って言うオチにジワるという、四か国合作映画。いやー、なんか、このジワジワ来る感じが良いです。
好き。
結構。
結局、寝てしまった
頑張って最後の近くまで起きてたつもりだけど、二人が海岸に行ったあたりで寝てしまったのか、いつのまにか、リョーハがいなくなってた。
あんなに簡単にくっつくかな〜ってのが率直な感想。
この映画がそんなに評価される理由がよくわかりません。
あと、主人公の年齢も。
携帯電話はなく、テープによるビデオカメラ、ウォークマンなどが利用さ...
携帯電話はなく、テープによるビデオカメラ、ウォークマンなどが利用されるところから1990年代と思しき冬のロシア・モスクワ。
フィンランドから考古学を勉強するためにやって来た留学生ラウラ(セイディ・ハーラ)は、大学の文学専攻の女性教授のもとに身を寄せている。
周囲からは「下宿人」と揶揄される、いわゆる同性の恋人的存在だ。
そんなラウラは恋人の教授と一緒にロシア最北端・世界最北端のムルマンスクにあるペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、恋人の教授が急に多忙を言い出し、ひとりで行くこととなった。
盛大な送別会のあとにラウラが乗り込んだ寝台車のコンパートメント6号の相席となったのは粗野なロシア人の青年鉱夫リョーハ(ユーリ・ボルソフ)。
リョーハの粗野で粗暴で失礼な態度に腹を立てうんざりするラウラは、途中駅で恋人の教授に電話をするが素っ気ない。
途中乗り合わせたフィンランド人男性は、人当たりは良かったが、思い出を記録したビデオカメラを盗まれてしまう。
挙句、ムルマンスクに到着したが、冬はペトログリフへの道路は封鎖されているという・・・
といった物語で、気の合わない男女が乗り合わせて・・・というのは『或る夜の出来事』から『恋人までの距離(ディスタンス)』までおなじみの趣向で、あらすじに書いたムルマンスクに到着するまでの寝台車でのエピソードや描写にはそれほど面白いところがありません。
(といって、まるっきりツマラナイわけではないですが)
俄然面白くなるのは、ムルマンスクに着いてから。
ペトログリフを観に行けなくなったラウラは、ホテルから紹介された別の観光ルートに出たりするのだが、思い断ち難く、結果、ムルマンスクの鉱山で働く喧嘩相手のリョーハを頼ることに。
そこからペトログリフを目指す行程が難儀で困難。
結果ふたりは、いわゆる「ハラハラドキドキを共にした男女は恋人になる」(by『スピード』)の格言どおり、豪雪の中のペトログリフ行の中で急接近することになります。
いやぁ、この終盤がいいんですよ。
なにがいいって、ペトログリフをカメラで写さない。
ペトログリフはあくまでマクガフィン。
こいつが素晴らしかろうが、素晴らしくなかろうが、そんなことはどうでもよいのよ。
重要なのは、雪投げ、浜に打ち上げられた廃船、そういう小道具。
生死は賭けないけれど、妙にハラハラしたりドキドキする、そういう類のもの。
最後の最後は、前半、ラウラがリョーハに教えた「くそったれ」というフィンランド語が「月がきれいですね(by夏目漱石)」となって現れるあたり、とっても微笑ましい。
なお、ラウラは30代後半の留学生という設定らしい。
どうりで、ちょっと薹が立っていると思いました。
北へと向かう列車に乗り海岸の岩に掘られた昔の絵を見に行く女性。乗り合わせた男との道行を描いたロードムービーです。
列車の旅・北国・出会い。…うん。
何かが起こりそうな予感。そんな雰囲気を
感じたような気がしたので鑑賞することに。
ですが…
正直なところ、
良く分からない内に終わってしまった感じです(…泣)。
最後まで理解できなかったのが
「行動の動機付け」 …う~ん
一緒に旅するハズだった恋人(?)に振られた女性。
自分一人でも行く と乗った寝台列車の部屋には
危なそうな雰囲気の漂う若い男。
タバコぷかぷか。酒をぐびぐび。
つまみが口からポロポロと落ちようがお構いなし。
(これと同室?)
速攻で車掌室に向かう主人公。「他の個室にして!」
しかし、他は全て埋まっていると言われ
仕方なく部屋に戻る。
男はロシア人らしい。エストニア人を嘲り
ロシアに無いものはない …と豪語するこの男
この列車の行き先の港で働いているようだ。
女性がフィンランド人と知り、話しかけてくる。
挨拶の言葉を聞かれたり、
「これを何という?」と尋ねてきたり。
何をしに行くのかを問われ、女性が答える。
「ペトログリフを見に行く」 と。
列車の行き先は「ムルマンスク」。
そこの海岸の岩に先史時代の「絵」が掘られていることで
有名らしい。ペトログリフとは、その画のことだ。
ただ、そこはロシアの中でも北に位置する極寒の地。
思い立ったら見に行ける そんな場所ではなさそうだ。
列車内や停車する駅の構内での場面が続く。
切符の無い旅の男を個室に入れてあげたところ
途中の駅でその男は立ち去っていくのだが
その男にビデオカメラを盗まれてしまっていた(らしい)
モスクワでの想い出が記録された大事なカメラを
盗まれて落ち込んでしまう彼女なのだが
ロシア人はそんな彼女を殊更に慰めるでもない…(んー)
いよいよムルマンスクに到着。
さあペトログリフへ …の流れかと思えば
「この季節(冬?)は通行止めだ」 …えっ?
行く手段が無いと言う …えっ?
となっているところに再びロシア男登場。
「車を手配した。一緒に行くぞ」 …えっ?
「連中は仕事をしない奴らだ」 …(そういう問題なのか?)
というわけで、 行けることになり …えぇぇ
目指すはブリザード吹き荒ぶ凍てつく海岸。
さあ、そこで見たものは…
とまあ、こんな感じなのですが、
何といいますか。達成感とか満足感とか。
そういったものが余り感じられない作品
との印象のまま終わりました。 ふぇぇ
ドラマと捉えるのではなく、
列車を舞台にしたロードムービーだった
…そう考えればいいのでしょうか。 はて
ロシア北端の海は寒そうでした。
◇あれこれ
作品の背景等も良く分からないまま鑑賞し
すっきりしないまま終わってしまったのが悔しくて
この作品のコトを少しだけ調べてみました。
■ペテログリフとは?
岩石や洞窟内部に掘られた文字や絵の彫刻こと。
ロシアに限らず、アメリカのユタ州やハワイなど
世界の各地にあるみたいです。海岸限定ではなさそう。
日本にもあるらしいです。
■ムルマンスクって?
フィンランドの北部と国境を接するロシアの州。
アイスランドよりも高い緯度にあります。寒いハズ。
港町です。接する海は北極海…ではなかった。
北極海はさらに一段北です。 凍えます。ぶるぶる。
■モスクワからムルマンスク
鉄道で1日半がかり。1,488㎞あるとのこと。
日本国内の場合、青森市から山口市まで
車での走行距離(日本海ルート)が 1,476㎞。
本州の端から端までの距離。
うーん。遠いです…。
座りっぱなしだと尻が痛くなりそう…。
◇最後に(…というか 願い)
2021年の制作で2023年の公開の作品。
制作が4か国の合作。
フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ。
…うーん。
政治と芸術は分けて考えれば良いのでしょうけど…。
「T34」を心から楽しめる時代に戻りますように。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
恋人のドタキャンのせい一人でペトログリフ(岩面彫刻)を見に旅に出るロードムービーだが、汚れと暖房で曇った車窓から見える低層の灯りのように、作品全体がほんのりと懐かしい。
主人公ラウラの不機嫌な顔が、旅をすすめるにつれ和らいでいき、同室の粗暴な男との関係も変化してゆく。途中の珍入者や車掌なども含め、人は見かけではわからないという示唆も興味深い。
ロシアの古びた列車、サービスの行き届かないお国柄、極寒の地とは反対の意外と人懐こく優しい民族性など、さりげない表現で伝わる演出の上手さ。吹雪の中での雪合戦は撮影も困難を極めただろうが、クライマックスに相応しい熱を感じる。
オープニングでのパーティーシーンではラウラと恋人の関係性を映し出すが、この列車の旅は、高等教育を受けた知的階級への憧れを「愛」と錯覚していたラウラがそれに気づく旅でもあったのだ。
ウォッカ、ビデオカメラ、似顔絵、行き先、「愛してる」、など、たくさんのヒントをちりばめながら自然にそれらがつながってゆくストーリーに唸った。
この監督の前作「オリ・マキの人生で最も幸せな日」もそうだつたが、フィンランドの音楽事情はこういう感じなのか?それともカウリスマキを意識しているのか。これもまた楽しい。
ペトログリフ
レスビアンのはずの主人公が、男性に恋してしまうが、男性は見た目ほど荒々しくなく、性に対して消極的。男性は子供っぽくも見えるが、しっかりしている。性を求めて、さすらう女性の生きざまが痛々しくて、心を打たれる。
主人公がフィンランド人で、男性がロシア人の労働者、主人公の恋人だった大学教授はロシア人のインテリ。労働者とインテリの対比が戯画的だがそこが面白いし、ロシア人のイメージも戯画的で、そこも面白い。その面白さに気を取られてみていると、この程度の面白さでカンヌで賞がとれるのか?と興ざめしてしまう。列車の中だけの狭い空間の話で、映画の質に疑念を抱く。
ところが、主人公が男性に積極的になるのに、男性がその欲求に答えないあたりから、痛切さが胸を打つ。男性は主人公の望みを満足させるために力を振り絞り、ペトログリフを見せる。でも、ペトログリフの問題ではない。最果ての氷の海に男女2人。
主人公は男性と別れて一人になって微笑む姿が痛々しい。でも、ロシア人の男がプーチンに似てるのは偶然ではなく意図的に見えるので、0.5点減点。
無味無臭
ちょい久々のレイトショーへ。意外と客入りがあるのは賞を多く受賞しているからですかね。
結構評判良いなと思っていましたが、全部観終わってもなんじゃこりゃ?っていう感想が最初から最後まで付き纏っていました。
列車の中で進むロードムービーっていうのは観たことないなと思いましたが、観たことないのも納得で面白くならないというのがありました。全体的に下車する以外は景色が変わらないのもあって、かったるいなと思ってしまいました。自分の思い描くロードムービーは徒歩や自転車や車で展開が目まぐるしく回る作品が多いので、そっちを想像したっていうのもありました。
同室の男・リョーハの第一印象が最悪だったのに、後半になるにつれて主人公ラウラが何故か惹かれていくのが謎でした。そりゃ一晩泊めてもらったり、盗まれてカメラのことを思ってくれたり、ペトログリフを観にいくのを手伝って貰ったりとそういうシーンはありますが、それを超える悪行(主にダルい絡みだったり、悪態をついたり、同室に見知らぬ男が入ってきたら彼氏かのように拗ねたり)があったので、こいつにそんな情熱的なキスなんてするか?と共感できなかったのもハマれなかった要因です。
他のキャラもそこまで良い奴が多いわけじゃないのも引っかかって、車掌はだいぶぶっきらぼうですし、ギター男はなんかひょうきんでカメラ盗んでいきますし、宿泊したホテルのスタッフも接客態度は最悪ですしで、周りの環境もアレなのが今作に小さな不快感を生んだんだと思います。リョーハがスタッフに対してちょい威圧的なのも苦手だなと思いました。お婆ちゃんは良い人でした。
雪で2人がじゃれあってる映像を見て、一体何を観せられているんだ?と思いました。雪国の美しさも岩面彫刻の美しさも何も感じませんでしたし、音楽に頼りきって後は放ってしまった終盤も個人的には受け入れられませんでした。
感じる人には感じるものがある作品だと思いますが、ジャンル映画を好む自分には相性が悪かったです。こういう作品も観ねば…!とは思いつつも、どうにも当たらないがために避けてしまっている現状です。去年やった「ロスバンド」は大好きなんですけどね…。
鑑賞日 2/20
鑑賞時間 20:55〜22:50
座席 G-4
凍てついた世界の美しいロードムービー
登場人物たちの心の旅を映し取った佳作。内面の旅を終えた後に芽生えた希望はとても美しく、鑑賞する私たちも心が洗われるような良い気分に浸れる。時間を止めたペテログリフという過去の遺物を求める儚い一生の人間の心の触れ合いの危うさと美しさ。人と人がつながるのはどれだけ素晴らしく、価値のあるものだろうか!「Fuck you」に「I love you」の意味を肯定的に持たせたら、人本来の言葉を越えた繋がり「愛」が出来上がる。「袖振り合う多生の縁」とは言い得て妙だ。
長いトンネルを抜けると....
全編通して画面は暗い。車窓から見える景色も灰色、寒々しい光景が広がるだけで旅の高揚感は皆無。
考古学専攻の学生ラウラはパートナーと行くはずだった旅行をキャンセルされ、一人で旅をすることとなる。しかし、相部屋となったのは粗野なロシア人の酔っぱらい男だった。図々しく無神経なロシア人リョーハはインテリのラウラには耐えがたく、車掌に訴えるが聞き入れてもらえない。
結局観念してやむを得ず部屋に戻るが、粗野で最悪だと思っていたリョーハはラウラがいない間、部屋を子連れの女性に使わせたりと意外に素朴で優しい一面を垣間見せる。彼を避けていたラウラも次第に打ち解けてゆく。
しかし、彼女が打ち解けて住所を教えてというとそんな交流は無意味だと突っぱねる。避けていれば強引に誘ってきながらこっちが距離を詰めようとすると逃げようとする。とても難しい相手だ。
リョーハを優しく抱きしめるラウラだったが、それを境に彼は彼女の前から姿を消してしまう。目的地に着いたラウラはペトログラムには冬場はいけないと聞かされる。リョーハが働くと言っていた採石場に伝言を残すとホテルにやってきた彼は彼女をペトログラムへと連れていってくれた。
目的を達成した二人は吹雪の中子供のように雪遊びをして無邪気にたわむれる。別れ際、リョーハが渡したラウラの似顔絵の裏には愛してるを意味するフィンランド語のくたばれの文字が。
ロシアとフィンランドは国境が長距離にわたって接する隣国同士。かつてロシアから独立しながらもソ連時代に何度も侵略を受けたフィンランド。
国の位置は変えることができない。難しい隣国とうまくやってゆくためにフィンランドはロシアを刺激しないよう中立的立場をとってきた。
しかし、今回のウクライナ侵攻でいままで避けてきたNATO入りを果たし、ウクライナへの軍事支援も行った。もはや中立的立場を維持できないほどまでにロシアの暴走は目に余るものがある。
現実世界での両国は長いトンネルを抜けるのはまだまだ先のようだ。
本作の作り手は相部屋となってしまったロシア人とフィンランド人の二人が最初は互いを忌み嫌いながらも最後には互いを受け入れてゆく様を描き、未来に希望を見いだそうとしている。
今まで暗かった画面が、似顔絵を受け取ったラウラが笑顔となる瞬間、初めて暖かい陽射しがさし、明るい画面となる。まるで長いトンネルを抜けたかのように。
凍てつく世界を舞台に、よくある話の体裁を借りながら、分断を融和に変えたいと願う北の国の映画人の想いを感じる。それと、映画は世界共通の言葉で有ることをそれとなく挿入していることも…
①粗筋は古典的とも云える一つ部屋に乗り合わせた二人が初めは反目しながら最後は心が通い会う(好きになる)というお話ながら、その二人が片方がフィンランド人、片方がロシア人というのがミソ。
②映画のなかで少なくとも二回、「歴史(過去)を知ることは現在を理解することになる」という台詞が繰り返される。
隣国であるこの両国の長い歴史を知らなくては本当にこの映画を理解出来ないのかも知れない。
しかし、現在のヨーロッパに限らず世界を覆っている分断の動きをを融和の流れに、新たな冷戦の雪融けを願う映画人の想いが込められたこの映画が、(決して抜きん出た傑作とは思わない)カンヌ国際映画祭のグランプリに選ばれた一つの理由ではないかと思う。
③見たかった岩絵の場所にたどり着いた後、ラウラが連れていってくれたリョーハと荒涼とした銀世界の中でふざけあううちに、打ち捨てられた船の甲板に座った時に、突然リョーハがラウラに「タイタニック観た?」と訊ね、「観たわ。私たちも死ぬのかしら?」「ローズは生き残ったよ」「ローズも晩年には亡くなったわ」という会話を交わしたのを観て、
愛よりも確かなもの
誰かに憧れてその人の一部になりたくて
自分が好きではないものも好きになろうとし
いつしか自分を見失って満たされない気持ちだけが残る
寝台車に偶然乗り合わせた粗野な男リョーハは不機嫌そうな彼女が見たいという何だか知らないし何故それを見たいんだかもサッパリ分からないけどナンタラカンタラ(最後までペトログリフを覚えられないリョーハ)ってものを見たいという
彼女にはそれを見ることがとても大切なことだということは分かる
だから手伝ってあげたい
頑なだった彼女の心が少しずつリョーハに打ち解けていく
自分を見つめることが出来た彼女にはもうペトログリフなんて必要ない
内なる自分に乾杯
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