コンパートメント No.6のレビュー・感想・評価
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長いトンネルを抜けると....
全編通して画面は暗い。車窓から見える景色も灰色、寒々しい光景が広がるだけで旅の高揚感は皆無。
考古学専攻の学生ラウラはパートナーと行くはずだった旅行をキャンセルされ、一人で旅をすることとなる。しかし、相部屋となったのは粗野なロシア人の酔っぱらい男だった。図々しく無神経なロシア人リョーハはインテリのラウラには耐えがたく、車掌に訴えるが聞き入れてもらえない。
結局観念してやむを得ず部屋に戻るが、粗野で最悪だと思っていたリョーハはラウラがいない間、部屋を子連れの女性に使わせたりと意外に素朴で優しい一面を垣間見せる。彼を避けていたラウラも次第に打ち解けてゆく。
しかし、彼女が打ち解けて住所を教えてというとそんな交流は無意味だと突っぱねる。避けていれば強引に誘ってきながらこっちが距離を詰めようとすると逃げようとする。とても難しい相手だ。
リョーハを優しく抱きしめるラウラだったが、それを境に彼は彼女の前から姿を消してしまう。目的地に着いたラウラはペトログラムには冬場はいけないと聞かされる。リョーハが働くと言っていた採石場に伝言を残すとホテルにやってきた彼は彼女をペトログラムへと連れていってくれた。
目的を達成した二人は吹雪の中子供のように雪遊びをして無邪気にたわむれる。別れ際、リョーハが渡したラウラの似顔絵の裏には愛してるを意味するフィンランド語のくたばれの文字が。
ロシアとフィンランドは国境が長距離にわたって接する隣国同士。かつてロシアから独立しながらもソ連時代に何度も侵略を受けたフィンランド。
国の位置は変えることができない。難しい隣国とうまくやってゆくためにフィンランドはロシアを刺激しないよう中立的立場をとってきた。
しかし、今回のウクライナ侵攻でいままで避けてきたNATO入りを果たし、ウクライナへの軍事支援も行った。もはや中立的立場を維持できないほどまでにロシアの暴走は目に余るものがある。
現実世界での両国は長いトンネルを抜けるのはまだまだ先のようだ。
本作の作り手は相部屋となってしまったロシア人とフィンランド人の二人が最初は互いを忌み嫌いながらも最後には互いを受け入れてゆく様を描き、未来に希望を見いだそうとしている。
今まで暗かった画面が、似顔絵を受け取ったラウラが笑顔となる瞬間、初めて暖かい陽射しがさし、明るい画面となる。まるで長いトンネルを抜けたかのように。
とにかく寒すぎて…
80年代から90年代の『地球の歩き方』ロシア編があれば見てみたい。
ムルマンスクとペトログリフ(顔面彫刻😆とわざと間違えて自分ツッコミしたくなりますが、正しくは岩面彫刻です)、載ってるかな?
行った❗️見た❗️投稿した❗️
という方、いらっしゃいませんか?
あの頃、写真家藤原新也さんの『インド放浪』という本が一部の若者を突き動かして、文字通りインド放浪旅を敢行した友達がいました。インダス川に浮かぶ死体を日常の風景として普通に見てきた、とか言ってたような…⁈
現地情報について何も知らないので、この頃と比べてロシアの寝台列車の衛生環境がどれだけ向上したのかもまったく無知ですが、今の日本の暮らしに慣れてしまった私などには絶対無理です、こんな旅は❗️
使い捨てカイロだって、あのような環境の場所で捨てるのは憚られるし、雪はいくらでもあるけれど、飲み水や温水シャワーも期待できないし…すっかり軟弱に堕してます😫
ラストでホッコリしても、こんなひとり旅をしてみたい、なんて思う人は果たしているのだろうか。
この映画は、良い作品であるとか心に響く、などと感じる前に、あまりに寒そうで凍えてしまう体感的な印象のほうが強烈なので、〝寒さに震えた〟という感想しか残ってないというのが正直なところです🥶
凍てつく世界を舞台に、よくある話の体裁を借りながら、分断を融和に変えたいと願う北の国の映画人の想いを感じる。それと、映画は世界共通の言葉で有ることをそれとなく挿入していることも…
①粗筋は古典的とも云える一つ部屋に乗り合わせた二人が初めは反目しながら最後は心が通い会う(好きになる)というお話ながら、その二人が片方がフィンランド人、片方がロシア人というのがミソ。
②映画のなかで少なくとも二回、「歴史(過去)を知ることは現在を理解することになる」という台詞が繰り返される。
隣国であるこの両国の長い歴史を知らなくては本当にこの映画を理解出来ないのかも知れない。
しかし、現在のヨーロッパに限らず世界を覆っている分断の動きをを融和の流れに、新たな冷戦の雪融けを願う映画人の想いが込められたこの映画が、(決して抜きん出た傑作とは思わない)カンヌ国際映画祭のグランプリに選ばれた一つの理由ではないかと思う。
③見たかった岩絵の場所にたどり着いた後、ラウラが連れていってくれたリョーハと荒涼とした銀世界の中でふざけあううちに、打ち捨てられた船の甲板に座った時に、突然リョーハがラウラに「タイタニック観た?」と訊ね、「観たわ。私たちも死ぬのかしら?」「ローズは生き残ったよ」「ローズも晩年には亡くなったわ」という会話を交わしたのを観て、
「そこ」から追放された人間のしあわせとは。
2021年。ユホ・クオスマネン監督。フィンランドからモスクワに留学している女子学生は大学教授の同性パートナーと暮らしている。一緒に最北端の考古学的な岩絵を見に行くはずだったが、教授の都合が悪くなり、一人で行くことに。ところが、寝台列車の同室になったのは粗野でマナーのかけらもないロシア人の若い男。酒を飲んで絡んでくることに辟易していたが、どうやら自身は教授に体よく追い払われたことに気づき始めると、男の優しさと向き合うようになって、、、という話。
同性志向から異性志向へと性志向を変えていく家父長的な物語と受け取られかねない危険を冒してまで描いているのは、教授とその仲間たちがつくっている高尚で鼻につく知的共同体への憧れ。冒頭の主人公と教授のベッドでの振る舞いを見れば、そもそも主人公が同性志向だったのかどうかさえ怪しいが、知的共同体への憧れは見まがいようがない。「そこ」から見放されたと気づいたときにはじめて、主人公はロシア人の男と本当に向き合うからだ。途中で同行することになるフィンランドの旅人が英語をしゃべってギターを奏でる文化的な男であり、その男に騙されることもまた、男二人と女一人の三角関係的図式(これまた家父長的な女の交換図式)を描きつつ、その本質は文化的なものからの追放だ。「そこ」から追放された若い主人公の絶望と希望の話。
旅行前の室内からカットすると列車の客室内シーンとなり、すでにロシア人の男は座っていて出会いのシーンがないとか、列車が一晩止まる時に男が知り合いの家に誘ってそこで一晩過ごすのだが、結局その高齢女性の素性は明かされなかったりとか、手順を追って丁寧に話を作り上げていくわけではない。そもそも男の素性が謎だったり、いつ主人公に思いを寄せ始めたのか、それはなぜなのかもわからない。(中盤まではてっきり自殺願望がある男だと思っていたのだが)。なんとも不親切だというほかないが、それでも伝わるものがある。それがすごい。
寝台列車の旅 in ロシア
愛よりも確かなもの
誰かに憧れてその人の一部になりたくて
自分が好きではないものも好きになろうとし
いつしか自分を見失って満たされない気持ちだけが残る
寝台車に偶然乗り合わせた粗野な男リョーハは不機嫌そうな彼女が見たいという何だか知らないし何故それを見たいんだかもサッパリ分からないけどナンタラカンタラ(最後までペトログリフを覚えられないリョーハ)ってものを見たいという
彼女にはそれを見ることがとても大切なことだということは分かる
だから手伝ってあげたい
頑なだった彼女の心が少しずつリョーハに打ち解けていく
自分を見つめることが出来た彼女にはもうペトログリフなんて必要ない
内なる自分に乾杯
不思議で不自然なものを楽しめるか否か
列車で長旅ができる幸せ
大きな大きなリュックを担いでヨーロッパをぐるぐると長旅する若い人達を昔よく見た。でかいリュックー!と感動した私はおじさんが持つような手持ちの旅行鞄(父親に貰った)でぐるぐる旅をしていた。今でも大きなリュックで旅する若い人はまだたくさん居るんだろうか?
列車のコンパートメントでは色んな人と知り合える。おしゃべりが弾むこともあれば何も話さないこともある。この映画のようにむかついて嫌で面白くて笑っちゃうような出会いはなかったけれど、昔の貧乏旅行を思い出した。
食堂車に二人揃って行くとき、二人ともちゃんとした服を着て彼女はメイクしていた。そういうところに素敵さを感じる。何を頼んでも「ありません」や車掌の愛想の無さにすごく笑えた。でも本当は一人一人心暖かく親切。東ドイツ(DDR)もそうだった。
音楽の使い方がとても良かった。お涙頂戴でも子どもっぽくもなく、自分探しだとかもなかった。フィンランドは人口が550万人位なのになんでこんなに素敵な映画を作ることができるんだろう?デンマークもスウェーデンも英国もフランスもイタリアもドイツもスペインもギリシャも韓国も日本より人口少ない。若い人を育て支援して才能を潰さす伸ばすことができる所なんだろう、日本と異なって。
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