「良いのだが…」ベネデッタ JYARIさんの映画レビュー(感想・評価)
良いのだが…
薄暗闇のなかの炎とかすごく美しかったし、
女性の強さが光っていたとは思うのだけど、
バーホーベンみが強すぎない??
おっぱい過ぎない??
ラスト10分くらいも好きだったのだが、
ベネデッタが愛とか言葉で訴えても、
それおっぱいのことでしょ……
ってなるくらいに、おっぱいだったのよ
(始まりがそもそもそうだったしね)
バーホーベンが撮るからそう言うことに
なるんじゃ無いんかなー
欲を言えば女性監督にとって欲しかった。
バルトロメオが可哀想過ぎてさー
ああいう物語だから仕方ないとしても
ちょっとな、、
あとクリスティーナが幸せになる姿も
見たかったですな……
愛の中に優しさとか温もりとか
そういうものが感じられなかったのよね
そういう描き方をあえてしたのかな?
ただ、あの小道具って最初笑ってしまったけど
めちゃくちゃ秀逸だよね
片方に聖母マリアがいて、片方に性の象徴があって
……って男性性の象徴やないかい
やっぱ何となく納得いかないのよね
ただ本当にベネデッタの抱えてたものって
幼少期から信仰を持ってきて、
ただ本能的にはそれに反抗してるという
非常に引き裂かれるような葛藤だと思う
だから、彼女は自分自身で神を作り出して、
彼女の本能による願いも叶えてた……と思いました
あとシャーロット・ランプリングは
佇まいだけで存在感あって素晴らしかった
すき
長文のご見解、大変ありがたく拝見致しました 本当にお手数お掛けして申し訳ございません それと、ルールは無いと思いますので、お気になさらずお願いします
JYARI様のご見解、大変興味深く受け止めました "あのこと"のシャワーシーンの考察も、気付かされたご見解です
拙い私の恥ずかしい見解ですが・・・
主人公は、自分の躯はもう"器"でしかないと信じたのでしょう 器が服を着るなんてこと自体不自然だと… 中身は全て神と一体化していると思い込んだから躊躇がない
そして賛否が分れる部分が性的快楽と神との一体感故の幸福を直列してしまった、どこかのセッ○ス教団紛いの理念を構築してしまったことなのだと・・・
それを演出する為の過剰露出なのだと考えました 勿論、一般的には受け入れられないし、その代表であるバロトロメアは、最後迄主人公に問い質しました あそこで袂を分かつ境界線は、正に現在の宗教観(なのか、単なる変人か)の分水嶺だと思いました
映画に於ける"境目"を表現する手段として、裸体は直接的で現代では安易かも知れませんが、でもインパクトと分かり易さは否定できません 只、アップデートの模索は必要ですよね
失礼しました
そういう諸々を含め、キャラクターの心と体の不一致を感じ、人物が物語に動かされているようにも思えました。
そのため、他の監督ならどう撮っただろうかと考えた次第です。
もしも別の解釈などありましたら、共有いただけるとうれしいです。
しかし今作に関しては、何か意図があると思えなかったです。
監督が「女性に惹かれる」=「乳房に惹かれる」と考えているとしか。勿論そういう側面もあると思いますが、それが全てでは無いと思います。
例えば、終盤「胸を見せて」とベネデッタが頼みますが、あんな事あるのかと思いますし、監督の趣味にしか見えませんでした。(私に読み取れてない真意があるのかもしれませんが)
いぱねまさま
感じ方は人それぞれだと思いますので、あくまでも個人の感想として受け取ってください。
裸体の演出の過多についてですが、「あのこと」という映画でもシャワーシーンなどで女性の身体を映す場面が多く使われておりました。あれらの場面からは「身体は自分自身のものである」ことを示す意図を感じました。
失礼します
質問なのですが、女性監督ならばどういったところが違っていたのでしょうか? 文面から推察するに、「乳房」を含めた裸体の演出の過多故の事とお見受けしましたが、もし私の見当違いでしたら、宜しければご教示願います
決して悪意を持っての質問ではなく、現在の表現規制について興味を抱いた迄です
不躾な質問失礼しました