「待ってました」アネット Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)
待ってました
待ちに待ったカラックスの新作。
ミュージカルをよく知らない私だけど、カラックスの仕掛けがほんっと面白かった。
アダムドライバー、マリオンコティアールは間違いなく当代きっての名優だ。演技が本職の彼らが、本職ではない歌を歌う。
すると、役との不思議な距離感が生まれ、わずかな指の動き、眼差しに生身の人間としての慎み深さのようなものが立ち上り、素晴らしいと思った。
女神との愛を手に入れながら、破滅を欲望する人間の深い溝。ヘンリーは神から逃走するように大きなバイクを走らせ、次第に自身の愚かさを露呈する。
闇或いは魔の領域に突入したヘンリーの嵐の航海のシーン。世界は自らを起点として絶えず自分自身を生み出しながら変化していく。
その世界(舞台)全体こそが神なのだから、我々は息を止めて映画を観なければいけない。
母は、彼岸の境界からアネットの歌声に蘇るが、アネットは自分にとっては別世界である父が作った世界を体験させられる。ついにスーパーボールのハーフタイムショーで大団円を迎え、前へ進む物語は終焉する。
これまで仮の姿であった化身が輝きをもって出現し、ついに父に別離を告知する。
こうした「物語」は、小説、演劇、オペラ、映画、漫画などに数多く作られる。マリオンコティアールはオペラの物語の中で何度も死んでいた。
一方スタンドアップコメディは「物語」をぶち壊す芸だ。シニカルに痛烈に。
多勢の観客を前に、いかなる危機と裂け目が生じるかを体現するように、ヘンリーもショーの中で何度も死んでいた。
髪を切った囚人姿のヘンリーの中心が、スッと静寂感に包まれていたのが印象的。
カラックスは生ぬるいところがない。