ONODA 一万夜を越えてのレビュー・感想・評価
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外国人監督の視点で捉えた「小野田さん」
Netflixで鑑賞。
小野田さんについては、横井庄一さんと並んで昔のニュースとして親から聞いたことがあった程度です。
本作の存在を知り、戦争は終わっているのに戦い続けた理由が分かるかもしれないと観ることにしました。
キャストに実力派俳優が揃えられており、リアリティーの求められる映像に説得力を齎していました。若い小野田さんを演じた遠藤雄弥の、狂気を感じさせる演技が鮮烈でしたし、中年期の津田寛治の、旅行者(仲野太賀)との出会いからの心境の変化、元上官(イッセー尾形)から任務終了命令を受領した際の憑き物が落ちたような表情が素晴らしかったです。
陸軍中野学校二俣分校時代から始まり、戦後もゲリラ活動を続けていた小野田さんについて丁寧に描いていました。洗脳の恐ろしさを感じると共に、ほぼ外界から遮断され少ない情報を陰謀論的に組み立てる姿には、現代のSNS社会を生きる我我にも通じるものを見出すことが出来、戦慄させられました。
驚いたのは、30年の間に小野田さんの働いた行為(殺人や窃盗など)を包み隠さず描写していたことです。確かにジャングルでゲリラ活動を続けるにはそうせざるを得ないよなと、観るまで思い至らなかったことを突きつけられた感じでした。
もし日本人によって本作がつくられていたとしたら、そのような部分は果たして描かれただろうかと考えました。外国人監督ならではの視点だったからこその描写な気がします。
映画の意図するものを掴みきれず。。。
小野田さんや横井さんの帰国は、
戦争を忘れかけていた国民にとって衝撃だった。
連日、テレビや新聞はこれらの話で賑わい、
他にも取り残された軍人がいる、という
まるでツチノコや雪男を扱うように
捜索隊が組織されたりもしていた、そんな時代だった。
ニュースや新聞が伝える小野田少尉の印象は
精悍で眼光鋭く、野武士とはこういう人だっただろう、
という風貌だった。
主役の津田寛治は、
実物の小野田少尉がまとっていた殺気を見事に再現。
圧倒的な演技だった。
それをかき消すほどに疑問なのは、
映画に挿入されたいくつかの虚構の存在だ。
個人的に、最も引っかかったものに触れておきたい。
小塚兵士が現地警察との銃撃戦で死亡したことは
当時、日本国内で大々的に報道され
(遺体写真が掲載されたりもした)
小野田少尉が生存している証明となった。
映画では、漁民に惨殺されていた。
なぜ、そのように書き換える必要があったのか?
また、実物の谷口少佐は映画でイッセー尾形が
演じたようなだらしない感じの人物ではなかった。
もちろん、「映画」なので
デフォルメや創作は許されるのだが、
製作者の意図や狙いが見えず
大きめのモヤモヤが残ったままになった。
脚本の技巧に唸る
観ながら「戦場のメリークリスマス(戦メリ)
」を思い出していた。
この映画は、出ている俳優こそ日本人だが、監督はフランス人であり、製作にはフランスほかドイツ、ベルギーなどの国名が並ぶ。
本作は「外国から見た視点」で描いている。その点が「戦メリ」に重なるのだ。
「戦メリ」もまた、カンヌを獲るために作られたし(実際に獲ったのは「楢山節考」だったが)、やはり外国資本で製作された。
この映画の主人公は小野田寛郎。太平洋戦争終結から29年間もフィリピンのジャングルに潜み、1人、戦争を続けていたことで知られる人物だ。
小野田は陸軍中野学校二俣分校(旧日本陸軍のゲリラ戦や破壊活動などをおこなう軍人を養成する学校)出身の情報将校だった。
当時、日本軍では「捕虜になるぐらいなら玉砕しろ」と教えていたが、その学校では「何があっても生き延びろ」と指導。彼の教官・谷口(イッセー尾形)は生徒たちに「お前たちに自決する権利はない」とまで言った。
そして谷口は生徒たちに、「自分の指揮官は自分だ」「常に自分で判断して行動しろ」と教え込んだ。
中野学校を出た小野田は、大戦末期のフィリピンに赴任した。米軍の上陸が目前に迫っていた。日本本土攻撃の足がかりとするためである。
小野田に課せられた任務は、遊撃戦をおこなって敵を撹乱し、やがて味方が合流するのを待つ、というものだった。
やがて米軍の上陸部隊が押し寄せ、日本軍は壊滅する。そして小野田は島の内陸部のジャングルに身を隠した。
それから29年。
なぜ小野田は、こんなにも長いあいだジャングルの中で生き延びたのか?生き延びられたのか?
それは、彼が中野学校で「生き延びろ」という教えを叩き込まれたからであろう。
そう、あの学校で教え込まれたことは、彼が生き延びる力となったのである。
だが、29年目に、ついに小野田は日本に帰ることになる。
日本から来た若い旅行者の鈴木(仲野太賀)がジャングルに潜む小野田を探し出し、「日本に帰りましょう」と説得を試みた。
鈴木は戦争がとっくに終わったことを、そして日本は平和になったことを、もちろん小野田に伝えた。
しかし、小野田は納得しない。命令が必要だと言うのだ。
鈴木は帰国して谷口を探し出し、再び彼とともにフィリピンに赴く。
そして谷口から武装解除の命令を聞いて、小野田はようやく銃を下ろすのだった。
谷口は中野学校で、小野田に「自分で判断しろ」と教えた。
小野田は、その教え通りにジャングルの中で工夫を重ね、サバイバルした。
だが、それは小野田にとっては、あくまでも「命令」だった。つまり、「自分で判断しろという命令」に従っていたに過ぎないのだ。
もし、彼が本当に「自分で判断」することができるのなら、最初の鈴木との対面で帰国を決断したはずだ。
「自分の指揮官は自分」のはずではなかったか?
だが小野田は、「戦争をやめる」という、さらに上位の命令を必要とした。
谷口の「必ず生き延びろ」、そして「自分で判断しろ」という教えがあったからこそ、小野田はジャングルの中で生き延びてこられたのだろう。
だが、一方で、小野田は命令に従い続けて、戦争を止めなかった。
これはどういうことか?
この点こそが、本作が作られた動機ではないか。
もちろん、1人の兵がジャングルの中で29年間も残って戦争を続けたという事実だけで、一本の映画を作れるほど特異なことである。
だが、小野田のケースを外国人の目で見たとき、さらに特異に写ったのは、生き延びたのは「生き延びろ」という命令があったからで、そして、「自分で判断しろ」と命令されて「自分で判断した」という点なのだ。
外国の目から見て、日本人における個人(小野田)と組織(軍の命令)という問題を、小野田寛郎という特殊なケースの上に描き出す、これが本作のテーマなのである。
このような本作のテーマ上、極めて重要なのは教官の谷口である。
小野田をジャングルの中で29年間ものあいだ戦争を続けさせ、そして、最後に戦争を止めさせた存在。つまり、この物語の起点でもあり、終点でもある。
そして後述するが、この映画は、小野田と対になる存在として谷口を置いている。
その役に本作はイッセー尾形を配した。このキャストは絶妙だ。
中野学校の教官として、穏やかに話しながらも小野田に絡み、追い詰める酒席のシーンの凄みは出色である。イッセー尾形の登場するシークエンスは限られるが、彼の演技は観る者に強烈な印象を残す。
戦争中の谷口は、当時の国家の価値観を体現するような存在である。特に、教官という立場ゆえ、彼が教える中野学校の生徒たちにとっては、とりわけそうだったろう。
一方、戦後の谷口は、自分を探し当てて訪ねてきた鈴木を相手に、過去の身分を隠そうとしていた。田舎町の古本屋という、どう見ても世間とは距離を置いた小人を演じようとしていた。
そう、小野田に流れた29年間という歳月は、谷口にも流れたのである。
そして、その29年間で谷口は変わったが、小野田は変わらなかった。
だが谷口の変化は望んだものだったのだろうか?こうまで変わった彼の、ほんとうの姿はどちらなのか?
一方の小野田は「命令」があったから変わらなかった。
この対比が示す残酷さが、深く考えさせられる。
ラスト近くになると、長回しで小野田の顔を捉えるクローズアップが多用される。
この映画は長い。長いが、その長尺で積み重ねてきたものが、このクローズアップで生きる。
小野田の顔には、29年間という年月が確かに刻まれている。そのことを表すために、小野田を演じる俳優は交代している(青年期の遠藤雄弥から壮年期の津田寛治)。
一方、「変わった」谷口演じるイッセー尾形は変わらない。これは逆に谷口の変化を際立たせていて、この辺りも実に巧い。
小野田がフィリピンのジャングルの中をさまよっているあいだも、谷口は、小野田の中にずっといた。
つまり、谷口はスクリーンに姿が見えなくても、本作の全編を通じて存在していたのだ。
そして、小野田=個人、変わらないもので、これに対して谷口=組織(国家)、変わるもの、と、この2人を対置させて描いている。
この脚本の技巧に唸る。
谷口の変化とは、日本の変化だ。
小野田の帰国は1974年。日本は戦後の高度成長期による繁栄を謳歌していた時代である。
日本は変わった。その国家の命令に、小野田は29年間も変わらず従い続けたのだ。
その過ごした時間はまったく異なるが、小野田も谷口も、国によって人生を歪められた点では変わりはない。
本作の、「個人と組織」というテーマがずしりと響く。
タイトルなし(ネタバレ)
3時間で小野田少尉の30年の戦争を追体験した。映画の尺も、密命としても長すぎる任務(本人は何も口に出さないが)に自問自答する時間を体感させる。
日本から訪ねてきた若者と話し、本当に戦争は終わったのだのだと認めたとき、少尉とともに嗚咽が止まらなかった。
終わってみると地元民の犠牲とか、日本の戦争処理とか、色々頭が向かざるを得ないのだが、映画が少尉個人の戦争に焦点を絞っていたので、それらはここでは置いておきたい。戦闘はほとんどないが、「プラトーン」を彷彿させるつくりだった(ラストカットも同じだ)。
ひとつだけどうしても気になるのはラジオだが、日本語の放送が聴こえるのは(本当のエピソードだとすれば)実際には短波だったのだろうか?
何故、今ごろフランス人監督が小野田少尉の映画を撮るのだろう。
高評価のレビューが多いが、私には普通の出来の映画にしか思えなかった。私はリアルタイムで小野田少尉の帰国を知っているが、何故フランス人監督がこの映画を制作した意図がわからない。
陸軍中野学校でスパイ教育を受けた軍人のことは当時よく報道された。それが敗戦後28年も戦争終結を知らず、戦闘活動を続けていたように描かれているが、それは嘘だろう。グアム島で同じような境遇の横井さんがいるからである。
それよりも小さい頃から受けていた軍国主義教育が下地にあったから、このような悲劇が起こったと私は考える。思想教育の恐ろしさは、現代のイスラムテロ主義に通じる。裁かれるは思想教育だと思う。
映画で投降の呼び掛けは、一度しか描かれていないが、実際は何度も行われたと記憶している。
上映時間が3時間と知り、慌ててトイレに駆けつけた。ダラダラと長い映画と心配したが、緊張感があり最後まで観れた。それでも長い。トイレ休憩が必要だ。
戦争という呪い
フランス人の監督がとったからだろうか。
美談になりすぎていない。
それがいい。
どうしても敗残兵というと終戦を知らされず知らない土地で戦い続けた英雄をイメージしてしまう。
僕も今までそうだった。
しかし、この映画は小野田が現地住民に対して行ったことが淡々と客観的に描かれる。
非難するわけでもなく弁護するわけでもない。
見る人にただただ委ねられている。
そう感じる。
物語の見どころはやはり仲野太賀さん演じる鈴木が島にやってきて小野田と対峙する場面。
戦時中を生きてるものと平和な世の中を生きてるものの対峙が戦争というものがどういうものかを浮き彫りにする。
有事二備ヘ「ゆであずき」ヲ備蓄シテヲリマス
最後の皇国の兵士、小野田寛郎少尉のルバング島のジャングルでの30年間を中心に描いた映画。
ウキペディアの記述と映画の内容で異なると思われたのは、①島田伍長が眉間を撃ち抜かれた場面での相手は民間人ではなく、フィリピン警察隊。②小塚金七一等兵が川で殺害された場面も相手は民間人ではなく、フィリピン警察隊の銃撃。映画の太いロープに繋がれたボーガンのようなごつい弓矢で2度串刺しにされるシーンはかなりむごかった。これに対し、小野田が小塚のライフルとピストルで対抗し、逃れたというのはウキペディアどおりだった。
30年間に30人の民間人や軍人、警察官を殺したとある。しかし、ほとんどは民間人であり、略奪の際に反撃されたために殺害したものと思われる。小野田自身、民間人の恨みを買っていることには非常に敏感になり、報復を畏れていた。日本政府はフィリピン政府に対して、当時のお金で三億円の賠償金を払っている。
フランス人の監督は島田、小塚の死の場面を描くに当たって、敢えて民間人に対する略奪の報いとして描きたかったのかもしれない。
小野田が1974年に日本に帰ってこられたのは鈴木紀夫(役:仲野太賀)の行動の賜物。
赤津二等兵が投降した1950年に残り3人の生存を知った日本政府。
その後、何回かは帰還捜索隊を派遣している。しかし、1954年に島田、1972年に小塚がフィリピン警察官に射殺される。
鈴木紀夫は国とは関係なく自らの意思で行動する冒険家だった。
ゆであずき。
小さい頃、かき氷に乗せて食べさせて貰った。我が家では贅沢品だったなぁ。
小塚金七一等兵の遺族を思うと胸が痛む。グァム島の横井さんも帰って来たのに。
あと、3年早かったらと悔やんでも悔やみ切れない。
海岸での小野田と小塚のフンドシ姿。小野田が幻を見る海岸のシーン。20年近く、二人きりで過ごしてきたわけだ。ラジオの競馬放送を聞きながら、二人で賭けもして暇潰しをしていた。
皇国の兵士が任務中に賭博行為をするのはセーフ?
何度も捜索隊が赴いており、父親や兄や家族の姿も見たにもかかわらず、アメリカによる傀儡政権の罠だとして、投降しなかった二人。二人とも、自分から投降したいとは言い出せなかったのではないかと思う。それだけ、バティの仲になっていたんだと思った。戦争はとっくに終わっていることを知っていながら・・・・
寛郎の兄二人は東大の陸軍医学校と陸軍経理学校に進み、卒業時点ですでにそれぞれ中佐、大尉となっている。弟は陸軍士官学校航空部隊将校で少尉になっていた。寛郎だけが中学(現高校)卒業後、貿易会社に就職している。県会議員の父親とは昔から不仲であったのは、兄弟となにかと比べられて、嫌な思い出しかなかったからではないだろうか。昭和42年12月に二十歳で徴収され、二等兵から始めることになる。幹部候補試験、士官学校(軍曹)を経て、中野学校二俣分校(ゲリラ戦に特化した秘密戦専門学校)で2ヶ月間の訓練をうけて、少尉としてフィリピンに派遣されている。他の兄弟が軍医や職業軍人を志願したのに比べ、寛郎は元々、そんなに気の強い性格ではなかったのではないかと思った。しかし、兄弟と違い、二等兵から昇級していった寛郎は負けず嫌いで、頑固者。なんとか武功をあげたかったのかもしれない。引くに引けなくなって、29年。
日本とフィリピン政府の間での調整。 なんとか小野田の格好(体裁)がつく形で旧日本兵の救出を行うための一連の儀式はどうしても必要だったと思う。
ひとりだけでジャングルに入って来た民間人の青年に元上官の命令があればそれに応じるとした交換条件を出す対応もなかなかしたたかだ。
小野田寛郎が墓場まで持っていった事実は沢山あると思う。それが小野田の美学であり、生き方だから。上官の命令だけでは説明できないものがたくさんあるはずである。
キャスト。
字幕の最後には故吉武美知子氏に捧ぐと。日本人プロデューサーがフランス人監督にキャストを推薦した。完成、公開を待たないで2019年に亡くなっている。残念。
小野田寛郎(遠藤雄弥、津田寛治)
小塚金七(松浦祐也、千葉哲也)
島田庄一(カトウシンスケ)
赤津勇一(井之脇海)
谷口義美(イッセー尾形)
他
いずれも素晴らしいキャストだった。
命令の責任
戦争が終わって28年、フィリピンのルバング島で最後は1人になり生き延びた小野田さんを、日本だけでなくフランスほかの共同制作で映画化しているいう部分を考えさせられた。
戦争は悲劇であるが、その中での命令の持つ重み、そこに忠実になり、忠誠をちかえば、小野田さんは結果的にあのようにしか生きられなかったのかなと思う。戦争が終わったかどうかではなく、自分に命じられた役割をどこまでも全うし続けたのだ。
それに比べ、時が経ち、命令した側の「軽さ」の対比、それは、もはや時代に翻弄された部分があるとはいえ、もう自分は関係ない、自分が命じたわけではないという他者をも介在させているように感じた。命じた側に命令が残っておらず、何のためのミッションだったのか、その虚しさ。
上官がルバング島に来た時の服装、小野田さんが現れた時に慌ててシャツをズボンに入れる仕草、上官にとって形式的な命令の解除でしか無かったが、小野田さんは、今や遂行する必要がなくなった命令を1人忠実に続けていた状況を感じた時、どう感じただろうか。
三時間の上映時間 小野田さんの一万夜
予備知識のない者にとって不親切とも言えるほど説明がない。いや、余分な情報は必要ないのだろう。
フランス人の監督によって作られた作品、この作品を観る大多数の観客は小野田さんのこと、帰国してからブラジルへ渡ったこと、小野田塾を主宰していたこと、陸軍中野学校のことなど知らないであろう。
私たちもただこの映画の中で描かれている小野田少尉と向き合わなくてはならないのだ。
ジャングルから出てきてヘリへ乗り込み、ルバング島の地から足を離すまで、ヘリが飛び立ってからも、ナレーションも字幕も何も入らない。ただ、小野田少尉の真っ直ぐに伸ばした背筋と眼だけがすべてを語っている。
(プラトーンの饒舌なラストを思い出した、今作では何も語らず観る者に委ねている。津田寛治の眼が勝っている)
テレビドラマなどで見る軽いイメージがあったので、津田寛治が小野田さん?と思っていたが、津田寛治は正しく小野田少尉だった。俳優って凄いな。
三時間の上映時間は長いようでも、小野田さんの一万夜を想像するにはこれより短くはならないだろう。
ミナマタと共に日本人は必見すべき作品だと思う。
どうかしているフランス人の情熱
異国のそれも四世代も前の戦争に於けるある逸話
これを映画にしたいと思い実現するのはもはや狂気の沙汰
「緑と同化している小野田」が最初と最後で見え方が一変
多用される雨の場面 ジャングルロケの為、本当の雨?
仲野太賀の奇跡 1 . がぶ飲みしてからカナブンを払う場面 2. 二週間後の約束して河原から去るときスーっと日が陰る場面
イッセー尾形 戦後の2シーンで本領発揮
捜索に来た父親の俳句を縦読み(横読み)で珍解読
その後おじさんが二人、越中褌で海水浴する萌え場面
ペーソスと時にユーモアを交え、かの"事件"を描く心に迫る力作 おもしろい!
強い思想を持ち生き残る上での功罪と教訓
小野田寛郎というフィリピン・ルバン島に戦後30年近く残り続けた日本兵の話で、俳優アルチュール・アラリ監督の長編デビュー作であるという。もう今やあまり日本では話題に出ることがないし、私のような40歳前後の人では、彼の経歴など知る由もなく。Wikipediaで少々予習をしてから鑑賞。
鑑賞前は戦争映画要素もあるのかとも思ったが、それは小野田が陸軍学校二俣分校で谷口上官(イッセー尾形)から教えを叩き込まれるシーンのみ。それ以外は小野田とその隊にいた兵士たちのサバイバルである。
小野田は、我々が当時の日本兵のイメージとしてよく聞く「玉砕」とは大きくかけ離れた思想を植え付けられており、何が何でも、ヤシの実を食いつないでも生き残れと命令を受けている。投降すら許されず、フィリピンの小島で30年近く生き残ったのだというのだから、ある意味忠実だったのだとも取れた。
その生き残ることに忠実というのは、一人の人間としては自らの命を守るのだから良いのだろうが、この映画ではその生き残ることに対する忠実さは偏った解釈を生み出していた。
最年少の兵士がうっすらと戦争が終わったのでは、と気づき始めているが小野田は全く意に介さない。上空を旅客機が飛べば戦況が激しくなっていると思い込んでしまう。挙句の果てには住民を殺してしまう。
正直、少し柔らかく考えれば「こりゃどう考えても戦争終わってんな」と思うはずが、彼がそう言った考えが芽生えなかったのは上官に対する忠誠心か、それともそれは洗脳なのか。疑うことを知らないが故に彼は強い生命力をもって生き延びることができたのだが、冷静に考えることができれば他の選択肢もたくさんあったのだろうな、と思った。
ラストシーン、ヘリに乗り込む彼に向けられた住民たちの冷たい、憎悪に近い目。あれはこの映画の象徴的なシーンであった。
これは決して小野田寛郎という人物をヒーロー的に描いているわけではなく、彼の生き残っていく過程での功罪を垣間見ることができる。なのでこれは単なる伝記ものではなく、今の我々にも直結するところがあるだろう。植え付けられた思想や考えにより、自分自身を鼓舞し続ける事は、この世知辛い世の中で生きていくには良いかもしれない。しかし、一方で多くの人を巻き込んだり傷つけてしまう可能性も高い。アラリ監督は中立的な立場として、我々にそういった点を投げかけたようにも思えた。
小野田さんの本と違う
これはフィクション映画です。
史実に基づいていません。
小野田さんが書かれた、たった一人の30年戦争、と肝心の内容が違う。
まず、小野田さんはメモを残さない。日付、行動まで全ては頭の中に記録していたはず。中野学校でそのように指導された。敵に捕まったとき、証拠を残さないため。
左足に重症を負ったのは島田伍長だ。小塚さんではない。小塚さんの戦死は、住民にあんな槍みたいなもので殺害されていない。川じゃないし、銃撃で亡くなった。
なんで変えちゃうのか。
女性の殺害シーンもあったが、小野田さんは島の女性住民と子供からメッセージをもらっている。オノダは決して女性と子供には危害を加えなかった。安心して暮らせた、と。
帰国後の苦悩も映画にはない。
マスコミなどにも苦しめられた。
平和ボケした日本人と全く違う自分がそこにいた。本のお金でブラジルに渡り、ジャングルを開拓し牧場経営までされた。
小野田自然塾のことも描いてない。
良かったのは役者さんでした。小野田さんみたいだった。ほかもおおむねイメージに近い。
小野田さんは、この戦争は100年続くと聞いていたから30年生き抜いた。作戦を実行させようとしてた。
ルバング島の雰囲気、役者さんを楽しむフィクション映画ということでした。
これ見て勘違いする人がおられると思うと非常に残念です。
外国人が監督だからわざとでしょうか。
残念です。
悲しくておかしくてシュールで
長いが、さまざまな種類のストーリーが次々に展開されているようで、全く飽きなかった。面白かった。
戦争の極限状況の悲惨さからはじまり、終戦後からはフランス映画らしいシュールな空気に、日本人による投降を呼びかけられたパートではコメディのテンション、小塚が死んで一人になってからは、小野田の内面を丁寧に描きしんみりさせる。
史実と違うところや創作した部分も多いような気もするが、史実を元にして、極限状況における人間の狂気と本質を表現したかったのではないか。
連想したのは、「南極物語」。あの映画も、最後にタロとジロが生き残るという史実だけが確定しており、そこに至るまでの過程はほとんど想像だが、タロとジロ以外の犬たちのそれぞれの死に様が描かれる。
この映画も、小野田だけでなく、さまざまな兵士の死に様を通して、戦争という理不尽に放り込まれた人間たちのさまざまな表情を描いている。使命に殉じようとする者、壊れていく者、正気を保とうとする者、戦う意味を求める者、無意味さに苦悩する者、あっけなく死ぬ者…。
印象に残るのが、二俣分校での教育。「自分自身が自分自身の司令官となれ」「目的と本質を失わず柔軟であれ」「栄誉なき栄誉」などなどの考え方は十分現代の教育にも通じる。時代が違えば谷口は良い教育者になれたのだろう。
また、「玉砕(自決)を許さない」というのは、単に陸軍に対する責任ゆえに、ということだけでなく、決して死ぬな、という深い愛情のこもった言葉のようにも思う。
小野田さんという存在は、さまざまなことを想起させる。戦中と戦後で価値観が一気に変わったこと、敗戦国である日本が一気に豊かになり、経済大国と言われるまでに復興をとげたこと、人権や人命が尊重される世の中に変わったこと、など。
太平洋戦争の爪痕
津田さん目当てです。
ほとんどジャングルの中で隠れながらの生活です。舞台はフィリピンの島、ルバング 亜熱帯で雨が多い。戦争で常に緊張状態の中、司令を遂行するため部下を家族と思い戦い続ける。空腹 部下の死 また現地の住人を射殺したり精神的な苦痛を負う。
小野田寛郎(おのだひろお)
終戦して30年間近く任務を最後まで遂行する。今の時代考えられない事ですが当時の戦争は普通ではない感覚で生きている。(小野田さんは密戦の研修を受けていることもあるが)それ故、これほど長くジャングルで生きる事になってしまった。
テレビで飛行機から兵隊のまま降りてきた小野田さん。ちょっとタイムスリップした感覚を受けました。(本人も別世界にきた感覚だと思います) この映画は戦争の精神面を描がいている 二人の時はまだ話し相手がいた独りになって先の見えない不安や恐怖感、また孤独感でいっぱいだったと思う この精神面を支えたのは… お前達に自害する権利はない 最後まで生き延びろ の言葉がいつまでも頭の奥に。青年期の遠藤さん成年期の津田さんの演技が素晴らしかった。また他のキャストさんも
戦争の爪痕
30年の月日は何の意味があったのだろうか
誰のことも忘れない この言葉が印象深い
部下の無念の死を想い偲ぶ言葉
津田さんのアップされた目 涙ぐんでいる目が…… 何とも言えない
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