梅切らぬバカのレビュー・感想・評価
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あなたにとって大切な人は?
予告編を見た印象としては、最後はハッピーエンドになると思ったが、そうではなかった。
監督からのコメントにもあったが、ドキュメンタリーに関わった経験から制作が始まった作品。
この絶妙な現実感と、ストーリーの割り切れなさも見どころだと思う。
ハッピーエンドに持っていったら別の作品になってしまったと思う。
皆それぞれ、自分なりの尺度があって大切に想う相手や存在がある。
でも、世の中の人全てがハッピーになって大団円になることは現実には難しい。
誰かが幸せなら、誰かが悲しんでいる。
相手の事を思って行動してもそれが+になるとは限らない。
渡辺いっけいさん演じる里村も見どころだと思う。
「『思いやりがなくて自己中心的』な里村が触れ合いによって変わっていく」とも取れるが
里村は里村なりに不器用だけど家族を愛していて、大切に思っている。でもそれが歯車が全く合わずに周囲には伝わっていない。
妻の英子が『夫は息子が自分に懐いていないのを分かっている』と話していたが、
分かっていながらも、自分なりに愛している様子も描かれている。
この辺りのいっけいさんの演技力が素晴らしい。
家族を愛するこそ自治会長に『深く付き合う気はない』と言い、自宅を入り込んでしまった忠さんを激しく叱責する。
家族に無関心と思われていたが
自分の息子が過ちを犯してしまい、隣人一家を巻き込んでしまった時には、1人で謝罪に訪れている。
私はこの里村に非常に感情移入してしまった。
色々な年代の人に見て欲しい作品です。
そして、みんな誰かを大切に想っている。けど、、ハッピーエンドにならない事で色々考えさせられる作品でもあります。
全てが中途半端なような…
エンドロールが流れ始めた時に「え?終わり?」と言う声が近くから聞こえました。
ダイナミックな展開は期待してはいませんでしたが、もう少し話に何か落とし所が欲しかったです。結局何の解決にも至らず、障害を持つ人がまた高齢の母と共に暮らす生活に戻って、今後この親子はどうなっていくんだろうという気持ちが不完全燃焼のまま残りました。
そもそもグループホームに入って、トラブルが起きて、地域住民が不満を訴えて、トラブルの当事者となった人が退所して「はい、終わり!」みたいに見せるのもどうかと…。グループホームも色々あるのでこの映画を観て「グループホームってこういうのもなんだ。」とも思ってほしくないですし。
障害を持つ人への理解がない人もたくさんいるということや、自分の住む家の近くにグループホームができるという事への不安や不満がリアルに伝わる点では綺麗事ばかりじゃなくて良かったです。
これでいい
現代のいろんな問題を含んだドラマ。
それぞれの立場で考え方も感じ方も違うと思うので、評価も様々。
実際の生活もこういうものだと思います。
もう少しドラマを引っ張って、周りの人達と打ち解けてハッピーエンドみたいなものでも良いんでしょうが、僕はこれでいいと思いました。
母親が歳を取るのは変えられないし、忠さんの生き方も変えられない、すべてが上手くいくエンディングは今のところ無いんでしょうね。
それやっちゃうと嘘臭くなる😅
占いにすがる人や夫婦間の問題、いろんな問題を抱えて生活があるんだなって改めて考えました。
加賀まりこさんをはじめとして、出演者の演技がさりげなくてとても好感が持てました。
身近な問題
年老いた母と中年の自閉症の息子、グループホーム、厩舎と何処にでもある問題を持ったある地域を象徴的に表しています。みんな自分の問題を解決したいだけなのに、周りから見ると大きな問題。それぞれの気持ちがわかるだけに、難しいですね。
当事者が身近にいるかどうかで
多分、住宅街というか自分の家の近くに障害のある方達のホームがあるかどうか、
叩かれたとか何かしらの実害を受けた側か、
自分の息子とか家族にそういう人がいるほうの側か
立場によってきっと障害者用グループホームの運営賛成反対の気持ちって変わるんだろうな、と思いました。
塚地武雅さんの演技が素晴らしかったし、加賀まりこさんの肝っ玉母さんぶり、渡辺いっけいさんの、当初とまどいながらも少しずつ理解していく隣人の演技、とても良かったです。
あとポニーが逃げて大騒ぎになりましたが、小学3年生くらい?の男の子1人と、おそらく鍵壊したりみたいな難しい侵入なんて出来そうにもない障害者の方1人、たった2人で簡単に侵入出来るようなセキュリティの甘さに問題があると思いました。むしろ住宅街にポニーの牧場を運営するほうがよほど不自然な感じがしました。まぁ映画の展開上、あそこにある必要はあるんですけど。。
私もわりといつも決まった改札とか道順で歩かないと、他が空いていてもすこし落ち着かないし、ルーティンに多少縛られて生きているほうが落ち着く気持ち、すこしだけ理解出来ました。
自己責任の国に生まれて
珠子とその息子忠さんは二人で暮らしている。珠子は占いの仕事で生計を立てながら自閉症の息子の世話をしてきたが、息子が50を超える年齢になり、自身の老いも考えてグループホームに預けることにした。
しかし、そのホームは以前から地域住民とのちょっとしたトラブルにより疎ましく思われており、忠さんも慣れない集団生活からトラブルに巻き込まれてしまう。
地域住民と施設側との仲裁を頼んでも役所はただ傍観するのみで頼りにならず、結局忠さんはホームを出ることになる。
元の二人暮らしに戻った珠子と忠さん。自助には限界があると、共助である地域コミュニティーに頼ったがうまくいかず、公助である役所も頼りにならず、元の自助を強いられることとなる。
自助、共助、公助というどこかの国の元首相の言葉は当事者たちにとってはある意味当たり前の言葉だった。
自分の子供の世話を自分でするのは至極当然。しかし、その子供に障害があり、ほかに頼る家族親族もいない状況となれば地域コミュニティーに助けを求めるべきだし、また公的補助にも頼らざるを得なくなる。
ただ、現実はこの言葉の順序が示す通り、自助は近いが、共助、公助の順に当事者たちにとって遠い存在となっている。
新自由主義が蔓延する現代においては先の元首相の発言が出てきたのはある意味必然的だったし人々にとっても自己責任がいまやデフォルトとなっている。
自分のことは自分で責任を持て、経済活動においては至極当然のことを言ってるようだが、福祉の分野において行政側がこれを押し付けるのはいかがなものか。
2005年に施行された障害者自立支援法の応益負担の規定は障害が重いほど障害者に自己負担を課すもので、まるで障害を持って生まれてきたのがその当人の責任と言わんばかりのものだった。自己責任論を福祉の分野にまで拡張する障害自己責任を押し付けるようなまさに悪法だった。
そもそも自由競争を促進して経済を活性化させる新自由主義が自己責任論を定着させる以前から障害者世帯は自己責任を強いられてきた。
それは社会の障害者への理解が足りず、障害者であることの負い目などから当事者たちはそうせざるを得なかったからだ。
今でこそ多少は理解が進み地域コミュニティや公的補助を頼ることもできるようになったが、時にはそこから零れ落ち孤立して不幸な結果を招くこともある。
そんな不幸な結果を招かないためにも孤立を避け、地域とのつながりを保つことが大切だ。しかしかつて日本はOECD加盟国の中で平均の4倍もの精神病院病床数を指摘されており精神障害者を社会的に隔離しているとまで言われた。障害者たちが彼らの住む地域で受け入れられる土壌ができてない証拠だった。本作でもその部分が問題として描かれている。
本作では結局地域の理解を得られず元の親子での生活に戻ったところで幕を閉じる。一見救いのないラストだが、唯一希望が持てるとしたら隣人の里村家との交流だろう。酔っぱらった勢いで珠子たちの家をグループホームにすればいいという父親の一見無責任な発言に珠子もそうしようかしらと翌朝返すが父親は憶えていない。
まずは近隣住民との交流から障害者への理解を深めそこから地域コミュニティの輪が広がってゆく、地域コミュニティ再生を予感させる点だけが本作の唯一の救いなのかも。
桜切るバカ梅切らぬバカ。専門家によれば桜も梅も剪定によりむやみに枝を切り落とせばそこから病気になるのはともに同じ。丁寧な気配りが樹木の成長には不可欠。それは人や社会にとっても同じだ。
能力主義がまかり通る時代、生産性がないなどとして不要な枝葉をバッサリ切り捨てるような社会が人にとって住みよい社会だと言えるだろうか。これは障害者に限ったことではない。健常者だろうがいずれ年を取り社会のお荷物として切り捨てられるかもしれない。
誰もそんな社会に住みたくはないはず。障害者にとって住み心地が悪い社会は健常者にとっても住み心地が悪い。生産性などとほざいてる人間は自分が天に向かって唾を吐いてることにも気づかないのだろうか。
本作は人気芸人を起用して一見ほのぼのとした雰囲気の作品だが、結局何ら問題は解決されず幕を閉じる。この方が観客に問題を丸投げして考えさせるにはちょうどいいのかもしれない。
2021年12月劇場にて鑑賞
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