「ついにヒロインへと昇華したラクス・クライン」機動戦士ガンダムSEED FREEDOM へにゅうさんの映画レビュー(感想・評価)
ついにヒロインへと昇華したラクス・クライン
ガンダムSEEDというのは、多くの現在25〜40くらいの世代にとっては間違いなく青春であっただろう。青春とはほろ苦さを伴うものであった。スキャンダラスながら大成功を収めたSEEDの続編が、SEED Destiny という評価の芳しくない作品であると言うことを含めてである。この作品は、そう言ったほろ苦さを持ったまま20年を経て大人になったかつての子供たち、青年たちに、ある種救いを与えてくれる映画になっている。
作品単体で見てしまうと率直に言って粗だらけである。唐突に出現する単語、"フリーダム強奪未遂事件"や"ミケール"が結局何だったのかはよく分からないまま映画は終わってしまうし、ストーリー自体もSEED、SEED Destiny の焼き直しみたいなもので、悪役も結局戦艦一隻を主力にした主人公勢に全滅させられて終わるという呆気なさ。身近にいる、本当に貴方を想っている人に気づいて生き延びろ!ってキラとラクスが説いた数分後に、件の身近な人ごとその人物を撃ち殺すのは一体どういうことか?
完全に中身を入れ替えているバスターやデュエルが現代で通用するのは分からなくはないが、ちょっと手を加えただけのフリーダム、ジャスティス、デスティニーはもう既に時代遅れのロートルのはずなのに、なぜかこれらに乗り換えた主人公勢は敵さんを圧倒する。どういうことやねん。あとキラがわりとクズに描かれている。自分が操られたことが大量虐殺の原因になったのに、即座に『ラクスは僕らを裏切った』とは酷くないですか?
他にもいくらでも不満点を挙げることは可能だ。正直それを書くだけで5000字埋まってしまう。
でも、そんなことは些末事なのだ。この映画は20年待った我々に答えを与えてくれる。大好きだったキャラクターが勢揃いして活躍する。消化不良だったデスティニー組のキャラも十分な見せ場を与えてもらえる。それだけで十分であって、"ぶっちゃけノリで来たんで!"と思って楽しむのが正解だ。
今作の特徴を敢えて一つ挙げるとするのなら、ラクス・クラインがついに人間味のあるヒロインとしてキャラクターが確立するということである。Seed世界が、どの陣営も気が狂っているとしか思えないような一触即発の北斗の拳的世紀末世界であるという前提はあるのだが、ラクスは主人公キラを抽象的な言葉で自らの陣営に取り込み、大量破壊兵器である核エンジン搭載のモビルスーツを二度も彼に渡した人物である(一度はキラとは敵対する陣営でさえあった)。そしてSeed、Seed Destinyの大戦争の結果生じた政治的空白によって、とてつもない政治的な権力という果実を手にしたように見える。つねに抽象的な正論を語り、父親を敵対陣営に殺害されてもすぐに立ち直るという異常な精神的強さを持ち、全世界からの無謬の愛を獲得している、巨大な政治的影響力を持つ"怪物"としての性質を持つ彼女がSeed、Seed Destinyにおけるメインヒロインであることに、一種の気持ち悪さを感じていた視聴者は数多いだろう。
そのラクスが、孤独感や不安を感じることもある、主人公を愛するひとりの女性と描かれることによって、ついにヒロインとして完成したといえる。このことはとてもよかった。