「歩くのがお好きなら どうぞこのムービー、召し上がれ」場所はいつも旅先だった きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
歩くのがお好きなら どうぞこのムービー、召し上がれ
松浦弥太郎の旅のエッセイを
小林賢太郎が いい声でナレーションする。
こんないい声の人が語ってくれて
旅の案内人が松浦さんならば
ついつい夜通し彼らにくっついて
知らない街を一緒に歩きたくなる。
昼が終わって夜も更け、そして次の朝を迎えるまでの「世界の裏側の時間」。
そこで人々はどんな顔で生きているのか
生来の人好きなのだろう、松浦は初対面の人や通行人の表情をひとつひとつ、自身の言葉で拾っていく。
日本の深夜労働者も、統計によると600万人なのだそうだ。
かなりの数ではないか。
ふと覗いた「Yahoo知恵袋」でこんな質問があった ―
「住んでいるアパートの別室で真夜中のとんでもない時間に住人が出入りしているが、どうしてあんな時間に料理をしたり、食事をしたり、話声を外に響かせたりするんでしょうか?」と。
一人暮らしの女性からの質問だった。
「600万人の存在」を知らなければ、彼女が怪訝に思うのも仕方ない。
紀行ものの映画はいくらでもあるけれど、「夜更け」や「夜明け」の時間帯に絞ってその街と人々を紹介するコンセプトは、これは変わってて面白かった。
ただし、夜勤を30年やっている僕としては、「朝」は一番辛い時間なのだ。疲労がピークの、身体が泥のように重たくなる時間。
朝日がキツくって、一刻も早く遮光カーテンを閉め切って床に入りたい魔の刻。
だからLAのドラッグクイーンが疲れた表情でつけまつ毛を剥がし、メイクを落とすシーンが一番心に沁みる。
宵っ張りで、早起き鳥の松浦弥太郎の当てどもない歩き旅。
自分が進めば世界が向こうから僕らに近づくってことだ。
月や太陽と歩調を合わせるってことだ。
【メモ】
夜のFM「ジェットストリーム」で、福山雅治がこのエッセイを朗読していたので、今回サブスクで本作を鑑賞してみたわけだが。
そもそもが活字で表された旅なのだから、著作を誰かが朗読する所までは原本にほど近くても、この映画化となると、今度はさらに赤の他人が映像を付けるわけで
原作からは少し乖離してしまうのはしょうがない。
夜間の長距離トラックの運転手だから、(そもそも活字の朗読劇なら) 僕には映像なんかまったく無くても良いのだ。
声に9割集中する。
映像はモニターを流し見しながら1割程度の関心で鑑賞。
映像なんか無くても、ハンドルを握るラジオ派の僕にはどうでも良いからね。
【追記】2025.1.17.
どうやら松浦氏が自ら撮影して、その映像に自分で説明文をつけていたらしい事をあとから知った。
道理でちょっと、くどく感じたわけだ。
星ひとつ減らしました。