「この物語につながる作品を見てからの方がいいです」ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3 からくりおばけさんの映画レビュー(感想・評価)
この物語につながる作品を見てからの方がいいです
このシリーズだけ見ていて他のマーベルはみていないという状況での視聴でした。
多分この見方が間違っているんだろうと思います。
「え、なんであなたがそこにいるの?」「どちら様ですか?」「兄妹?」といった疑問符だらけになってしまいました。
エピソードが映画一本分ぐらいごっそり抜けてしまっているような感じ。
クイルのセリフで大雑把に状況を説明してくれてはいて、その豪快さはこのシリーズらしいといえばらしいのですが...
緑色のいい女ガモーラが、すっかりわからずやになってしまっているのも、ストーリーを追いかける上でしんどい要素の一つになってしまいました。
ここまでは情報不足のためにノレない話でした。ここからは個人的にこの作品に求めていたものとこの作品が提示しているものとのズレについてです。
それはこの作品のトーンです。
オープニングの彷徨うロケットと流れる「Creep」は素晴らしい場面だと思います。
ロケットの生い立ちというのは考えてみればとてもシリアスなもので、その思いや苦悩を端的かつ印象的に表現したオープニングだと思います。
物語としてもロケットの過去に立ち返りながら「命の扱い」といったテーマになっています。
この過去が可哀想すぎる。ロケットの「友達」を思うと見終わってしばらく経ったいまでもしんどくなるくらいです。
このシリーズらしく過酷な状況でもメンバー同士はふざけたやり取りをしたりするのですが、このロケットの過去に引っ張られて「今はそういうのいいから...」となってしまいました。
ふざけたやり取りこそこのシリーズの醍醐味のはずなのに。
総じてこのトーンに乗れず、そうなってくると、色々引っかかってきます。
命の扱い云々で言うんならガーディアンズ側も直接的・間接的に奪ってきた側でもあるんだけど...とか、
精神論なの?とか、それでその扉開くの?とか、なんぼイカれてるにしても悪側雑じゃね?とか
1、2を見ていてこのシリーズの何が良かったかといえば「ごきげん」なところです。
オープニングが象徴的ですが、1のクイルのダンス、2のミニグルートのダンス、これがとても良くて、作品全体も雑にいって陰陽で言えば「陽」だったと思います。
ごきげんだからこそ、冷静に考えれば相当な悪人であるヨンドゥにすら肩入れできてしまったわけです。
翻ってこの3は、オープニングの選曲が超名曲Creepであることが象徴的なように、「陰」の部分が前面に出ているように感じられました。
これが自分が求めていた「ガーディアンズオブギャラクシー」とのズレだと思います。
他の方のレビューを見るとこのシリーズを未見で3から見たと言う人も結構楽しまれているみたいなので、3の前日譚が見れていれば、きっとこんなにつまずくことなく印象は変わったのだろうなと、残念に思います。