こちらあみ子のレビュー・感想・評価
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人間関係
大人同士でも完全に分かり合えることはないのに恐らく、この作品のあみ子は発達障がい(ADHDやASD)があると思われる子どもと親のコミュニケーションを中心にした作品で悲しいかなあみ子の思いは親には伝わらず、かつ、むしろ本音しかいえないまっすぐに生きてるあみ子を嘘や隠し事をする親や大人が煙たがり嫌う、そういう世界に慣れている子どもたちもあみ子のことを苛める、ハブるという有る意味差別されるがとする側の構造とかそう言うものにも言及している。
ちなみに、自分も発達障がいがありとても自分の子ども時代の行動に行動が似ており共感する場面が多かった。
さらに、子どもと親の関係の難しさ(子育て)や同じものを見ていても物の見え方は人によって違うんだよということにも言及していると感じた。
総じて、個人的にとても良い作品だった。同日に観たビリーバーズは気持ち悪く個人的には思ってしまったが。
子どもの目線から見た何気ない日常とちょっと変わった日常
子どもの視点から、周りの出来事が淡々と描かれてく物語。
今作で起こる出来事のほとんどが、詳細には語られない。母親が子どもに対して敬語なのは再婚だからだろうし、お腹にいたはずの赤ちゃんが死産だったり……といったことが、あみ子の視点から描かれる。
次女のあみ子の下には子どもがいなかっただけに、弟や妹できるという感覚があまりわからない。それはあみ子にとって、金魚やペットのようなものと同等と感じていたのかもしれない。
生活環境が変わっていく、母親の様子がおかしい、父親もそわそわしている、兄は不良になってしまった。
それらの出来事も、子どもの目からはどう映っているのだろうか、そういった子どもの感じ方、見え方に寄り添って、何気ない日常、ちょっと変わった日常をコミカルにもシニカルにも描いていく。
どうしても私たち大人は、大人の目線で子どもを見てしまう。自分たちも子どもであったはずなのに、その感覚というのは、大人になればなるほど忘れていってしまう。
しかし子どもは、そもそも世界の見え方が違うのだから、時に寄り添って考えてあげることも大切なのだと、感じられるし、感じてあげようと思える作品だ。
チョコビスケット舐めてきれいにして缶に戻したことある
普通は5枚ぐらいでやめるけど、
一缶全部やるところがスゴい。
のり君に
美味しいじゃろ。全部食べんさい。
のり君にしか興味なし。
でも、のり君の苗字も読めない。
継母の尾野真千子さんは自宅で書道の先生。なのに、あみ子さんは書道やらせてもらえない。
こりゃ、いかん。いやな予感。
お父さん役の井浦新が超謎。中学生の息子が家でタバコ吸っても怒らないのよ。放任主義というより、意気地がない感じ。
兄貴も不登校で暴走族に。
セーラー服と機関銃の林家しん平か。
「エリートコースまっしぐらですわ」
あみ子さんは低音に敏感。ベランダの音は鳩が巣を作っていたみたいだけれども。私も人の話し声は気にならないのに重低音に敏感。
他人のホクロが気になって仕方ない。
ほっとかれて、お風呂も入らず。
坊主頭の同級生はなかなか面白くて、いいやつだった。
友達認定してあげればいいのに、あみ子はのり君にしか興味なし。のり君も迷惑かけられて、迷走人生。
あみ子の迷惑な悪いところばかり強調されるけど、学習障害もあるだろうし、一般学級で放置でいいのか?おばあちゃんに押し付けていいのか?
こういう人間は人類の一大事というときに何かの役に立つために一定の割合でいるんだと思う。なにより本人だって辛いんだよ。取り残されては可哀想。
お化け👻なんかないさ~
お化け👻なんてうそさ~
あみ子の歌すごくよかったよ。
みんなのうたいけるよ。
大沢一菜。
すごい子が出てきた。
いいぞ、いいぞ、このまま頑張れ~
コメディにあらず
子供が主役のほのぼのコメディかと思ったらさにあらず。
なかなかヘヴィな物語。もちろん笑えるシーンは多々あるのだけど…
原作は未読ながら、あみ子がああいう発達障害っぽい言動の子であるならば、この映画は大沢一菜をキャスティングした時点で成功していたと言えるのでは?
天使のように天真爛漫、というだけではなく、否応なく周囲に負担や軋轢をもたらす存在。子供って誰でもそんなもん。この映画の中の子供たちだってみんなそうじゃん。だけど、あみ子などはやはり特別にそれが大きい。そういう子供と社会の関係性が特徴的に現れてしまうのだとおもう。まぁ、大人たちも大人気なく自分を護ることで精一杯なわけだけど…
予告編にもある「お化けなんてないさ」を元気に歌うシーンの切実さは観ないと分からなかったな…
タイトルなし
みんな微笑ましく笑っていたと思っていたら、突然裏目になる凄惨な存在力。
あみこちゃんの行動にはすべて理由があるのに疎ましく扱われ、理解に苦しむ同級生や理解に努める家族もいなくなってしまった。
僕たちはどこかであみ子ちゃんと出会っている。
登場人物が自分のことのようで、なんだかきまりが悪い。
悪意のない無垢な感情が、疲れた人の心のひだに余裕なく粘り着いて理解や理性を無力化させてしまうような。
分かり合えることの難しさを観ました。
気持ち悪い理由をあみ子ちゃんは100億個でも知りたかったと思うと切ない。
霊を蹴散らしてまた居なくなったお兄ちゃんと三途の川で手を横に振るあみ子ちゃんに、なんとか希望を持たせてもらっています。
ファンタジーで不条理な音楽や展開が、凄惨だけど身近な物語と相性良かった気がします。
偉そうにすみません。
些細なカットに多大な愛を感じた、とてもとても見応えのある作品でした。
悲しく切ない
広島の海辺の町で暮らす小学5年生のあみ子は少し変わった子だった。父、兄、そして父が再婚した継母と4人で暮らしていて、好きなのり君など多くの人たちに囲まれて元気に過ごしていた。そんな時、妊娠してた継母の子の死産をキッカケに母が心の病になり、兄は不良仲間と遊び学校をやめ家に帰らなくなった。あみ子は風呂も入らず周りからイジメを受けていたが、純粋で素直な行動を続けていたという話。
あみ子は気に入った事しかせず、他人の気持ちを考えることができないので発達障害のようだった。周りの人達はイライラして付き合い、イジメにもあってそれでも明るく対応してるのは病気だから仕方ないのだろう。
観て気分の悪くなる面も有り楽しくないが、子供目線からの世界を見る事ができ、貴重な体験だった。
中一までを描いていたが、さすがに主演の子がやるには無理感が・・・。
キャストを変えるのも良さが無くなるだろうし、実写は難しいね。
チョコ無ししっとりクッキー
広島県で暮らす両親と兄のいる小学校5年生の風変わりな少女あみ子と家族の話。
原作未読で観賞。
母親から「あみ子さん」と呼ばれる同級生のノリ君が気になって仕方ない天真爛漫感情な少女あみ子の小学校から中学校までの様子をみせて行くけれど、母親が少し風変わりであみ子は発達障害というイメージを受ける序盤。
家族や友人を振り回しつつ、あみ子の見る世界や聞く音を織り込みながら展開していくけれど…変化していく母親や、溜め込んでいく父親、そして変わってしまった兄に対し、へこたれずあっけらかんとしている様子の多いあみ子をみて、一見幸せにも感じるけれど、家族のストレスの描写のインパクトが強くて自分にはどうしても幸せそうにはみえず、もう少し何とかならなかったのかなと。
幸せかどうかは他人がどうこういうものではないけれど、自分が子供の心を失ったからか哀しさばかりを強く感じてしまった。
背景説明として「にく♪」の描写もあり、母親の風変わりに感じたイメージは払拭されて、優しさを感じたけれど、それ以上作用しないならこれも不要に感じた。
青葉市子さんの控えめな音楽がいい
可愛らしいあみ子ちゃん
試写会で鑑賞しました。素直すぎるあみ子ちゃん、個性的な観れば見るほど引き込まれて愛おしくなっていきました。最後の海辺であみ子ちゃんに声をかけてくれたのは?やっぱり迎えに来てくれたお父さん?勝手に想像を膨らませてしまいました。誰もが生きやすい世の中になればと思います。
応答せよ、応答せよ。本日天気晴朗なれども電波悪し。
風変わりな少女・あみ子の言動によって、彼女を取り巻く世界が変化していく様を描くヒューマン・ドラマ。
あみ子の父親・哲郎を演じるのは『20世紀少年』シリーズや『そして父になる』の井浦新。
あみ子の母親・さゆりを演じるのは『そして父になる』『ソロモンの偽証』の尾野真千子。
Filmarksさんのオンライン試写会に当選したため、一足早く観賞させていただきました。
Filmarksさん、ありがとうございます♪✨
今回はインパクトのあるメインビジュアル以外、前情報を一切仕入れずに観賞。
出演者やあらすじを知らないまま観賞したので、どんな物語が展開するのか全く予想がつかなかった。
実は、途中までホラー映画だと思って観てた。いやまあ殆どホラー映画みたいなもんだったけど…。
作中で名言はされないが、あみ子はいわゆる「発達障害」のある女の子として描かれている。
落ち着きがなく、人の気持ちを読み取る事が出来ず、特定のものにしか興味を示さない。
思いついたことを表現せずにはいられない彼女の個性は周囲の人間には到底受け入れ難いものであり、それは彼女の家族すらも苦しめることとなる。
あらすじを読むと何やらハートフルな物語が繰り広げられるように思われるだろうが、実際のところはかなりハードな映画。
「家族の絆」とか「無垢な少女の煌めき」とか、「少年少女の友情」とか、そういう綺麗事は一切ない。
発達障害児を持つ家族の辛さがびしびしと描かれており、正直気が滅入ってしまった🌀
とはいえ、映画全体のトーンに重苦しい感じはなく、むしろ青春映画のような爽やかさすら感じられる。
それというのも、どれだけ過酷な運命があみ子に襲い掛かろうと、彼女の素朴な精神が最後の最後まで損なわれなかったからだろう。
クライマックスの「大丈夫じゃ!」に、救われた気持ちにならずにはいられない。
下手にエモーショナルな演出を行わない、徹底してあみ子の視線に寄り添う淡々とした語口は時に心地よい。
古き良きATG映画って感じで、その香りに懐かしさを覚えました。
この映画で語られている重要なファクターの一つは「コミュニケーション不全」。
平たくいえば「言葉に出さなきゃ伝わらないでしょ!」ということ。
なんでもズバズバと口に出してしまうあみ子にとって、大切な物事を秘密にしてしまう周囲の人間たちの態度は不思議でしょうがない。
そんなあみ子/世間の齟齬が全ての歯車を狂わせてしまう。
あみ子と世間とのコミュニケーション不全を、「トランシーバー」という小道具で暗示している点は、いかにも文学作品が原作な映画だなぁ、と思ったりしました。
一点、今回この映画を観賞して強く思ったことは子役の扱いの難しさ。
作中、あみ子は小5から中1へと成長する。
そのどちらもを演じているのは大沢一菜ちゃん。
一菜ちゃんは2011年生まれという事なので、現在11歳。撮影期間中は10歳だったのかな?
要するにリアル小5な訳です。
そんな彼女が中1を演じるわけですが、これがやはり中学生に見えない…😅
いくら制服を着ていても、やっぱり小学生に見えてしまう。
11歳と13歳。僅か2歳の違いではあるが、やはり子どもの2年はデカい。
あみ子の兄ちゃんなんかも後半は15歳という設定なんだろうけど、どうしてもそうは見えない。
アニメーションとかなら違和感なく描けるところだろうけど、実写はここが難しい。
まず小5のパートを撮影しておいて、その2年後に中1パートを撮影する、とかなら問題ないんだろうけど、流石にそんな贅沢なスケジュールは確保できないだろうし…。
うーむ、解決するのが難しい問題ですなぁ。
人間は群れを成して生活する生物である。
そうである以上、その秩序を乱す個体は弾かれざるを得ない。
こういう見方を、我々は多かれ少なかれ誰しもが共有しているのだと思う。
特に学校というコミュニティは、残酷なまでに異端を排斥しようとしますよね。
正直言って、自分もあみ子みたいな子がクラスメイトにいたとしたら、かなり疎んでいたと思う。
この映画を観て気が滅入ったのは、そういう自分の未熟な所を指摘されているように感じたからなのかも😥
楽しく観賞できる映画ではないが、一見の価値はあると思います。
大切なことは言葉に出して伝えないとね。
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