こちらあみ子のレビュー・感想・評価
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不幸とは何ぞや?
家族が崩壊していく様を描いている訳ですから、恐ろしくヘビーなもんを題材にしてる訳ですが。あみこにシリアス感が無い、と言うか、あみこの目に映る世界にシリアス感が希薄って言うか、悲愴感が希薄って言うか。
この、あみこの描写の妙ですよ。破天荒を通り越して、軽い発達障害がある事は間違いが無いとしてですよ。のり君のお母さんの言いつけ、「ちょっと変わった子だけど優しくてあげて」に、その背景が凝縮されています。
つまりは、あみこはフリークな訳で。であれば、あれで精神崩壊してしまう継母の方も、どうかとは思うけど。
好きだと告白した相手に、その場で鼻を折られ、実の父にも捨てられたあみこは不幸なのか。中学校さえ卒業できず暴走族に足を踏み入れた兄が不幸なのか。死産を経験した継母は?家族がバラバラになってしまった父親は、どうなのか。
あみこは、周囲を不幸にする存在なのか?
と言う問い。
コレが、皆んな自爆・自己責任にしか見えないんですけど。
地味ではありますが、作家性があるとか無いとか言う文脈で語るなら、作家性を感じさせてくれる映画でした。
良かったか、悪かったか、と言うと、可もなく不可もなし、なんですが。
好き。結構。
オバケの描写には苦労してた様ですが、バッハは要らんだろうと。自国のオバケで普通に良いやん!って思いましたw
少し変わった女の子"あみ子"とその家族の物語。
少しまわりと歩調の合わない女の子"あみ子"。
それでも、最初は幸せそうに両親と兄と暮らしているが、母親の死産を境に、徐々に家庭が崩壊していく。
その途中経過はあまり詳しく描かれないが、兄は暴走族のようなものに入り家に帰ってこなくなり、母親は精神的に塞ぎこみ、入院したり、家で寝込んみがちになる。
母親が作っていた食事は、父親の買ってきた店屋物に代わり、家庭はあたたかさを失っていく。
そして、あみ子は父親から引っ越すと言われ、両親は離婚し、自分は父親とおばあちゃんの家で暮らすものだと思い込むが、あみ子一人だけ、おばあちゃんの家に預けられ 、父親は「お父さんは帰らないといけない。」と言い残し去っていく。
すべての場面は、あみ子の目線か、あみ子のいる場面のため、背後で起こっていることは一切わからない。
あみ子は泣かない。子供だが、殴られても、蹴られても泣かない。
この映画は、それ以上のことはわからない。それを監督が意図してやっているのかもわからない。
メッセージはない…。
あみ子は生きている。そして泣かない。それだけはわかる映画だ。
これは評価しにくい、、
うーん😔子供に振り回され…
応答せよ、応答せよ。こちら、あみ子。応答せよ。
つらい。観終えてそんな感情しか湧いてこない。結局、あみ子のことが原因で家庭崩壊してしまった話。だけど、あみ子は全然そこに気付かない。気付くことさえできない。それは彼女がADHDだから。空気が読めない子だから。彼女に1ミリもの悪意がないから。だから、つらい。映画紹介とかで彼女が「純粋無垢」だとか見掛けるが、あみ子は清らかだとでも言いたいのか。わかってないなと思う。たしかに正直ではあるが、世間から見ればどこか歪んでいる。ゆえに、あみ子の「良かれ」も時には悪になる。周りから「変わった子」で見られ、散々振り回された家族にしてみれば、きれいごとの欠片などみじんもなく、苛立ちでしかない。でもね、そんな家族でさえ、本当のあみ子のことを理解してあげていないんだよな。父も継母も兄も"あみ子のせいで"としか思っていない。だから、つらい。たまに、ガサツな人間がセレブな会合に居合わせた時に生じる場違い感が、常にあみ子とその周辺に起こる。あみ子にとってはそれが普通。だけど、周りにとってはそれは奇妙。それを感じることができないあみ子にとっては、世間は不条理で成り立っているとしか思えない。だから、つらい。そしてようやく違和感を感じたあみ子が尋ねる。どこが気持ち悪いのか教えてほしい、と。たぶん、あみ子はそれを聞いてもわからないだろう。だから、つらい。つらくて仕方がない。ただ、この映画を作った人は、そのことを分かっている。そこがせめてもの救いだ。
応答せよ、応答せよ
唯一気にかけてくれていた坊主頭のクラスメイトに
自分のどこが気持ち悪いか尋ねたあみ子。
だけど、「ワシだけの秘密じゃ」と教えてもらえない。
「あみ子には分からんよ」
父親のセリフ。
あみ子が語りかけても
そこにあるのは、コミュニケーションの遮断。
どうせ言っても分からない。無駄だから。
あきらめ。優しさも含む。
なぜダメなのか
これをされるとどういう気持ちになるのか
あみ子だって、その都度きちんと説明されれば
分かるかもしれないのに…
1つなくなったトランシーバーは
あみ子の一方通行の語りかけの象徴。
これは特別な話じゃなく
人とちゃんと関わることを恐れる
私たち皆に向けた物語だと思う。
言っても伝わらないかもしれない。
でも、伝わるかもしれない。
向き合おうとしても、無駄かもしれない。
でも、無駄じゃないかもしれない。
「応答せよ、応答せよ」
人と正面から向き合えない弱い私たちに
あみ子は果敢に語りかけている。
大丈夫じゃ!
他の人の気持ちを思えない。純粋とか素直とか風変わりではない。感じている他者がいない。こちらあみ子という通信は届かない。
母はお母さんと言うが、黒子しか目に入らない。父は優しくなんかない。関与したくないだけだ。そしてあみ子は皆から捨てられる。
海に行かなくて良かった。どうなるか分からない。孤立した我々に映画は宣言する。
レビューが異様なまでに難しい…。
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▼ 映画のストーリーの趣旨的に、個人の思想が入りうる点がかなりありますが、他の方の思想を否定したりする意図はないことは断っておきます。
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今年213本目(合計489本目/今月(2022年7月度)25本目)。
私は18までは広島市に在住していました。
こちらの映画、後援など明確に行政は絡んでいないようですが、大阪市でも広島県事務所(大阪市に出張所がある)が大阪市のミニシアターにプッシュしていたりと、やや特殊な一面があります。また、原作小説は今から12年ほど前ですが存在することも事実です。
家族に起こったある「悪い出来事」をきっかけに、主人公の様態というか挙動が異様に不自然になる…というストーリーなのですが、どうにも趣旨が理解しがたいです。
確かに「衝撃的なできごと」ではあるので若干精神的に揺動することは十分考えられる一方、映画内で描写される内容は、「合理的な範囲で」いわゆるADHDなどを連想させます。
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※ なお、特に精神疾患に関しては、いわゆる「ネットによる私人の個人認定」が名誉棄損などの問題を引き起こすだけでなく、その性質上、医師(精神科医、心療内科等)による「厳格な」診断のもと下されるべき、という点は断っておきます。映画内ではこのことについて明確な描写はありません。
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そして、症状が何であるか(あるのかないのか、あるいは精神の揺動なのか)がさらに悪化して、変わった行動が「度を越して」、母親・父親をはじめとした家族が疲れ果てて、その結果とった行動は…という趣旨の映画です。
趣旨としては理解しなくもないものの、原作小説が2010年と今から12年も前なので、人権感覚も「若干」異なる(30年も前ではないので、ものすごく違うということはない)点、さらに、いわゆる「ご地域枠」としての扱いなのではないか…と思う一方で広島県の地名は一切でない(呉市ではないか、と思えます。エンディングロールでも出ます)など、「趣旨が理解しがたい」という点はかなり残ります。
広島県を舞台とした映画といえば、いわゆる「ヤクザ抗争もの」か「原爆もの」で、それ以外が「その他」の枠に入りますが、その「その他」の枠の中でも、「広島県を舞台にする趣旨」が理解しがたく(極論、岡山でも山口でも北海道でもストーリーは成立する)、原作小説がそうなのでそうしたのだと思いますが、逆にそうである以上、趣旨が理解しがたい部分はかなりの部分で及びます。
採点は下記を考慮しました。
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(減点0.2) この映画は今は関西でも見ることができますが、広島県では先行上映されていたようで、いわゆる「ご当地枠」の映画です。そのため、広島弁はかなり登場しますが、中には明確に聞き取れない(私も18までは広島市にいたので)点はあります(単純に早口すぎる。広島弁としても理解が難しい点もあるが(語彙の論点)、ここは広島からどの程度離れているかで理解の差は分かれます)。
また、「はだしのゲンごっこやインド人ごっこはやらないと約束してくれる?」というセリフ(最初の10分くらい出る)の「インド人ごっこ」は何を意味するのかよくわからないどころです(映画内で、ニンテンドースイッチをやっている子が出てくることから、2020~22022年が物語の軸と思われますが、「インド人ごっこ」はよくわからないし、仮に(舞台がどこであるかは別にして)今現在の人権感覚では通らないと思います)。
(減点0.3) 結局、安易に素人が病名を(映画内という架空のものに対して)安易につけるという行為それ自体が危険だという話は先にしましたが、通常人の理解であれば、やはりADHDなりの疾患を疑うのが普通ではないか(あるいは健常者とのボーダー)というところです。
ただ、50年も前ならともかく12年も前で、舞台は明示的に出ない(おそらく呉市と思われますが…)ものの、親も、あるいは小学校も「(家族・本人に相談の上で)、福祉行政につなげようとしていない」点は明確に気になりました。
ただ、この部分は極めてセンシティブな問題で(現在、2022年でも偏見が残ることはご存じの通り)、どこまで引くかはかなり微妙です。ただ、引いても減点0.3程度ではないか、と思えます(原作小説も同じくそう進むのであれば、今度は小説にあることないこと書けない、という別の問題が入るため)。
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フランケンシュタインファンタジー
とても丹精に作られてた。原作未読。冒頭とその後に出てくる子どもたちの下校時間のいくつかのカットがロケーションとあわせてとてもよく、また主人公が不敵な面構えで期待は高まる。でも進めていくとこの子が純粋とか無邪気とかでなく、ちょっと病気を抱えてることがわかる。とても危なっかしい。それがわかる頃から先行きに黒雲が見え始め、母親の流産の後、決定的にやらかしてしまい、時間の進み具合の中で、兄はどこかに飛んでしまい、母はおかしくなり、父はひたすら耐えており、あみ子だけが変わらぬままで、変わること(=成長)のできないあみ子はやがてそこから連れ去られる。
この辺りから「大人はわかってくれない」「お引越し」的なイメージになるのだけど、その2作に比べてあみ子がそれほど感情移入できるようなキャラクターではない。ある意味、劇中あみ子が見ていたフランケンシュタインのモンスターみたいなものだ。まともな子供ではなくどう反応するかわからないのでそれをずっと追っていくが見ているこちらが不安・不穏になる。野生の昆虫や爬虫類が出てくるのも象徴的だ。
そんなこんなでいくつもの映画的なチャレンジもやっていたが、ラストはなんとなく「バーディ」を思い出したな。
子供可愛い
がっつり刺さった。
いやー良い映画でした。思わず5付けちゃった。
若々しいけど、手練れ。
話は特に斬新な所はないけど、女性の優しい目線を感じる太宰治賞、安心です。
優しいけど直線的にしかコミュニケィション出来ないあみ子とその家族の崩壊の話で、皆んな凄く優しいのになかなか幸せになれないのが歯痒いです。
しろーとに毛が生えた程度の子役達を井浦新と尾野真知子、手練れ達が支えます。あみ子も、兄ちゃんも、友達達も、素人の素朴さを上手く利用してこの田舎の話は確信犯的に構築されてて演出の底力感じました。
何気に優しい友達や、兄ちゃんや、オバケ達。
奈良美智のキャラにも似た黙って何かを見つめているあみ子のアップがなんか刺ささりまくってしまいました。
おすすめ出来る良い映画です。
人間関係
大人同士でも完全に分かり合えることはないのに恐らく、この作品のあみ子は発達障がい(ADHDやASD)があると思われる子どもと親のコミュニケーションを中心にした作品で悲しいかなあみ子の思いは親には伝わらず、かつ、むしろ本音しかいえないまっすぐに生きてるあみ子を嘘や隠し事をする親や大人が煙たがり嫌う、そういう世界に慣れている子どもたちもあみ子のことを苛める、ハブるという有る意味差別されるがとする側の構造とかそう言うものにも言及している。
ちなみに、自分も発達障がいがありとても自分の子ども時代の行動に行動が似ており共感する場面が多かった。
さらに、子どもと親の関係の難しさ(子育て)や同じものを見ていても物の見え方は人によって違うんだよということにも言及していると感じた。
総じて、個人的にとても良い作品だった。同日に観たビリーバーズは気持ち悪く個人的には思ってしまったが。
子どもの目線から見た何気ない日常とちょっと変わった日常
子どもの視点から、周りの出来事が淡々と描かれてく物語。
今作で起こる出来事のほとんどが、詳細には語られない。母親が子どもに対して敬語なのは再婚だからだろうし、お腹にいたはずの赤ちゃんが死産だったり……といったことが、あみ子の視点から描かれる。
次女のあみ子の下には子どもがいなかっただけに、弟や妹できるという感覚があまりわからない。それはあみ子にとって、金魚やペットのようなものと同等と感じていたのかもしれない。
生活環境が変わっていく、母親の様子がおかしい、父親もそわそわしている、兄は不良になってしまった。
それらの出来事も、子どもの目からはどう映っているのだろうか、そういった子どもの感じ方、見え方に寄り添って、何気ない日常、ちょっと変わった日常をコミカルにもシニカルにも描いていく。
どうしても私たち大人は、大人の目線で子どもを見てしまう。自分たちも子どもであったはずなのに、その感覚というのは、大人になればなるほど忘れていってしまう。
しかし子どもは、そもそも世界の見え方が違うのだから、時に寄り添って考えてあげることも大切なのだと、感じられるし、感じてあげようと思える作品だ。
チョコビスケット舐めてきれいにして缶に戻したことある
普通は5枚ぐらいでやめるけど、
一缶全部やるところがスゴい。
のり君に
美味しいじゃろ。全部食べんさい。
のり君にしか興味なし。
でも、のり君の苗字も読めない。
継母の尾野真千子さんは自宅で書道の先生。なのに、あみ子さんは書道やらせてもらえない。
こりゃ、いかん。いやな予感。
お父さん役の井浦新が超謎。中学生の息子が家でタバコ吸っても怒らないのよ。放任主義というより、意気地がない感じ。
兄貴も不登校で暴走族に。
セーラー服と機関銃の林家しん平か。
「エリートコースまっしぐらですわ」
あみ子さんは低音に敏感。ベランダの音は鳩が巣を作っていたみたいだけれども。私も人の話し声は気にならないのに重低音に敏感。
他人のホクロが気になって仕方ない。
ほっとかれて、お風呂も入らず。
坊主頭の同級生はなかなか面白くて、いいやつだった。
友達認定してあげればいいのに、あみ子はのり君にしか興味なし。のり君も迷惑かけられて、迷走人生。
あみ子の迷惑な悪いところばかり強調されるけど、学習障害もあるだろうし、一般学級で放置でいいのか?おばあちゃんに押し付けていいのか?
こういう人間は人類の一大事というときに何かの役に立つために一定の割合でいるんだと思う。なにより本人だって辛いんだよ。取り残されては可哀想。
お化け👻なんかないさ~
お化け👻なんてうそさ~
あみ子の歌すごくよかったよ。
みんなのうたいけるよ。
大沢一菜。
すごい子が出てきた。
いいぞ、いいぞ、このまま頑張れ~
コメディにあらず
子供が主役のほのぼのコメディかと思ったらさにあらず。
なかなかヘヴィな物語。もちろん笑えるシーンは多々あるのだけど…
原作は未読ながら、あみ子がああいう発達障害っぽい言動の子であるならば、この映画は大沢一菜をキャスティングした時点で成功していたと言えるのでは?
天使のように天真爛漫、というだけではなく、否応なく周囲に負担や軋轢をもたらす存在。子供って誰でもそんなもん。この映画の中の子供たちだってみんなそうじゃん。だけど、あみ子などはやはり特別にそれが大きい。そういう子供と社会の関係性が特徴的に現れてしまうのだとおもう。まぁ、大人たちも大人気なく自分を護ることで精一杯なわけだけど…
予告編にもある「お化けなんてないさ」を元気に歌うシーンの切実さは観ないと分からなかったな…
タイトルなし
みんな微笑ましく笑っていたと思っていたら、突然裏目になる凄惨な存在力。
あみこちゃんの行動にはすべて理由があるのに疎ましく扱われ、理解に苦しむ同級生や理解に努める家族もいなくなってしまった。
僕たちはどこかであみ子ちゃんと出会っている。
登場人物が自分のことのようで、なんだかきまりが悪い。
悪意のない無垢な感情が、疲れた人の心のひだに余裕なく粘り着いて理解や理性を無力化させてしまうような。
分かり合えることの難しさを観ました。
気持ち悪い理由をあみ子ちゃんは100億個でも知りたかったと思うと切ない。
霊を蹴散らしてまた居なくなったお兄ちゃんと三途の川で手を横に振るあみ子ちゃんに、なんとか希望を持たせてもらっています。
ファンタジーで不条理な音楽や展開が、凄惨だけど身近な物語と相性良かった気がします。
偉そうにすみません。
些細なカットに多大な愛を感じた、とてもとても見応えのある作品でした。
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