「普通だと描かれないけれど視点の特異な映画」こちらあみ子 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
普通だと描かれないけれど視点の特異な映画
この映画のテーマが、「タブー」ですね。
発達障害を持つ小学生の「あみ子」の存在が周囲の人々を
変えて行く。
それが良い方向へ・・・ではなくて悪い影響を与えて
悪い方へ悪い方へ転がっていくストーリーでした。
普通の小説家はこんな発達障害児童の家庭への悪影響。
そんなことをテーマにしませんし、書かないと思う。
タブーです。
障害児の暗い部分、負の側面、家族への悪影響・・・なんて、
書けないですよ。
原作者の今村夏子さんはこの作品などで太宰治文学賞」と
「三島由紀夫賞」を受賞した。
映画からはちょっと離れますが、「こちらあみ子」に作者は
この作品に強い思い入れがあります。
大学卒業後に清掃のアルバイトをしていた、など人付き合いが苦手。
もしかしたら「あみ子」は作者の分身なのかもしれない。
全部、あみこの存在と言動のせい・・・とは限らないけれど、
映画を観てれば、あみ子のせい・・・そう思えてきます。
義母(尾野真千子)が死産したのは、あみ子のせいではない。
しかし庭に「弟の墓」と札を立てて、わざわざお母さんを呼びに行って、
「弟のお墓だよ」と見せつけて、
結果的にお母さんは号泣して、そこから病気がちになり、
精神に不調をきたし、入退院を繰り返す。
優しかった兄は中学で喫煙しはじめて暴走族に入り学校へ行かなくなる。
両親は離婚して、
あみ子は引っ越しとの名目でおばあちゃんの家に連れて行かれ、
お父さんに置いてきぼりにされる。
そしてあみ子の憧れの同級生の「のり君」が、
病んできて、「好きじゃー」あみ子、「殺すー」と、のり君。
「好きじゃー」「殺すー」「好きじゃー」を繰り返して、
結果、のり君はあみ子に暴力を振るい、
それもあみ子に馬乗りになり鼻の骨を折り大出血!!
すごく怖い話です。
それって、あみ子が優しい「のり君」を変えたってこと!?
作家が病んでるのかな?
発達障害児やダウン症の子供が家族にいても、健やかな家庭も多いと
思います。
事実、多動性障害児で手に負えなかった男の子が、
大人になり凄く人の心の分かる中学校教師に成長した例を知っています。
確かに問題提起映画。
障害児が家庭の不幸の連鎖を引き起こす、みたいな視点は
ちょっと極端ですね。
あみ子は少しづつ成長して、空気を読める大人に成長するかもしれない。
もしかしたら、成長しないかもしれない。
だけど「生きたい」と心の底から思っている。
この映画が描いた世界は、パンドラの箱を開けた側面がある。
ホラーよりも怖い映画でした。
いつもコメントありがとうございます。
さて、この作品は本当に難しさが残ります。
その要因は、そのまま、あみ子をそのまま描いているからかもしれません。
作家は良く彼女と同化できたと思います。
その作為のなさと言動、あみ子に関わる人はみな、心の奥底であみ子の言動を正しいとか自然とか感じているのと同時に、社会的観点という共同生活がダメと通告する概念のはざまで悩んでいるようにも感じます。
あみ子に関わると叱られるのは、その純粋な思いに同意しつつ社会通念上のNGになるからでしょう。
あみ子は常に「その」外にいますが、その他の皆は「なか」にいます。
あみ子を幼い時から見てきた少年は、その中間あたりにいるのでしょう。「気持ち悪い」理由を口に出しません。言えないのは、少年の持つ純真さからでしょう。
作品はすべてあみ子の視点です。そこにジャッジはありません。ただ彼女がそうしたいからして、その結果大切なものを一つ一つうしなっていくのです。
それでも彼女はそんなことにはめげないのです。
「大丈夫じゃ!」
彼女のまま、そのまま生きていくのでしょう。
この言葉の持つ意味は深く、考えると泣けてきます。
その涙の理由は自分でもよくわかりません。