劇場公開日 2021年8月7日

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「日本人は再び戦争を止めることができないだろう」カウラは忘れない 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5日本人は再び戦争を止めることができないだろう

2021年8月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 本作品のテーマは日本人の恥の感覚と、東条英機の「戦陣訓」である。日本人は何を以て恥とするのか。戦陣訓はどれだけ陸軍兵士の精神を縛ったのか。

 ツイッターだったか、今般のコロナ禍に際して、ワクチン接種を推奨するための各国の違いが風刺されていた。アメリカ人には「ワクチンを打ったら英雄になれますよ」と言い、日本人には「みんな打ってますよ」と言えばいいのだそうである。
 たしかに日本人には人と異なることを嫌う性質があると思う。日本人だけかどうかは別にして、みんながやっているのにやらないと、責められる雰囲気はある。マスク警察や自粛警察など「お上」の言うことに従わない人を市井の人が罰することさえある。それは公権力の要請を笠に来て弱い者いじめをしたいだけなのだが、この戦時中のような精神性が未だに蔓延していることが恐ろしい。それは戦争を肯定する精神性に等しいからである。

 恥の感覚は何故か大人よりも子供に際立つ。いじめられていることを親にも教師にも言えない子供がいる。恥の感覚があるからである。自分が弱い立場になってしまったことが恥ずかしいのだ。弱い=悪および否定に対して、強い=善および肯定という感覚。いじめられる子供だけではなく、レイプされた女性もそのことを言えない場合がある。
 それに恐怖だ。いじめを告発するとさらにエスカレートするのではないかという恐怖。親も教師も何もできないのではないかという絶望感。レイプを告発しても合意だと言い張られてしまう恐怖。警官が男ばかりだと、結局は男の都合で判断されてしまうのではないかという絶望感。

 コロナ禍の状況を強行して開催した東京五輪。これを大運動会だと表現した途端に「アスリートに対するリスペクトがない」等々と批判される。このオリンピックで増えた借金は都民ひとりあたり10万円超、国民一人当たり1万円超だそうだ。全費用を日本人が獲得したメダルの個数で割ると、1個あたり690億円にもなる。参加したアスリートの皆さんにこの数字を伝えたい。
 なぜ五輪の話題かと言うと、コロナ禍で医療体制が崩壊して国民がたくさん死んでいるのに五輪を強行して感染を増やすのはおかしいだろうという正論が、カス総理が繰り返す「安全、安心の」という具体策を伴わない主張に負けてしまったことで、同じことが将来の開戦時にも繰り返されかねないと解ったからだ。五輪さえ止められないのに戦争を止められるはずがないという訳である。同じ主張をネットでも散見する。

 ドキュメンタリー映画「東京裁判」を観ると、東条英機が如何に頭の悪い男だったかが解る。そんな男が書いた愚かな文書が戦陣訓だ。一顧だにする価値もないはずだが、陸軍兵士もそれほど頭がよくないのか、戦陣訓に縛られていたフシがある。故郷の家族の恥とならぬように、捕虜にはなるな、捕虜になったら汚名を残すことになると書かれている部分が本作品で扱われている訳だが、敵との戦闘力の差が大きすぎたら捕虜になるしかない。捕虜になることがどうしていけないのか、論理的な説明はなにもない。具体性もない。要するに戦陣訓は机上の空論に過ぎない。しかし日本人の恥の感覚に融合したために、陸軍兵士はこれを聖典のように崇めてしまったのである。

 本作品はカウラという捕虜収容所の件を扱っているが、その奥にある恥の感覚と、弱いことが悪で強いことが善だという思想が、日本人の精神を深く蝕んでいることを示唆している。収容所の待遇がよかったにもかかわらず、殺されるために脱走を図った精神は、五輪に反対できない精神、戦争を止められない精神である。
 家という価値観を捨て、国家という価値観を捨て、恥の感覚を捨て、弱い自分を肯定し、孤立することを恐れない勇気を獲得しない限り、日本人は再び戦争を止めることができないだろう。

耶馬英彦