草の響きのレビュー・感想・評価
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狂ったように走ってるんじゃなくて、狂わないように走ってるんだよ。
原作ベースに、人物や設定に手を加えているが、基本的な空気感は損なっていなかった。とくに、主人公が結婚しているという変更は、映画的にいいアイデアだったようで、おかげで主人公の心の揺らぎや物語の起伏が生まれて、ただ走ってるだけの原作のような飽きが来なかった。 それに、世間での評判ほど僕は東出昌大は嫌いではないので、この映画は楽しみだった。いくらいい演技をしても話題にもならないのは気の毒だが、おかげで浮ついた役が回ってこずに、こういう地味な役をこなす。個人的に、それがすごくうれしい。この映画でも、自分自身の心を把握しきれずに不安で揺れ惑う主人公を好演している。走ることで僅かでも改善しようとする、か細い意志が、じわじわっと伝わってくる。 原作者佐藤泰志が書いてきたいくつもの小説には、たいてい決まって本人の影が色濃く刻まれていて、いつもどこか私小説の趣があるのだが、この話はとくに、"自律神経失調症で医師からランニング療法を課せられていた"という時点でご自身と被る。そのせいで、この話の結末を、佐藤本人の選択と同じ末路を選ぶのではないかという危惧が抜けきれずに観ることとなる。もしくは、原作のままだと、あるところでブチっと終わるので、そっちなのかとも思いながら。結局、観客があのラストをどう自分の中に落とし込むかは様々だろう。消化不良の人もいると思う。僕は、彼はこの先もずっと、周りの人と溶け込むこともできぬまま、淀んだ沼の深いところで、浮いたり沈んだりしているような日々を、ずっと走り続けていくのだろう、と思う。 上映後、初日監督挨拶。 佐藤泰志をよくわかっているんだろうなあ、という気配はあったが、ご自身の家族とこの映画をリンクさせるのはどうかとも思った。でも、僕は「映画は監督のもの」だと思っているので、まあいいか。
静かに滾る衝動
佐藤泰志原作の映画は結構見ている。決して面白いと手放しですすめることは出来ないんですが、内容やストーリー云々というより、作品全体を被っている雰囲気が好きなんです。かなりじめっとしています・・・だからこそ自分に合っちゃったり・・・ この作品の共感性は最たるものでした。無気力とか不安や恐怖、それを払うが如くのラン、そして果てしないその衝動─ 色んなストーリーが重なり合い、それでいてすべてが微妙にすれ違っている・・・そのことが非情によく表現されているなぁと、見入りました。
ニコニコのニコ
自律神経失調症になり運動療法で走るのが日課となった男と寄り添う嫁、そして走る男と知り合ったスケボー少年達の話。 心のバランスを崩し東京で出会った嫁と共に出身地の函館に戻り働き始めるも、状況が悪化して病院にという状況から物語がスタート。 一方で札幌から引っ越してきたばかり、学校の同級生とはイマイチしっくり来ない少年が、不登校の少年とプールで知り合い…と二組の話を並行してみせていく。 徐々に良くなって行く主人公をみる物語か、寄り添う嫁さんをみる物語か。 スケボー高校生のそれは事故なのか故意なのか。そしてそれに触発されたかの主人公の行動は…主人公をみるとなにも物語が終わっておらず中間地点に戻っただけですよね? 嫁さんも、それは一時的なものかそうでないのか良く判らないし。 展開や空気感は良かったけれど、7合目で強制終了された様な感じがして、何が言いたいのかわからなかった。
普通に生活出来ている今の自分を褒めてあげたくなりました。
主人公と同じような病にかかり、かつ自分の存在を断ってしまった原作者。 私小説的な作品を映画化したのだろうか? 生きることの重苦しさ、息苦しさ、忌々しさがうまく表現されている佳作だと思います。
そこに在るが捉えられないモノ
まるで宇宙の謎のように、人の内面、心の奥底は深く計り知れない。この作品はそんな深く捉え難い世界を垣間見せてくれる。 佐藤泰志の作品はいつも弱者に目を向け、寄り添うかのように優しく見つめている。今回の弱者は自身の内側にその原因があり、それは佐藤本人が抱えた問題である。 主人公、周囲の人、そこで遭遇する人、それぞれの辛さや苦悩を浮き彫りにし寄り添う。同様の苦悩を抱える若者は別の道を歩むもう1人の自分なのだろう。 抱えた内面の苦悩、その周囲の葛藤、そんな中での幸せ、そしてその先への夢を感じさせてくれる。ここに映された辛く優しい世界は佐藤泰志という人の本質なのだろう。
最後はみな去っていった…
東出くん、未だにネット界隈では〝大根〟だの〝棒読み〟だのと、酷い罵詈雑言を浴びせられております… 確かに本作でも、決して絶賛されるような出来ではありませんが、そんなボロクソ言われる程でもないでしょうに…苦笑 しかしながら、東出くんの出来なんて問題にならない程に、シナリオやら演出やら色々破綻しております… これって、原作あるんですよね? 原作者はこれ観てどう思うんだろう… 原作ファンはこれはアリなんだろうか? 私はいちいち作品にメッセージ性など求めてないし、全部が全部に白黒付けるべきなんて毛頭思っちゃいませんが、この監督さんは一体何を目的にこの作品を撮ったのでだろうか? 結局、何を言いたいのか、表現したかったのか理解出来ず… 心を病んでしまった主人公は、最後には妻や産まれてくる命、そして絆があるのか無いのか良く分からない友人も失い、狂気じみた笑顔を浮かべて走り去っていく… んー、分からない…
疲れてるときは見ちゃだめなやつ
夜勤明けに観たからか草の響きを感じる前にわしのいびきが出そうで大変でした。すまない。小説の通り、主人公がただ心を病みただ走るだけなのですぐ眠くなるタイプの人は注意が必要です!エンタメ要素はないので風景とか仕草とか丁寧に観れたら少し面白いかも? あと原作は観る前に読んでる方が良いかなと。 私はあの走ってるだけの短編をどう引き伸ばして映画に?と思って見た口ですが、映画オリジナルキャラの妻が正解だなと思いました。そして奈緒さん配役は大正解よ、ほんと。なんであんなに声が優しいの?好き。 原作者の佐藤泰志さん自身、自律神経失調症になり最後には自殺されている方なのですが、原作ではそのやらないとわからないほんとに絶妙な病んでる描写とランニング風景の繰り返し。生きづらさとか不安とか焦燥とかうわぁぁぁあってなるような内側を、うわぁぁぁあってならないように走って走って走って。そしてどんなに走ってもすぐに振り出しに戻ってしまいそうな恐怖。って、これ妻を足されなかったらかなり孤独な病み病み映画だったかもですね。。夫婦の会話によって、病をかかえた地味に嫌でリアルな生活がわかりやすくなってました。脚本とか相当難しかっただろうな。凄い。 東出さんは騒動以来久しぶりに観ましたね。不倫イメージつきすぎてて、ポスターとか記事で東出さんのキメ顔を見ると何かイラっとするタイプの私ですが、この映画はラスト以外ほぼ引きの絵でアップにならないので平気でした。私と同じように東出さんが苦手な方でも自然に観れると思いますw
ひどい舞台挨拶!
上映前、監督1人で舞台挨拶。東出昌大さん、奈緒さんを呼びすてで紹介し、奈緒さん出演作品が同時期にに 2、3本上映されていると言っておきながら、私は観ていませんだって!なんかムカつきました。 私は、全部観ました。 東出さん、スケボー上手ですね!ジョギングもめっちゃ早いです。 ラストの睡眠薬ビックリしましたけど、生きててよかったです。 ラストのジョギングでの表情よかったです。 作品としては、悪くなかったです。
東京の出版社で編集者として勤めていた工藤和雄(東出昌大)は、心を病...
東京の出版社で編集者として勤めていた工藤和雄(東出昌大)は、心を病み、妻・純子(奈緒)とともに故郷の函館に戻ってきた。
しかし、一向に良くならず、混乱の中、旧友の研二(大東駿介)のもとへ行き、研二に連れられて漸く精神科を受診することになった。
女医の診断は「自律神経失調症」。
服薬とともに、運動療法としての毎日のランニングを勧められた和雄は、それから毎日決まったコースをランニングし、次第に距離を伸ばすようにした・・・
といったところからはじまる物語で、しばらくすると、ふたりの男子高校生のエピソードが綴られます。
ひとりは、スケボーの上手い背が高い男の子(Kaya)で、やや理知的な感じ。
もうひとりは、金髪のちょっと出来の悪そうな感じの男の子(林裕太)で、ふたりは、スケボー少年が無様に飛び込み、コースでジタバタしている市民プールで出会い、その後、互いに得意なことを教え合おうと約束して、その後、つるむようになっていきます。
映画は、和雄らの成年部パートと、スケボー少年らの少年部パートが交互に描かれ、当初、スケボー少年が和雄の若い頃なのかな、と思いましたが、セリフから名前が異なっているので、別人ということに気づきました。
なんとボンクラな、と自分でも思うのですが、映画は引きの画が多く、スケボー少年役の男の子と東出昌大の雰囲気が似ているので混同してしまった次第。
さて、ランニングを続ける和雄は、そのうち、彼らがスケボーの練習をしている公園で彼らと出会います。
少年たちには、金髪少年の姉(三根有葵)が加わって、3人になっています。
毎日ランニングする和雄に興味を持った少年ふたりが和雄の後追いかけて二言三言交わすぐらいの、それほど深い付き合いではありません。
和雄は毎日のランニングと少年たちとの交流、純子と研二の支えもあって、学生食堂での洗い場仕事ができるまでに恢復。
しかし、ちょっとしたことで、心の病の暗い影が覗くこともあります。
そして、それまで和雄を支えてきた純子の妊娠。
和雄、純子、研二のささやかなお祝いの場は、このあとの幸せな生活を暗示するのですが・・・
一方、少年たちもどっかどっかに暗いものを抱えていて、特にスケボー少年は田舎にしてはインテリ少年なので、影が時折おもてに覗いてきます。
そして・・・
と、成年部三人と少年部三人は、別の三人組ではあるのですが、心の奥底では同じようなものを抱えていて、少年部三人は、和雄ら三人と似通っています。
いうならば、スケボー少年は、和雄が「そうならなかった」道を歩んだ和雄の少年時代ともいえるでしょう。
心の病が悪化した和雄は、遂に入院生活を余儀なくされます。
病状のやや恢復した和雄のもとへ身重の純子が面会に行き、面会室で面談。
このシーン、この映画唯一のアップシーンで、ここをアップで撮るために、それまでは引きの画で進めていたのだと気づかされます。
それほど、ここは印象に残ります。
(なお、試写会後の監督と東出のクロストークで、「はじめから、ここはアップで撮ろうと決めていた」との発言がありました)
最後にもうひとつふたつ短いエピローグがありますが、これを幸せな再生とみるか、そうでないかは観客に委ねられているでしょう。
ただ、ラストシーンの和雄の姿は、スケボー少年が迎えた道とは違うことだけは確かです。
ランニングする和雄のスチルショットが意味するのは、それでも人生は続くということでしょう。
なお、観ているうちにいくつかの過去作品を思い出しましたので挙げておきます。
『キッズ・リターン』(スケボー少年と金髪少年のやりとり)
『HANABI』(少年二人がスケボー練習のために広場に置く丸太)
『マラソンマン』(和雄のランニング姿)
『バーディ』(ラストシーン)
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