草の響きのレビュー・感想・評価
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心と向き合う苦しみと優しさ
感謝しながらも、心の病の為妻を支えきれず苦しむ出版社元社員和雄を、東出昌大さんが熱演。ただひたすらに走るその姿が美しい。
和雄の心に寄り添う高校教師の親友研二を演じた大東駿介さんの優しい表情、眼差しに魅せられた。
和雄を優しく見守る妻純子を奈緒さんが好演。空回りし、心が折れそうになりなからも前を向く姿に、女性の秘めた強さを感じました。愛犬ニコと戯れるシーンに癒されました。
精神科医役の室井滋さん、高校生彰を演じたKayaさん、彰の友人弘斗を演じた林裕太さんも好演。
心の病を抱える辛さ、人の心の脆さの描き方がリアルで、ラストの吹き込まれたメッセージに希望を感じた。
生きてこそ、改めてそう思った。
映画館での鑑賞
心の病、簡単ではない
佐藤泰志さんの原作作品としては「海炭市叙景」、「そこのみにて光輝く」、「オーバー・フェンス」、「きみの鳥はうたえる」に続き5本目でしょうか。観る人を選ぶとはいえ愛おしい作品たちだ。 . 今作もまた海炭市・函館が舞台。東出昌大さん演じる主人公は心を病み、奈緒さん演じる妻と一緒に東京から故郷・函館へ戻った。 . 精神科医の勧めに従い街を走る。 毎日ひたすら走り続ける。 . 走れない自分は正直羨ましかった。 走ることで浄化されるのではとマジで思った。 . まあ、そう簡単には行かないわけで。 . 最後まで苦しかった。 簡単ではなかった。 だから信じられるんだろうなぁ。 . 41歳で命を絶った佐藤泰志さん。 やはり生きづらかったのだろう。 . . . ということで今作もまた観る人を選ぶ作品。客観的に観て楽しむ作品ではないので、病んだ記憶がない人は観なくていいと思う。
淡々と進んで行く作品の中に日常の生きにくさみたいなのがしっかり出て...
淡々と進んで行く作品の中に日常の生きにくさみたいなのがしっかり出ていて、星4に近い3.5です。 そんな中から良い意味で逃げてもいいよというこど感じられつつ、重いんだけどなんだから最後は開放感のある不思議な感情にさせられる良い作品だったと思う。
私の好きな俳優・東出昌大
東出昌大が久々の主演ということで鑑賞。 予告を見ても特別面白そう!という訳でもないので、そこまで期待せず見ることに。奈緒も出てるし、役者目当てって感じかな。 まぁ、こんなもんかな。 自分に合ってるか合ってないかと聞かれれば合っていないけれども、見る人によってはすごく響くのでは無いかと思った。 心のバランスを崩し、故郷である函館に妻・純子(奈緒)と共に戻ってきた工藤和雄(東出昌大)。精神科医に通いながら、毎日ひたすら同じ道を走り続けている彼は徐々に心の平穏を取り戻してくる。 原作者が「きみの鳥はうたえる」の人だったのかこの作品。見る前に確認しておけばよかった。正直、きみの鳥はうたえるめちゃくちゃ苦手な映画でして。映画では余計なことはしないですから、観客のあなた方が勝手に解釈してください系が性にあわないんですよね。まぁ、知ってても見に行ってたけどね。やっぱり本作もちょっとキツかった。 雰囲気と映像はとてもいい。 居心地がいいし、函館の風景はスクリーンに映えるし。ひたすらに走る主人公を追いかけるカメラワークもなかなかなもので、何かのMVを見ているかのような気分になった。Tiffanyの長編CMみたい。 グッと引き込まれる何かがある。 特に何かが起こるわけでもないけれど、意外と退屈はしないしいつの間にかクギズケになっている自分にふとしたタイミングで気付く。ドラマよりも圧倒的に映画向きだなと思える作品だった。 やっぱり東出昌大という俳優が好きだ。 ココ最近の演技力の向上が著しい彼だが、本作も口数は少ないが挙動や感情表現をすごく繊細に演じており、東出昌大だからこそ出来た役だと思う。これからも俳優として活躍して欲しい。 ただ、個人的には響かなかった。 んー、どんな人に響くのかなと思ってしまった。何を伝えたいのか、何が言いたいのかがさっぱりで、原作もこんな感じかと思うとゾッとする。小説でだと絶対に読み終えれる自信が無いから。 見ごたえも、満足感もゼロ。 何を楽しみにしてこの映画を見ればいいのだろうと結構序盤で思ってしまい、退屈はしないけどもどかしかった。終わり方もなんかなぁって感じだし、全体的に薄っぺらくてあまり印象に残らなかった。 そういうのを総じて楽しむのがこの映画だと思うんだけど、やっぱり自分には合いませんでした。 朝も早うのに結構な人数。70越えの方がほとんどですけどね。
主人公を襲った病気の怖さ
現代病とも言える主人公を襲った病。 この病に触れたことがある人にとっては、響くのでは? 描写が細かい部分でリアルで、それに対する周りの反応もリアル。奈緒さん演じる奥さんの気持ちが特に痛ましく、観ていて辛かった。 ラストはハッピーエンドなのか?バッドエンドなのか? 観る人の解釈によって変わるだろう
で、なんの病?
う~ん。 死に向かう若者の気持ちとか、孤独とか、想像力をかきたてる描写があるかと思えば、さっぱりわからないところもある。 所詮、人の気持ちなどわかるものでもないし。 東出昌大さんの演技、素晴らしいだけにスキャンダルが邪魔をする。 奥さん役である奈緒さんの台詞が、現実とオーバーラップする。 で、彼の病名って自律神経失調症?
共感できる作品
自身の感覚が大きく影響していると思いますが、奥さんのに対して感情はあると思いますが、好かれた原因がちょろいと台詞にあったように自身の意思よりも先に進んでしまって、
主人公は自分のような人間にはなってほしく無いという話しからも。家庭環境、子供に対して感情があるが、自分が良い影響をもたらすことは無い、自分の存在が自分の大切な人物に悪い影響しか無いと感じていると思います、
大切な存在だと思えるほどに、自信の存在は無い方がいいと思える。
ランニングのみがそういった一切の感情からも離れられる行動でした。
自身の感覚では辛いエンディングで、ランニングをして何か自身周囲を一時的に感情から離れる行為にはなるが。
周囲に救いになる存在が有るだけに、そこに頼ってほしい、自分は大丈夫だと感じてほしいと思いました。
原作を肉付けし、新たな魅力を備えた作品へと昇華している
主人公の和雄は世間一般に信じられている価値観を十全に理解している。結婚して、子供が生まれる。喜ぶべきことだ。だが、和雄は喜ぶことができない。考えてみれば、それはそうだ。子供をを育てるということは楽しい事ばかりではない。一人の人間の人格形成に、何年にもわたって責任を負い続けるということは、かなりの重荷だ。子供は天使ではない。時には悪魔にもなる。単純な事実だが、見落とされやすいことだ。もちろん、これから親になるという人間が、そういうことを全く考えないということはないだろう。だが、子供ができたら、まずは祝福をするのが相場と世間では決まっている。子供ができたと報告して「大変だね」と言ってくる人間はいない。子育てには苦楽が伴うが、まず“苦”には一旦目を瞑って“楽”の方だけを見なければいけない。世間ではそういうことになっている。精神を患っている和雄には“楽”より“苦”の比重の方が大きいのは明らかだ。それでも世間の価値観を理解している和雄は、それに自分を合わせようとする。“まとも”になればなるほど、和雄は苦しくなっていく。
和雄は憑かれたように走る。走っている時、和雄は幸せだったろう。走っている間は、現実の問題を忘れることができる。自分以外には何もなく、ただ一人の人間としていられる。そんな時に出会う高校生たちは、大人とは違い、まだ自分の考えと世間の常識との違いをうまく合わせられずに悩んでいる同類だ。だが、和雄の合わせ鏡であったような存在の彰は死んでしまう。
唯一の親友である研二は、病の和雄を置いてスペインに行ってしまう。和雄のことを心配して言葉をかけるが、どこか上っ面だけの印象だ。大人の男の友情というものを、残酷なまでにリアルに描いている。友人である和雄のことを心配している気持ちは嘘ではない。ただ、深くは入り込まない。和雄に和雄の人生があるように、研二には研二の人生がある。深く立ち入りすぎて、面倒事を請け負うようなことはできない。青春ドラマみたいに、殴ったり叫んだりして友情を貫き通すなんて真似は、現実にはありえないのだ。
妻の純子は原作にはいない登場人物だ。純子の存在が、原作にはない付加価値を映画に与えている。
純子は孤独だ。和雄には研二や純子が寄り添おうとしているが、純子に寄り添う人間はいない。純子にとって心を許せる存在は犬だけだ。たしかに犬は大事な存在だが、人間ではない。純子に必要だったのは、女友達だろう。男にとっての男友達より、女の女友達はずっと重要な存在だ。だが、夫に付いて見知らぬ土地に来た純子には、気軽に会えるような友達はいなかった。そんな簡単な話ではないことは承知だが、純子に女友達がいたら、物語の行き先は多少は変わっていたかもしれない。
最後に、和雄は崖の前で横を向き走りだしていく。死んだ彰とは違う、生きることを選び取ったラストのシーンは素晴らしかった。
演じる役者と物語の中の役を重ねて観るようなことはあまりしないのだが、映画の公開前後に和雄役の東出昌大のスキャンダル報道があった。世の中でうまく生きられない和雄と、問題ばかり起こしている東出が妙にシンクロしていると感じた。映画の興行への影響はわからないが、作品の内容にはむしろプラスに作用したのではないかと思っている。演技のうえでも、これ以上ないほどのハマり役だった。この作品を通して、彼の演技をこれからももっと観たいと思った。
最後まではちょっと退屈かも
ソフトカツゲン、サッポロクラシック、ベルのタレ、あとはラッキーピエロが欲しかった。 たんたんと物語か進みます。満腹だったせいかちょっと眠くなってしまった。 この夫婦、仮面夫婦とは言いませんが、本当に言いたいことは言葉にできていません。 それを暗示しているのか、基本は引きの映像が多く。カット割りせずに長回しが多いです。 夫婦に限らす、いろいろなキャラクターが出てきますが、どこか心がないと言うか、上っ面だけしか分かりません。 そして最後の15分くらいでようやく本心が出てくるところで、顔がアップになります。 ギャップで引き込まれました。 ただ、それでも前半はちょっと退屈。ランニングシーン、、長い。 東出昌大は良い役者です。プライベートがどうかなどどうでもいい、スクリーンの中で輝いていれば。 心の病の話で、なかなかリアリティがあると思った。よく、自死する人は将来のこと(例えば次の日の映画の予約とか、旅行の計画とか)しないと言うけれど、実際は違うと思う。本当に魔が差すと言う感じで、数時間前まで、みんなで楽しく食事してても、その番に、、、ということもあると思う。その辺がとてもリアル。 なかなか見ることが出来ず。たまたま横浜の(憧れのミニシネマ)ジャックアンドベティで、観たかったふたつの映画を連続上映してたので、意を決して遠征鑑賞でした。
空気
台詞がそれほど多くない作品なのだけれど、映像や動作や表情、その空気感の中で捉えられる各々の登場人物達の感情が非常に分かりやすい。 和雄、純子、研二、少年少女達の気持ちが、す〜っと心に染みてくる。 和雄は走り続け、ラストも純子に電話(留守電)をした後、病院から飛び出て走り出す。本人の中では複雑な気持ちがあるのだろうが、その姿はなんとも清々しい。 なかなか良い映画だったと思う。
誰も責められないなと思いました
とてもよかったです。 東出昌大さんがとてもよかったです。奈緒さんも、大東駿介さん、ほかの俳優さん達もとてもよかったです。 ロケーションの函館の街並みも素敵で、カメラのカットの撮り方も良かったです。 主人公の和雄が自律神経失調症になった直接の原因が仕事だったのか、奥さんが原因だったのかがわからなかったのですが、とにかく和雄が心のバランスを失って仕事を辞めて、故郷の函館に戻ってくる。走ることで自分のバランスをなんとか取ろうとする。奥さんの純子は元の仕事を辞めてロープウェイのガイドとして働きながら夫のことを支え続けて。和雄の親友の研二もとてもいい人で、仕事を休んでまで和雄の通院へ付き添っていったり、度々和雄を訪ねては体調を気遣って。そんな暮らしが一年も続いて。 各々それぞれにできることを尽くして頑張っていたのだが、結果は… 誰のことも責められないし、あのような結果になってしまったものの責められないし判断や行動に正解はないんじゃないかと思いました。 ハッピーエンドの終わりかたでなかったでしたが、現実としてはこの方が多いのかもしれないと思いました。とても考えさせられる映画でした。
佐藤泰志、5度目の小説映画化。
自死した小説家佐藤泰志原作の5度目の映画化作品である。短期間に5度も映画化されるには、訳があるに違いないと思って観た。残念ながら原作は読んでいない。映画監督が撮りたくなる小説家なのであろう。原作を近いうちに読んでみたい。 予告編が良かったので、鑑賞したが本編は別物であった。私の好みの映画作法ではない。 人生の生きづらさを感ずる人達を描いた映画だ。生きづらさは様々である。精神の病であったり、人間関係であったりと。こんなところが映画化する理由なのかと感じた。
むずかしい
客は自分しかいない劇場で観ました。 こういう映画はあまり見ようと思わないが、会社で同じような子がいたので見ました。 この作者は結局自ら命をたったそうですが、主人公もこの先そうなったんだろうか? 奈緒の演じた妻はたまらない。 僕は孤独だけど、理解できるほど病んで無いというのがよく分かった。
原作者佐藤氏をみつめる作品群
亡くなってから評価をされ、ついに5作目の公開 とりわけ函館の人々には佐藤さんの存在は大きいのだろう 「海炭市叙景」では函館の町全体の普通の人々が描かれていたが、海や坂道、そして「海炭市」でも本作でも描かれたロープウエイ、佐藤氏の生きてきた証を辿っているような、本作は病気が描かれていることで、そういった彼の苦しさがあったことを感じずにはいられません 映画を観る前に短編の原作を読み、原作にはない奈緒さん演じる主人公の妻の存在が、救いにもまた苦しみにも感じられ、奈緒さんの演技もあって物語に深みを与える内容となっていると思います 佐藤氏そのものの心情が描かれているとすれば、観る者の心に佐藤氏がまた刻み込まれたような思いを持ちました それにしてもアイリスさんやアイリスさんを支える函館の人々の力は大きいですね(10月14日 イオンシネマ シアタス心斎橋にて鑑賞)
【それでも生きていく】
もう相当前のことだが、不眠症がひどくて、和雄のように運動療法として、毎日5キロから10キロのランニングをしていたことがあった。 30分から1時間程度走るのだが、どんどん深みにはまるように走らなくてはならない義務感が高まって、ついにはフルマラソンも完走するまでになった。 ただ、フルマラソンを走って、目標タイムに僅差で届かなかったことで、次回へのモチベーションが高まったかと云えば、そうではなく、一体自分は何をしているのだろうか、実は、何か肝心なことから、ランニングをすることによって逃げているのではないかとの疑問が大きくなった。 家族や、友人や知り合いは、よく頑張ったと言ってくれたが、自分では実は達成感はなかった。 僕は、だから、和雄の気持ちが分かるような気がする。 一度壊れた心は、いつも潤いがなく、どこか乾いた感じなのだ。 乾いた肌感。 乾いて、徐々にひび割れ、それが、突然大きく裂けめのようになる。 だが、現実は、自分を待ってくれない。 現状を肯定するだけでいっぱいいっぱいの自分。 それに対して、ささやかでも希望を叶えようとする研二。 未来を見据えようとする純子。 死んだアイツ。 広がる距離感は裂け目のようだ。 だが、生きていかなくてはならないのだ。 実は、コロナ禍のなか、佐藤泰志原作の映画を見直してみたいと思っていた。 コロナ禍でソーシャル・ディスタンスの重要性が説かれていたが、実際に繋がったり、触れ合うことなしに人はやっていけないのだと思ったからだ。 佐藤泰志原作の映画には、結果はどうあれ、傷つけ、ぶつかり合いながらも、繋がり、触れ合いを求める人の姿が描かれていると思う。この「草の響き」の公開が良いきっかけになった。
人間関係の希薄さを冷徹に描ききった
奈緒はこのところ映画にテレビドラマに大活躍である。主演した映画は「ハルカの陶」と「みをつくし料理帖」で、まったく異なる役柄ながら、見事に演じきっている。今年(2021年)公開された映画「先生、私の隣に座っていただけませんか?」や「君は永遠にそいつらより若い」でも、重要な役どころを好演。いま最も勢いのある女優のひとりと言っていいと思う。 心が壊れてしまった主人公を東出昌大が演じるのは、あまりにもぴったりきすぎている。演じた主人公の和雄の悩む表情が、不倫発覚時の記者会見のときとまったく同じ表情だった。最後まで妻の杏が許してくれると信じていたのだと思う。いくつになっても甘えん坊の男である。なんだか気の毒に思えてしまった。 心が壊れてしまった男の妻の立場はとても辛い。夫の心が壊れた責任の一端は自分にあるように思えてしまうからだ。避妊をせずにセックスする夫。にもかかわらず妊娠を素直に喜べない夫。喜ぶ余裕がないから喜べないのであって、悪気がある訳ではない。それがわかっているから逆に辛い。その辛さを、奈緒が上手に演じる。今回も素晴らしい演技だった。 辛い夫と辛い妻。苦しいだけの夫婦だ。実際の東出昌大が妻の杏に寄りかかっていたように、本作品でも夫の和雄は妻の純子に精神的に寄りかかっている。東出はよくこの作品に出演したものだと思う。現実とほぼ重なり合っている。 和雄には妻に対する感謝の気持ちがない。努力を当然のことのように受け止められてしまうと、妻の努力が報われず、気持ちが宙に浮いてしまう。当たり前の対義語はありがとうである。ありがとうのひとつも言わない和雄に、純子はだんだん疲れてくる。人として尊重されていないと感じれば、愛はなくなる。人を人として尊重しない人はもはや尊敬できない。尊敬がなくなれば、同時に愛もなくなる。 一方、友情はどうだろう。こちらも同じだ。一緒にいたり遊んだりすれば楽しい時期がある。しかし楽しさはいつまでも続かない。その時期を過ぎても一緒にいたいと思うのは、相手を尊敬する気持ちがあるからだ。弟子と師匠の関係と同じである。弟子は師匠を尊敬するからついていく。尊敬できない師匠についていく弟子はいない。友情は互いが弟子であり師匠である関係でなければならない。相互的に尊敬の関係でなければ続かないのだ。 本作品はふたつの似たような関係を微妙に触れ合わせながら、人と人とのつながりの儚さと孤独を描く。他人の死を死ぬことができないように、他人の人生を生きることはできない。自分の死を死ぬ者は自分しかいないのだ。その覚悟ができている者とできていない者。最後は別れが待っている。 人間関係はどんなに濃いように見えても、実はいつも希薄だ。そこを冷徹に描ききったのが本作品の真骨頂である。いい作品だと思う。
普通に生きることの難しさ
この作品は東出昌大じゃなきゃできなかった役かもしれない。そして、この時期だったからこその役かもしれない。彼がプライベートで乗り越えた人生の修羅場、その苦悩の日々とも非常にリンクしているような気がしてならない。 和雄が友人研二に助けを求め、病院に連れて行ってほしいと懇願した時の土手でのシーン。彼は全身が震え、焦点も定まらない不安な表情を浮かべ、自分をコントロールできない様子は真に迫る演技だった。 今回、研二役の大東駿介は優しく、温かい、和雄に寄り添い、救ってくれた本当になくてはならない存在だった。 純子側からの見方をすると全く違ったものになってしまう。狂わないために走り続ける彼の思いと狂ったように走ってるという彼女の思い。 彼女は精神を病んでる彼に通常の夫の振る舞いを求める。洗濯物が乾いていたならしまっといてとか、スープ温めて飲んでとか。でも精神を病んでる人は普通のことができないのだ。自分のこともコントロールできないのに、人のことを考える余裕さえもないのだ。 そうやって、夫婦の距離が広がっていく。 その究極が妊娠が判明したという妻の横で喫煙しようとする夫。和雄も純子も慣れない土地でお互いに生きることにもがき続ける。 そこに走ってる和雄と自然と交わるように若者たち3人と出会う。まるで和雄の若かりし頃を彷彿させるような出で立ちの彰。 彼も慣れない転校先での生活にいじめに合いながらも、必死に生きていた。彰が海に飛び込んだのは死にたかったからじゃないと私は思っている。 俺は口先だけの人間じゃない、自分でやると言ったことはやるからみたいな強い意思、あといじめてたやつへの意地もあっただろうと思っている。 走り続けていても、子供が生まれたらちゃんと自分は父親になれるのかという不安。実父からの圧力。自分の病気は良くなっているのかという不安。近くでいつも支えてくれた研二がいなくなってしまう不安。 様々な不安と圧力に一人になると押しつぶされてODをしてしまうのだ。 本当に和雄はこの草の響き、原作者の佐藤奏志そのものだ。ラストのシーンで病院から抜け出し、走り始めた彼の笑みが頭から離れない。 純子は彼の元から離れてしまうのか、ただ里帰り出産をしただけじゃないのか。最後にキタキツネを見れた彼女の涙は何を意味していたのだろうか。 生まれてくる赤ちゃんが2人のかすがいになってくれたならと願うばかりだ。
普通に生きてるいるようで生きていない。
成年と少年のストーリーが交錯しながら進む。どちらので世界も生きにくさを感じる。普通に生きるって、当たり前に生きるって難しい。 ラストの裸足で草地を走る姿が印象的。
東出昌大という役者
東出くん、決して器用な役者ではないと思います。ともすれば「下手うま」な感じすらするのですが、要するにどこかしら掴んで離さない「味」が、演じるキャラクターに巧くハマるともうこの役は東出くん以外考えられないと思わせるのです。 その「味」を言語化するならば「得体の知れなさ」「得も言われぬ不穏さ」「奥に潜んだ狂気のようなもの」と言った感じで、今までも『寄生獣(14)』『散歩する侵略者(17)』『寝ても覚めても(18)』『スパイの妻 劇場版(20)』『BLUE ブルー(21)』などなど、いずれも「初めの印象を裏切る」や「不安定な様子」のキャラクターがキャスティングされることが多い印象があります。 今作の工藤和雄という役にも絶妙な感じで、むしろどこまでが役作りか判らなくなるくらい。和雄の妻である純子役の奈緒さんの「無言の表情演技」がまた秀逸だったこともあり、非常に居心地の悪い雰囲気がとても良かったです。 もう一方の高校生パートの方が比較してどうしても弱くなり、全体的には「もう一歩」と感じましたが、佐藤泰志原作に対する期待へのハードルが高かった分を差し引けば、それなりに評価できる作品だと思います。
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