劇場公開日 2021年9月23日

  • 予告編を見る

「フォトジャーナリズムの信義を観る、水俣病を題材とした意義はそこまで感じられず」MINAMATA ミナマタ たいよーさんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5フォトジャーナリズムの信義を観る、水俣病を題材とした意義はそこまで感じられず

2021年9月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

水質汚染による水俣病を題材としたフォトジャーナリストの映画、という方がしっくり来る。彼の生き方がレンズを通して真実を映すとき、この現実に心を打たれる。

最初に感じたのは、これはジャーナリズムの映画だと言うことである。彼は過去の栄光の対価として深い傷を負ったカメラマン。導かれるように撮ることになったのが水俣病で苦しむ人たちだった…。そこに居る人たちは何を持って戦い、何をゴールとするのか…また、それに対して声を上げることに意味があるのか…その葛藤。しかし、それを抱えるには大きすぎるからこそ、世界に知ってもらわなければいけない。ppmで例えられた小さな声はメディアによって大きくなることで、当事者以外こそ考えなくてはいけない問題へと変わる。その視点を軸に進むこの作品は、実にジャーナリズムを問うている。また、エンドロール前の結びで、きちんと水俣病について、日本の解釈が間違っていると叩きつけている。そうした点からも感じることが大きい。

ジョニー・デップも素晴らしいのだが、そこまでして水俣病に拘る理由を感じにくかった。人との交流をしながらも、昔の悲劇がチラつき、弱音ばかり吐いてしまう。それでも立ち向かわせる何かを実は蔑ろにしている気がしてならない。とはいえ、被害者や会社、子どもたちの視点から問題の根源とあるべき姿を炙り出し、導く強さは静かに感じる。いい意味で静かな映画だと思った。しんみりとしたドラマはそこになく、寧ろ起きているリアルを焼き付けてほしいという熱を感じる。これは今もなお変わらず、忘れてはならない意志なのだから。

SDGsだと言っている今の世界から、公害や汚染に対しての反省が滲んでいるとは思えない。こうして苦しんだ人達の犠牲を孕んでいると思えないからだ。しかし、こうしてレンズを覗かないと我々は問題を見ることができない。在るべきジャーナリズムが今も続いていることを願うばかりだ。

たいよーさん。