「映画「コットンテール」はリリーフランキーが光る愛と喪失の物語だった」コットンテール 稲浦悠馬 いなうらゆうまさんの映画レビュー(感想・評価)
映画「コットンテール」はリリーフランキーが光る愛と喪失の物語だった
# 感想
喪失について考えさせられたというか、感じるものがあった。
# 男 (リリーフランキー)
ものすごく柔和な雰囲気で話す男。リリーフランキーの良さがものすごく出ている。
こんな柔和で独特の間を持ちながら話す人は、世間でも見かけることがある。
一体どうやったらそんな話し方になるんだろうか。天然で身についたものなのか、それとも複雑に鍛え上げられた社交術としての喋り方なのか。
兎にも角にも序盤の彼はなんとも言えずやさしげでふわっとした雰囲気を纏っている。だがその裏側には別の感情が渦巻いていたのだ。
男は行きつけの寿司屋に行き、妻の分もグラスをもらって、今はもう存在しない妻と酌を交わす。
# 若い頃の女
かつて男と出会ったばかりの頃の女。
めちゃくちゃ可愛い。
目がぱっちりしていて、髪型もばっちりてわ、表情は明るく、男好きのする感じの甘えた声で、八重歯で、色っぽさもある。
「私かわいいでしょ?かわいいでしょ?」みたいな心の声が聞こえてきそうだった。
そんな女と男はやがて一緒になる。
# 遺骨を撒きにイギリスへ
妻が死に、彼女の遺言で遺骨をイギリスまで巻きに行く男と、その息子家族の旅が始まる。
# 多くを語らない男
役所広司の「PERFECT DAYS」もそうだったが、この映画の主人公も多くを語らない。
「私は妻をこれだけ愛していた」「あの時こんな気持ちだった」とかいうことをほとんど語らないのだ。
ただ彼の表情や行動だけが僕らに「どんな気持ちなのだろう?」と推察させる。そう喪失というものはたやすい言葉ではとても語りきれないものなのだろう。たぶん、きっと。
# 認知症
妻は認知症だった。
おそらく年齢設定的には60歳を超えてそうな気がするのだが、映画なので容姿端麗で綺麗なままだ。
なので決して見苦しい絵にはならないのだが、認知症で子供にかえり、自分ではなくなってしまうこと、愛する人が当人でなくなってしむうことの悲劇が表されていた。
大人が赤ん坊に帰るのは何故ダメなのだろう。やはり体格が大きいから大変だというのはあると思う。他にも複雑な感情が起こりそうだ。
# 息子
残念ながら男の息子だけはセリフを棒読みしているような感じだった。リリーフランキーの縁起が良いだけにそれが悪いコントラストになってしまっていた。
# エンディング
一番良いところで終わった。まったく蛇足でなく終わるべき場所で終わるのだ。綺麗な映画だった。
おっしゃるように、リリーさんの風貌、雰囲気は独特な柔らかさがありますね。持ち前だとしたらうらやましいですね、とても共感しました。格好よくいかない主人公の人間くささ、自然さ、妻への深い愛情、息子と息子家族への思い味わいました。
錦戸さんは、私はよかっなと感じました。父譲りの不器用さも見え隠れしながら、亡き母を思うきもち、難しい父に寄り添う葛藤とやさしさが
淡々としたなかに滲んでいるようにみえました。