エンドロールのつづきのレビュー・感想・評価
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「ニュー・シネマ・パラダイス」を思い出す人も多いでしょうが、本作はノスタルジーで染め上げることなく、主人公の未知なる世界へ旅立ちを描きます。
映画館で映画を見る喜びは、間違いなく今もあるはずです。昨年、「トップガン マーヴェリック」を大きなスクリーンで堪能した時、確かにそう思いました。本作の主人公はインドの少年ですが、同様の経験をするのです。そして、同じように、映画の原初的な魅力に引きつけられ、映画のことを忘れられなくなってしまうのでした。
映画館を舞台にし、映画愛に満ち満ちた傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」。それのインド版かと思ったら、実は監督自身の実話から生まれた物語。映画で人生を豊かに、そして、映画館で映画をみる幸せに改めて気づかせてくれる至高の112分でした。
9歳のサマイ(バヴィン・ラバリ)は、インドの田舎町で、学校に通いながらチャイを売る父親の手伝いして暮らしていました。
一家は厳格なバラモン階級に属するため、厳格な父(ディペン・ラヴァル)は、映画は低劣なものと断じていましたが、自分が敬愛している女神がテーマの作品が上映されるため、これが最後だとある日特別に家族で街に映画を観に行くことになります。ギャラクシー座は満席で人で溢れ返っていました。席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光…。そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていたのです。映画の魅力にすっかりとりこになったサマイは、再びギャラクシー座に忍び込ますが、チケット代が払えずにつまみ出されてしまうのです。それを見た映写技師のファザル(バヴェーシュ・シュリマリ)がある提案をする。料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのです。サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるのです。
サマイは、映写室に入り浸りとなるなかで、段々光に近づいていきます。
ついには、自分の手で映画を映せないか、試みるのです。駅の倉庫からフィルムを盗んでしまうのはいただけませんが、手に入れたフィルムを懐中電灯の明かりで壁に映してみます。しかし映像はボケていて、映像になりませんでした。それをファザルのアドバイスで、映画は一コマ一コマにシャッターが入り、一コマごとに暗転しているという仕組みを知ったサマイは、捨てられた機材や家財道具を集めて加工し、何と手作りの上映機を作り上げてしまうのです。光源は鏡で光を反射させて確保しました。スクリーンは、母の白いサリーを勝手に頂戴して代用。はじめは音なしで上映しました。あとで仲間の協力で音やセリフ、歌を自演することで、迫真の作品に仕上げています。
サマイが上映するところを隠し見た父は、自分が気付こうとしなかった息子の才能を思い知らされます。そしてある決断をするのでした。
こうして主人公の未知なる世界への扉が開くのです。
サマイは、全てではないものの本作のパン・ナリン監督の自伝的人物。劇中で描かれるように、実際に映写室に忍び込み、フィルムのリールを盗んで少年院で夜を過ごしたこともあったといいます。オーディションを勝ち抜いた主演のバヴィン・ラバリをはじめ、父親役のディペン・ラヴァルやファザル役のバヴェーシュ・シュリマリ、そしてサマイの仲間たちを演じた愛嬌溢れる子役たちも全員グジャラート州出身であることにこだわり、監督の幼少期の思い出が詰まった故郷の、独特な雰囲気や風情を見事に再現してくれました。 ちなみにバヴィン・ラバリは本作が演技初挑戦とは信じられません!豊かな表情で、観客の心を虜にしてくれました。
また、大自然の音や光の撮影方法にこだわり、映画は映画館でしか観られなかった時代のゆったりとした時間の流れや、幼い頃の飽くなき探求心を、見事な美しい映像で表現した。
映画好きを描いた映画も多くありますが、サマイは普通のファンと少し違っていました。もちろん、アクションあり、ロマンスありのインド映画に魅力を感じている人は多いことでしょう。でも彼を魅了したのは、映画を映す光そのもの。スクリーンに向けられていた視線は、いつしか、後方に向かい、映写機から発するまばゆい光をとらえ、まさに光をつかまえようとするかのように、手をかざすのでした。そこに大きな夢を抱き未来を照らす光を追い続ける少年の姿が重なって見えたのです。
子どもたちの映写風景は楽しげで、幸福感に満ちあふれていました。彼らは、映画が光と音でできていることを、頭でなく、直感で知り、映画と戯れる喜びを手に入れたのです。それはちょうどコロナ禍で上映が延期された「トップガン」を、ようやくスクリーンで見ることができた時、映画を取り戻したような気分になったのと、通じてはいなかったでしょうか。
しかし、そんなサマイたちの喜びもつかの間。夢見心地だった彼らに、映画館での上映を巡って、残酷で悲しい現実が突きつけられます。映画のデジタル化の波がギャラクシー座にも押し寄せて、ファザルは解雇され、上映機はスクラップに。フィルムは資源ゴミとして、工場に送られてカラフルな腕輪に生まれ変わるのでした。サマイは、それらを積んだトラックを追跡し、フィルム映画の変わり果てた姿を目撃するのです。この描写は容赦がありません。異様にも映りましたが、映画をいとおしむサマイの痛みが伝わり、胸を打つシーンです。
その辺のリアルティが、「ニュー・シネマ・パラダイス」とは違うところ。ノスタルジーで染め上げることなく、ショックから立ち直ったサマイを、未知の世界に旅出させる伏線へと仕上げていきます。この映画が、パン・ナリン監督の「自伝的な作品」であることを知らなくとも、サマイが光を追い求め続けるであろうことは、誰もが容易に想像がつくことでしょう。
最後に、監督が敬愛するリュミエール兄弟、エドワード・マイブリッジ、スタンリー・キューブリックなど、ちりばめられた数々の巨匠監督たちに捧げるオマージュを見つけるのも本作の楽しみ方のひとつです。世界で一番の映画ファンだと語る監督が、世界中の映画ファンへ贈る映画へのラブレター。今もなおインドに存在する階級制度や貧困というテーマを背景に、に希望をもらえる、宝箱のような感動作でした。
インド版・ニューシネマパラダイスかと思いきや…
インドの片田舎に住む少年が映画に魅了され、映写技師と仲良くなって、さらに映画の魅力に取り憑かれていく…
中盤まで、「これ、ニューシネマパラダイスのインド版ですよね?!」なーんて、思ってたけど、中盤以降全く違う物語に。
何かに夢中になって、夢を追いかける事の大切さ、
何もなくたって、知識や仲間たちと協力して何かを生み出すことは出来るし、目標や夢が叶った時の達成感はひとしお。
人々の出逢いや温もりを描き出した、心温まるヒューマンドラマだ。映像も美しい。
そして、とにかくお母さんの作る料理の美味しそうな事…!
油の跳ねる音、香りたつ香辛料に、ナスやオクラのインド料理(あれ、何で言うの?)私も作りたくなった。
本作を手がけた映画監督の自叙伝とのことだけど、なんだか信憑性が薄い部分もちらほら…
まぁ、そこは多めに見るとするか。
一番の見所は料理
#07 インドの日常生活に興味津々
田舎の少年が映画監督を目指すきっかけとなった出来事を映画化したもの。
エンドロールの続きというよりは、映画フィルムのその後という感じ。
ストーリーそのものよりも、インドの子供達が普段どんな生活を送っているのか生き生きと描かれていて大変面白かった。
例えば通学には汽車で目的地の駅を降りた後駐輪場に預けてあるマイ自転車で学校まで行くとか、草原にいるライオンの群れで賭けをしたりとか、1日数本しかない汽車の到着に合わせて物売りのお手伝いをしたりとか。
インドではお弁当が重要な位置を占めるらしく、これまでも映画にたびたび出て来るが、本作のお弁当は子供向けのせいかかなりユニーク。弁当箱が一段しかなくて生野菜をそのまま持って行く点とか、まるで韓国の食堂で青唐辛子をそのまま食べるみたいで興味深かった。
一見厳しそうな父親の子供に対する愛情も良い。
もっと色んなインド映画が観たくなる作品。
どんどん映写機作りに友達を巻き込んで
映画を愛する全ての人へ
「良き」だけど。
フィルム映画からデジタル映画へ
映画が大好きな少年が、街の映画館に潜り込んで、映画をタダ観するために知恵を絞ったり、最後には、映画フィルムを仲間と盗んで自家製の映写機で上映しますが、やがて、映画はフィルムからデジタルに取って代わられ、少年が愛したフィルム映画の機材やフィルムがリサイクル工場廃棄されるまでの悲哀を描いています。
フィルムカメラが衰退して、街の写真屋さんが廃業していったのを思い出しました。
幻想的なシーンや、貧しいインドの暮らしぶりが印象に残りました。
お母様のお手製のお弁当が芸術的!
映画に憧れる少年のヒューマンドラマです。
普段父親の手伝いで駅のチャイ売りをしている主人公サマイが映写技師のファザルに出会い、お母さんお手製の凄くおいしそうなお弁当と引換えに映写室で映画をタダ観するところからストーリーが動き始める具合です。
枠組みとしてはトルナトーレ監督の名作「ニュー・シネマ・パラダイス」みたいな感じですが、これはオマージュなんでしょうかね?
ただ、「ニュー・シネマ・パラダイス」が感動的、情動的な演出に傾倒しているのと比較し、本作は画面構成としては光を意識した点で芸術的であり、近現代のインド社会の格差問題の移り変わりを盛り込んでいたりと、ちょっと落ち着いたイメージでした。
サマイ君は近所の悪ガキ仲間と映画を観たいがために派手にやらかすんですが(笑)、そんな中でも時折り「映画は光の芸術」みたいな大人びた視点・・・芸術的演出が挿入されるところをどう見るかで、この作品の評価は違ってくると思います。
ただ何より芸術的?だったのは、サマイ君の若くて綺麗なお母さんが作る料理のシーン、そして美味しそうなお手製のお弁当です!何度もその調理過程やお弁当に詰める工程まで詳細に示してくれていて大変印象深かったです。
お母さんのサマイ君と家族に対する深い愛情、そして優しさがそのシーンを見るだけでひしひしと伝わります。いちいち語らんでもこの家族は、見た目は控えめなお母様が頑張って支えてるってのがよくわかる演出だと思いました。
エンタメ感動作とはちょっと違うかもしれませんが、何度か見返したくなる味わいのある作品と思います。
では。
思ってたのと全然違った作品(汗)
勝手に感動作と決めつけてたのが仇となった感じ。
映画作りの作品と思ったらちょっと違った。
9才のサマイと映写技師を中心に進む展開。
映画作りじゃなく、ある物を作るストーリーがメイン(笑)
3時間の映画のうち1時間は闇を観させられているとか勉強になります(笑)
サマイが可愛いのに犯罪行為を連発。
サマイのお父さんは怖い。
サマイのお母さんが作るご飯は美味しそう。
インドの景色は美しかった。
唐突な展開で話の前後に繋がりが無いシーンも散見。
何だか都合の良い方向に進む感じで引き込まれ感は低め。
ある映画に関係するものがスプーンとブレスレットになるとは思ってもいませんでした。
ブレスレットの柄で監督の名前が連想出来るのにビックリ( ´∀`)
カースト制のバラモン出自を背景に持ちながら異様なまでに映画にのめり...
カースト制のバラモン出自を背景に持ちながら異様なまでに映画にのめり込み、
貧困から抜け出す夢を持ち、
村を捨て、家族からの離別をも後押しされ走り出す。
その行き先は、
映画フィルムに焼き付けられた数々の名画を生み出した映画監督への憧れなのだろうか!?
映画フィルムから再生されたプラスチック腕輪がサリーで着飾ったうら若き女性達の腕に幾重にも幾重にも身に付けられた姿が華やいでエンドとなった。
本編のあらすじ
インドのチャイ売りの少年が映画監督の夢へ向かって走り出す姿を、同国出身のパン・ナリン監督自身の実話サマイとして描いたヒューマンドラマ。
サマイは母が作る弁当と引き換えに映写室から映画を見れる交渉が成立し、
サマイは、映写窓から見る様々な映画に圧倒され、自分も映画を作りたいと思うようになる。
映画に憧れる少年たちが映画作りに奔走し、わちゃわちゃする様子が描か...
母の料理と愛
片田舎に住む少年サマイは基本、楽しいことに貪欲です。物語の序盤の様子だと「一匹狼タイプ」なのかな?と思いきや、実は他人を楽しませることが好きで、またサマイの刺激的な提案に触発されて一緒に楽しむ親友達との「廃品と想像力(と、時折の拝借?)」で切り開く遊びに、観ていて自分の子供時代を思い出し懐かしさを感じます。
そんなサマイ、好きなことへの強い情熱と執着から、巧くいかないとき物に当たったり、ややチートが過ぎたりとちょっと心配な点も見せますが、それでも彼を見つめる大人たちはサマイの本気を理解しています。
特にサマイの初めての「師匠」となるファザルとの関係、映写室シーンが印象強く、この映画の紹介にちょいちょい「インド版ニュー・シネマ・パラダイス」というのを見かけますが、それより何より言わずにいられない魅力は、ファザルも夢中になるサマイの母が作る料理、そしてその母親役リチャー・ミーナーが素晴らしい。息子の隠していることに何となく気づいていても、信じてサポートしてあげる優しさで、終盤の展開はすっかり彼女に感情移入してしまいます。
シーンによってはリアルよりも、サマイが見て感じているような幻想的な世界観で表す見せ方も効果的で、サマイの将来に期待しつつ心が洗われるような気持ちで劇場を後にする日曜の午前中でした。
ママのお弁当、美味しそう!
単純なストーリーだが切り口の幅が広い
インド映画は初めて観る。監督の少年時代の映画制作への夢の第一歩となった作品だが、色々考えさせられた。映画制作への夢となるとニューシネマ・パラダイスなど似た作品との兼ね合いがどうだったか。むしろこの作品で注目したのはインド文化と社会。インドの食文化がお母さんがお弁当をチャイに渡すシーンなどからわかるし、カースト制度の現実もこの映画から知ることができた。インド社会、文化を知ることができただけでも観る価値がある。
実話
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