エンドロールのつづきのレビュー・感想・評価
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"ニューシネマパラダイス"とは似て非なる
落ちぶれたバラモン階級(カーストの最上位らしい)の家庭の子が、映画に魅入られ最終的に映画監督になってしまう実話。
インドののどかな田舎の景色、母親の弁当作りを俯瞰で撮るカメラワーク、作品に散りばめられた名作映画のオマージュ的なシーン等、魅力的な要素がいっぱいありました。終盤の展開も心地良く、ラストの独り語りの声が大人の声に変わるのも良い演出でした。そして何より実話である事が作品に重みを加えていたように思います。
唯一「エンドロールのつづき」という邦題は?でした。
言いたいことは分かるけど…
どうにも時代感がわからなかった。
インドの親子とか大人とこともの関係ってこうなんだろうなという印象。
カーストのところと、母親と父親の感じは、布石としてはちょっと説明不足かな。
鑑賞動機:映画館映画らしい9割、インド映画の割に短いだと?1割
結構映写機の細かいディテールも写っていて、ついつい甘めの評価になってるかも。でもパーフォレーションの話しないの?
結構な悪ガキにも見えるんだけど、チンピラみたいにならずに…、ということなら、やはりそれは映画の魔法なのかも。最後ズルい。
映画愛に溢れているが物語としてやや弱い
映写技師と少年の交流を描いた映画となると、どうしても「ニュー・シネマ・パラダイス」を連想してしまう。でも、本作はそんななんとなくのイメージとはかけ離れたストーリー展開。
サマイ少年の映画に対する情熱はいいのだが、あれはいたずらの域を超えて犯罪行為。それに映画への情熱は物語を作ったり、どんな見せ方をするかではなく、あくまでも映画を観ることへの情熱だった。貧困問題がつきまとうインドが舞台だから、8ミリカメラなんて持ってるわけもないし、テレビを観ることすら難しい状態。自分でショートフィルムを撮るなんてことにならないのもしかたない。ここらへんはスピルバーグの「フェイブルマンズ」と違うところ(まだ観ていないけど)。
監督の自伝的な物語だから、映写機を自作したってのがメインの盛り上がりどころなんだろうな(勝手な憶測)。全体的に映画愛には溢れているけれど、物語としてはやや弱く感じてしまう。ただ、インド映画に精通していて、作中に流れる映画たちを懐かしく観ることができていたら評価は全然違っていた気もする。出てくる映画を全部観ている日本人なんてどれだけいるのだろう。ハードル高すぎだ。
でも、少年が夢のために一歩踏み出す姿は否応なしに胸を打つ。踏み出す年齢としては早すぎる感じはするが、それもインドならではと無理矢理納得することにする。期待外れだったが、ダメな映画とも切り捨てられない。
光と色の世界に魅了
映画の歴史そのものへのオマージュをもって、映画が光と色と音と物語に分解され、再構成されたかのような印象だった。ピンホールカメラやシャッター、トーキーを発見していく様が楽しい。
フィルム映画の死と再生も興味深い。映写機はスクラップされ日用品に、フィルムは溶解されて安いプラ装飾品になる。…だがラスト!フォーマットは変わっても映画は生き続けるというメッセージと受け取った。(でもなぜスプーン?旧世代(チャイ売り)の象徴だろうか)
主人公はじめ子供たちの存在感が素晴らしい。父親、映写技師、教師…大人の演技もいい。ストーリーは複雑ではないが、インド社会の実情を描いてもいる(少し昔の話と思っていたが、デジタルシネマ導入で現代と知れた)。英語を学び、町を出よ。この言葉が切実に響いた。
特に色が鮮烈だった。フィルム映写独特のくすんだザラつき、幻想のような色ガラスの戯れ、インドの自然と町並み。父のチャイ小屋の色も素敵に見えた。
そして何よりも弁当!俯瞰で撮る食材の数々と調理する手の所作の美しさにほれぼれした。(「土を喰らう十二ヵ月」を思い出す。あれもベジタリアンだった)
"サマイ"があるからこそ情熱を注げる
光や影の入り方が美しかった
内容は、ちょっと長いなぁって思うところもあり
途中でだらけてみてしまった
サマイの名前の由来がとても素敵だった。
"お金も○○(忘れてしまった…)もないけど、
時間はある。"
時間があるからこそ、自分たちでスクリーンを作り試行錯誤し、より感動を味わえたんじゃないかな。
パッと買えるよりも、自分の映画に対する情熱が本物だと自分でも気づくことができたんじゃないかな。
パパが、
サマイの映画に対する情熱が本物だと分かり、
手にしていた棒をすて、夢を応援することを決心したシーンはよかったし、
まっすぐのびる線路を歩いていく姿が印象的だった。
パパはカーストてっぺんのバラモンなのに、
裏切られ自分の夢すらもつことを諦めている感じがした。
だからこそ、社会の苦しさを知らない希望をもつ子どもに、自分を重ねてみている感じもした。
パパのチャイ屋さんどうなっちゃったんだろう…
サマイが監督する映画館でチャイ売ってたら幸せだなぁ
ママのつくる愛たっぷりのインド料理、食べたいなぁ。
レシピ公開されてるし、作ってみようかなぁ!
お母さんの料理も良かった
インド版「ニューシネマパラダイス」とか宣伝されていたが…最初似ていると思ったが、進むにつれてこれは違うなと。
映画見たさに時には悪知恵を使い突き進む。少年の瞳に純粋な映画愛を感じた。そして映画を作るという夢を現実にするためにひとり旅立つ。まだ小さい子供なのに凄く頼もしい姿。大人になって本当に監督になるまで見たかったな。
ちょいちょい出てきたお母さんの料理が、香辛料沢山使ってて美味しそうだった。
オクラは英語でもオクラです。
インドの田舎町でチャイを売りをしている9歳の少年が映画に魅せられる話。
バラモンの生まれで映画を低劣なものと思っている父親が、カーリー女神の映画ということで4年ぶり且つこれが最後と、家族で映画を観に行くことになり巻き起こるストーリー。
映画に感動し、お金にもないのに映画館へ出かけ、忍び込み、追い出され、ママの薄いチャパティと絶品弁当で映写技師に取り引きを持ち掛けられて…。
気付けば立派な助手ですね!そしてどんどん深みにハマり?
そういえば日本でもフィルム上映出来ない映画館は増えてきているんですよね。
わざわざぶっ壊すこともないと思うけどw
9歳でそんなところまで!?と本人は勿論両親も随分早いなぁとは感じたけれど、キラッキラお目々の少年をみせる素敵な作品だった。
インド版ニューシネマパラダイスかと思ったら…
インド映画にしては珍しく、本編では歌や踊りのシーンはでなかったが、それはそれ、舞台となる映画館で上映されている映画の中でちゃんと踊っていた。
見ていて気づいたのが、RRRやムリダンガルだとクレジットなどが、インドの言語(ヒンズー文字、タミル文字?)で書かれていたが、この映画では全部英語で書かれいたこと。ということは最初から海外向けとして作成されたのかな?ただしセリフは全部現地語であった。
ニューシネマパラダイスというよりは、「ずっこけ三人組」とか「スタンドバイミー」のような、子供たちが秘密基地(実は廃駅)で映画フィルムを使って遊んだり、映写機の危機を聞きつけて隣町まで自転車を走らせたり(ここのところはETを彷彿とさせる)する、還暦を過ぎた自分からしたらかなりな懐かしい光景が広がっていた。
後半、お役御免になった映写機やフィルムが、ただ捨てられるのではなく再資源化されて新しい物になって世の中に出ていくのを主人公の少年の目を通して描くシーンは、良かったな。
そこに字幕として描かれる、スピルバーグや黒沢やサタジット・レイなどの映画人の名前、形は変わっても心の中に生き残っていくんだと言うことを表していたのかもしれない。
溢れる映画愛
映画好きによる映画好きのための映画です。ただし、映画館限定で。インド映画特有の超長編ではありませんでしたが、ボリウッドとかニュー・シネマ・パラダイスとかスタンド・バイ・ミー的なものとかインド社会カーストとかのエッセンスがぎゅうぎゅうに詰め込まれていて見応えがありました。
23-010
少年時代の夢と希望は仲間と共に実現できるのかも。多少❓かなり❓無茶な事でも子供の衝動は抑えられない。
時に現実を知って、大人になるのかもしれないが、本当になりたいものへの衝動は古い慣習をも超えるのかも。
“発て、そして学べ”
「ニュー・シネマ・パラダイス」を思い出す人も多いでしょうが、本作はノスタルジーで染め上げることなく、主人公の未知なる世界へ旅立ちを描きます。
映画館で映画を見る喜びは、間違いなく今もあるはずです。昨年、「トップガン マーヴェリック」を大きなスクリーンで堪能した時、確かにそう思いました。本作の主人公はインドの少年ですが、同様の経験をするのです。そして、同じように、映画の原初的な魅力に引きつけられ、映画のことを忘れられなくなってしまうのでした。
映画館を舞台にし、映画愛に満ち満ちた傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」。それのインド版かと思ったら、実は監督自身の実話から生まれた物語。映画で人生を豊かに、そして、映画館で映画をみる幸せに改めて気づかせてくれる至高の112分でした。
9歳のサマイ(バヴィン・ラバリ)は、インドの田舎町で、学校に通いながらチャイを売る父親の手伝いして暮らしていました。
一家は厳格なバラモン階級に属するため、厳格な父(ディペン・ラヴァル)は、映画は低劣なものと断じていましたが、自分が敬愛している女神がテーマの作品が上映されるため、これが最後だとある日特別に家族で街に映画を観に行くことになります。ギャラクシー座は満席で人で溢れ返っていました。席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光…。そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていたのです。映画の魅力にすっかりとりこになったサマイは、再びギャラクシー座に忍び込ますが、チケット代が払えずにつまみ出されてしまうのです。それを見た映写技師のファザル(バヴェーシュ・シュリマリ)がある提案をする。料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのです。サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるのです。
サマイは、映写室に入り浸りとなるなかで、段々光に近づいていきます。
ついには、自分の手で映画を映せないか、試みるのです。駅の倉庫からフィルムを盗んでしまうのはいただけませんが、手に入れたフィルムを懐中電灯の明かりで壁に映してみます。しかし映像はボケていて、映像になりませんでした。それをファザルのアドバイスで、映画は一コマ一コマにシャッターが入り、一コマごとに暗転しているという仕組みを知ったサマイは、捨てられた機材や家財道具を集めて加工し、何と手作りの上映機を作り上げてしまうのです。光源は鏡で光を反射させて確保しました。スクリーンは、母の白いサリーを勝手に頂戴して代用。はじめは音なしで上映しました。あとで仲間の協力で音やセリフ、歌を自演することで、迫真の作品に仕上げています。
サマイが上映するところを隠し見た父は、自分が気付こうとしなかった息子の才能を思い知らされます。そしてある決断をするのでした。
こうして主人公の未知なる世界への扉が開くのです。
サマイは、全てではないものの本作のパン・ナリン監督の自伝的人物。劇中で描かれるように、実際に映写室に忍び込み、フィルムのリールを盗んで少年院で夜を過ごしたこともあったといいます。オーディションを勝ち抜いた主演のバヴィン・ラバリをはじめ、父親役のディペン・ラヴァルやファザル役のバヴェーシュ・シュリマリ、そしてサマイの仲間たちを演じた愛嬌溢れる子役たちも全員グジャラート州出身であることにこだわり、監督の幼少期の思い出が詰まった故郷の、独特な雰囲気や風情を見事に再現してくれました。 ちなみにバヴィン・ラバリは本作が演技初挑戦とは信じられません!豊かな表情で、観客の心を虜にしてくれました。
また、大自然の音や光の撮影方法にこだわり、映画は映画館でしか観られなかった時代のゆったりとした時間の流れや、幼い頃の飽くなき探求心を、見事な美しい映像で表現した。
映画好きを描いた映画も多くありますが、サマイは普通のファンと少し違っていました。もちろん、アクションあり、ロマンスありのインド映画に魅力を感じている人は多いことでしょう。でも彼を魅了したのは、映画を映す光そのもの。スクリーンに向けられていた視線は、いつしか、後方に向かい、映写機から発するまばゆい光をとらえ、まさに光をつかまえようとするかのように、手をかざすのでした。そこに大きな夢を抱き未来を照らす光を追い続ける少年の姿が重なって見えたのです。
子どもたちの映写風景は楽しげで、幸福感に満ちあふれていました。彼らは、映画が光と音でできていることを、頭でなく、直感で知り、映画と戯れる喜びを手に入れたのです。それはちょうどコロナ禍で上映が延期された「トップガン」を、ようやくスクリーンで見ることができた時、映画を取り戻したような気分になったのと、通じてはいなかったでしょうか。
しかし、そんなサマイたちの喜びもつかの間。夢見心地だった彼らに、映画館での上映を巡って、残酷で悲しい現実が突きつけられます。映画のデジタル化の波がギャラクシー座にも押し寄せて、ファザルは解雇され、上映機はスクラップに。フィルムは資源ゴミとして、工場に送られてカラフルな腕輪に生まれ変わるのでした。サマイは、それらを積んだトラックを追跡し、フィルム映画の変わり果てた姿を目撃するのです。この描写は容赦がありません。異様にも映りましたが、映画をいとおしむサマイの痛みが伝わり、胸を打つシーンです。
その辺のリアルティが、「ニュー・シネマ・パラダイス」とは違うところ。ノスタルジーで染め上げることなく、ショックから立ち直ったサマイを、未知の世界に旅出させる伏線へと仕上げていきます。この映画が、パン・ナリン監督の「自伝的な作品」であることを知らなくとも、サマイが光を追い求め続けるであろうことは、誰もが容易に想像がつくことでしょう。
最後に、監督が敬愛するリュミエール兄弟、エドワード・マイブリッジ、スタンリー・キューブリックなど、ちりばめられた数々の巨匠監督たちに捧げるオマージュを見つけるのも本作の楽しみ方のひとつです。世界で一番の映画ファンだと語る監督が、世界中の映画ファンへ贈る映画へのラブレター。今もなおインドに存在する階級制度や貧困というテーマを背景に、に希望をもらえる、宝箱のような感動作でした。
インド版・ニューシネマパラダイスかと思いきや…
インドの片田舎に住む少年が映画に魅了され、映写技師と仲良くなって、さらに映画の魅力に取り憑かれていく…
中盤まで、「これ、ニューシネマパラダイスのインド版ですよね?!」なーんて、思ってたけど、中盤以降全く違う物語に。
何かに夢中になって、夢を追いかける事の大切さ、
何もなくたって、知識や仲間たちと協力して何かを生み出すことは出来るし、目標や夢が叶った時の達成感はひとしお。
人々の出逢いや温もりを描き出した、心温まるヒューマンドラマだ。映像も美しい。
そして、とにかくお母さんの作る料理の美味しそうな事…!
油の跳ねる音、香りたつ香辛料に、ナスやオクラのインド料理(あれ、何で言うの?)私も作りたくなった。
本作を手がけた映画監督の自叙伝とのことだけど、なんだか信憑性が薄い部分もちらほら…
まぁ、そこは多めに見るとするか。
一番の見所は料理
予告を観て期待して観に行きましたが、一番良かったのがお母さんの料理でした。
観ていて一番惹きつけられる映像でしたので、インド料理の映画にした方が面白かったのではと思えます。
サマイが映画監督を目指すと言いますが、観ていて映画に魅せられてると言うより映画を映写する事に力を入れているので監督ではなく映写技師を目指している方がしっくりきました。
フィルムを盗むなど子供だからで許される事ではない行いを本人があまり反省していないは良くなかったです。
#07 インドの日常生活に興味津々
田舎の少年が映画監督を目指すきっかけとなった出来事を映画化したもの。
エンドロールの続きというよりは、映画フィルムのその後という感じ。
ストーリーそのものよりも、インドの子供達が普段どんな生活を送っているのか生き生きと描かれていて大変面白かった。
例えば通学には汽車で目的地の駅を降りた後駐輪場に預けてあるマイ自転車で学校まで行くとか、草原にいるライオンの群れで賭けをしたりとか、1日数本しかない汽車の到着に合わせて物売りのお手伝いをしたりとか。
インドではお弁当が重要な位置を占めるらしく、これまでも映画にたびたび出て来るが、本作のお弁当は子供向けのせいかかなりユニーク。弁当箱が一段しかなくて生野菜をそのまま持って行く点とか、まるで韓国の食堂で青唐辛子をそのまま食べるみたいで興味深かった。
一見厳しそうな父親の子供に対する愛情も良い。
もっと色んなインド映画が観たくなる作品。
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