クレッシェンド 音楽の架け橋のレビュー・感想・評価
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ラストが秀逸
帰国便を待つ空港ロビーで、イスラエル側とパレスチナ側を隔てたガラスの間仕切りを挟んでのボレロの協奏。
イスラエル側のリーダー格・ロンがバイオリンを弾き始め、それにパレスチナ側の急先鋒・レイラが呼応し、次第に周りの面々に広がっていく。
タイトルそのままのこの場面がこの作品の全て。
二千年の怨讐を抱えるユダヤとアラブの問題という政治的メッセージをこの尺で描くことなど土台ムリ。
『音楽は世界の共通語』ということで押し切ったこの内容で良かったのだと思う。
欲を言えば、それぞれのメンバーがオーディションに申し込むまでの前日譚が描かれていれば良かったのにな、とは思った。
強権的なリーダーよりもマエストロ‼️
この映画では決して楽観的な相互理解は示されない。
マエストロがいくら努力しても、みんなが揃ってのYESには至らない。必ずNOと答える人がいる。
そんなのは当たり前だ、人間だもの…みつを先生でなくてもそう思います。
合同コンサートだって結局は中止。
今の日本の社会の構造的に危ういところは、政治のリーダーも、多くの企業のリーダーも、(たぶん)私を含む多くの一般人も、『起こったら困ることは(どこかでは起こるにしても、自分の身近なところでは)起こらないはず』という根拠のない楽観主義が行き渡ってることだと思います。もしかしたら、楽観的でいられるのは、何か起きたとしても、敗戦だってバブル崩壊だってなんとか立ち直って来れたじゃないか、という妙に開き直った自信があるからかも知れません。コロナに関しても、デルタ株の〝ほぼ収束〟的な経験をしてしまったことで、今拡大中のオミクロン株についても、なんとかなりそう、とか、感染したとしてもまぁ仕方ないか、みたいな雰囲気が一部にあるのは否定できません。
問題はそれがいいか悪いか、という議論ではなく(そもそも社会的心理傾向については、そう簡単にコントロールなどできない)、もしそうだとしたなら、どうしたらブースター接種やその他の今やるべきことについて、その必要性や体制をどう構築するか、いつできるのかがもっと明確に示されることだと思います。
世代を超えて殺し合い憎みあってきたもの同士は、さまざまなわだかまりを忘れることは絶対にできない、という前提に立ったうえで、現実世界において個人が抱える事情とは別に集団同士が折り合いをつけることを学び、実践するしかないのだということが、よく分かる映画です。
折り合いをつける……口で言うのは簡単ですが、実際にはマエストロのような説得力のある仲介役が必要なわけで、今の世界情勢におけるマエストロの役はいったいどこの国が果たせるのでしょうか。
合同コンサート
パレスチナ人とイスラエル人の合同コンサート!
最初は、エドゥアルトさんも渋っていましたが、とてもいい感じに仕上がりました。
ロンとレイラも繋がりました。
最後のオマルの決断は、残念でした。しかも・・・
クレッシェンド、とてもいいタイトルです。
合同コンサートは、中止になりましたが、ラストとてもよかったです!
勿論、全く関係ないが、 楽団員をパレスチナ人とイスラエル人を逸れそ...
勿論、全く関係ないが、
楽団員をパレスチナ人とイスラエル人を逸れそう半々にしようと安易な平等を持ち込んだ企画者は、今のハリウッド映画の愚弄なキャスティングを言っているかのように思えた。
少し期待はずれ。暗すぎる
音楽が国際的は問題や戦争を超えるのかーー。
きっと超えられるのだろう。互いに対話し理解しようとすることが大切だと教えてくれている。
だけどイスラエル、パレスチナの問題は根深い。簡単に超えることはできないんだと。
だけどあまりにも悲惨に描き過ぎじゃない?
パレスチナの青年とユダヤの女性との恋の行方にしろ、コンサートにしろ見ているこっちが悲しく暗くなる。
唯一の救いはフラッシュモブのようなラストのボレロかな。ちょっと期待はずれだった。
ラストのボレロのシーンは美しい
イスラエルに実在するパレスチナ人とイスラエル人による管弦楽団に着想は得ているが実話ということではないらしい。解決の糸口さえ見いだせていないイスラエルとパレスチナの問題をテーマにおいているので映画においても何かが解決するということはない。映画の中で何度も描かれるパレスチナ人とイスラエル人が互いを罵倒し合うシーンはこの問題の深刻さを感じさせる。
しかも、パレスチナ人とイスラエル人の融合につながるエピソードはことごとく失敗する形で描かれる。厳しい現実を棚上げして映画の中に架空の平和を作るようなことはされない。しかし、だからこそラストのシーンで、異なる待合室で飛行機の出発を待つ楽団メンバーが演奏するボレロは美しく響くのだと思う。そこにはまだ希望が存在し得るのだということを表しているのだと思う。
国境を越えるのは音楽でも難しいのね。
対立するイスラエルとパレスチナ、ユダヤ人とアラブ人。日本人の自分には実感の無い対立だ。第二次大戦後、イスラエルができた時、元々住んでいた人達はどうなったんだろうって思った事はあったけど、調べはしなかった。追い出されたのね。
現在も対立する両国の為に、和平コンサートを開く企画を進める事になったドイツ人マエストロ。彼の親はナチス関係者でユダヤ人虐殺の関係者だった。苦し〜い。
オーディションで集められた両国の若者達、ずっと対立しっぱなし。日本人なら、国同士が対立していても個人個人は直ぐ打ち解けられる気がしてたけど、この両国と同じ様な環境だと、難しそうだわ。
予想と違って、演奏で切磋琢磨しながら成長してしていく話ではなく、人間同士の向き合い方の話だった。
のだめの様な楽しい音楽映画ではなかったけど、ズッシリ観ごたえありました。
まさか、最後にあんな悲劇。そして、空港で流れるボレロ。泣けた〜。
そこそこのところに着地。
パレスチナ問題という、日本人には、とてもわかりにくい問題が題材ですが、最後はそれほどの盛り上がりもなく、そこそこのところに着地したという感じだと思います。
オーケストラというものを描くと、演奏シーンがあるため、最後にガッチリと演奏会ということができなかったのだとは思います。
少年と少女の駆け落ちから、演奏会中止、そして、空港での演奏となりますが、フランスまで駆け落ちして逃げる?ちょっと無理があったのではないでしょうか。
演奏シーンをごまかすための、ストーリーには見えます。
今、コーダという映画も公開されていますが、この映画も歌のシーンはなんとなく雰囲気で終わらせています。
このあたりは、音楽を題材にするとつきまといますね。パレスチナ問題も雰囲気のみ、ちょっと中身がともなわなかったという感じかもしれません。
【民族紛争の壁を、最初は小さな共鳴でも"クレッシェンド"のように徐々に強い共鳴に変化させ、乗り越える未来を願う作品。ラストシーンは特に琴線に響く作品である。】
- イスラエルとパレスチナの若者達がオーケストラを結成、対立を乗り越えコンサートに向けて合宿する姿を描いたヒューマンドラマ。
今作品は実在するユダヤ・アラブ混合管弦楽団をモデルにしている。
世界的指揮者、エドゥアルト・スポルクは、和平を目的に敵対する若い演奏家達を集めるが・・。-
◆感想
・バイオリンの腕は一流だが、コンマスに選ばれなかったイスラエル人の尊大なロンとコンマスに選ばれたパレスチナ人のレイラの反目する姿。
・スポルクは彼らを団結させる為に、南チロルで二週間の合宿を行う。
- 最初は反目するイスラエルとパレスチナの若き奏者達。だが、ドイツ人のスポルクの哀しき過去を聞き、徐々に打ち解けて行く。スポルクのイスラエル人とパレスチナ人との軋轢を乗り越えさせようとする手法の描き方も面白く、この合宿のシーンがとても良い。そして、人種の憎しみを超えて、恋に落ちるバレスチナ人のオマルイスラエル人のシーラ。だが、二人を襲った悲劇・・。
<事件に依り、コンサートは中止される。が、空港の待合室のテレビに映ったオマルを見たロンは立ち上がり、ガラスの向こうのパレスチナ人の仲間達に向かい、バイオリンを奏で始める。それに呼応するように、レイラも演奏を始める。そして、最後は全員が立ち上がり協奏曲を奏でるシーンは素晴らしい。イスラエルとパレスチナの民族紛争は簡単には、終息しないだろう。だが、あのラストシーンには、両国の未来に微かな希望を感じた作品である。>
全て「自分で決める」ことができたらそれほどいいことはない
マエストロが言った台詞「よりによって南チロルで」がずっと気になっていた。なぜ「よりによって」なのかは、南チロルでの合宿でわかって、そうかあり得ると思った。その問題を出されるとイスラエルとパレスチナの問題に収まらず更に複雑になってしまうのにと思った。でもパンフレット(最近買うことが多いなー)を見たら、バレンボイムとサイードによって設立されたオーケストラがイスラエルとアラブの音楽家によって現在も活動していることを知った。そしてそのオーケストラの名称がゲーテの「西東詩集」であることを知ってマエストロのこの映画での存在意義を理解した。
最後のBolzano / Bozenの空港で、ロンが促しレイラ(目が素晴らしい)が答えて透明な壁を間にした皆の演奏はまさにクレッシェンドに相応しい「ボレロ」だった。マエストロはそこには居ない。演奏は自発的に生まれた。人間が始めたことをやめることができるのは人間だけ、は何かの映画で聞いた台詞だなと思いつつ、クレッシェンドが憎しみと対立の方向でなく、共存とリスペクトに向かってくれたらどんなにいいだろうと思った。
おまけ(長い)
マエストロ役のシモニスチェクは映画 "Toni Erdmann" でも元・音楽教師という設定でピアノを弾いていた。ドイツ語圏は親や豊さなど生育環境の影響も大きいがクラシック音楽が身近にある。オーディションでテルアビブ・チームに圧倒的に合格者が多い結果になったのは教育・教養や貧富の差や「音楽」の位置付けや捉え方が異なることも関係あるんじゃないかなあと思った。オマルが作曲した曲は典型的西洋のメロディーでなく彼らのメロディーだと思ったから。またテルアビブは多言語社会なので言語を介さない芸術活動、例えばコンテンポラリー・ダンスや楽器演奏が盛んであることも背景にあるのではないかと思った。彼らが合宿した南チロルが属するイタリアでは、素晴らしい若手の指揮者がクラシック音楽に関心を持って貰うために若者向けに本を書いたりと啓蒙活動を熱心におこなっている。裏返せばそれほどイタリア人はクラシックに関心がない。楽譜が読めないのも普通のようだ。一方で日本は東京だけでもアマチュア・オーケストラの数が半端ない。厳密な区分けをすると大変だけれど600とか700と聞いたことがある。コーラス入れたらものすごい数になると思う。週末は楽器ケースを持った人達を沢山見かける。小学校の音楽授業に始まり、中学以降は部活が加わり、大学や区や市のアマオケも盛んだ。
なんでクラシック音楽とかバロック音楽に感動できるんだろう?音楽教育の成果?神様?普遍性?明治時代の人は生まれて初めて西洋音楽を耳にして最初から感動したんだろうか?日本に生まれ育っても義太夫や長唄を初めて聴いて涙流すほどに感動できるかなあ。ある程度の知識と経験(聞くとか稽古)がないと難しい気がする。
2種類の旋律が奏でるボレロ
パレスチナとかイスラエルとかガザ地区とか。恥ずかしながら詳しい知識は持ち合わせてない。想像できるのは、長い間お互いの主張を譲らずに対立が続いている人たちがいること。この映画は、そんな環境下で自然にいがみ合う若者たちが、音楽を通じてコミュニケーションを取っていく姿を描いている。
観終わった直後の感想は、『惜しい』。非常に上から目線で申し訳ないのだが、あのシーンをこうすれば、このシーンをああすれば、ということをエンドロールの間中考えていた。全体の構成はオーソドックスな3部構成ですが、最後のパートをもっと盛り上げて終わらせて欲しかった。エンドロールで使用する曲も、「威風堂々」みたいな気分が上がる曲で終わってくれると良いのではないかと。クライマックスをもう3段階くらい盛り上げてくれると、憎たらしいけど通じ合えるよね、という理想的なメッセージにくるまれて、帰り道は人に優しくなれるのではないかと思うのです。
文句ばかり書いていますが、アクションもなく殺人もないながらも飽きさせず見応えがある作品なのは、総じて高い構成力のなせる業だと思います。「ボレロ」もいいけど「冬」がいいよね。構成を全く変えずに、どの曲を使用するかという話をしたら盛り上がりそう。
昨日の敵は今日の友!決してそんな言葉では補いきれない人種の違い!!
平和へのメッセージを込めたコンサートが企画され、70年以上も紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちが集められる。
共通の目的によって、敵同士が互いに理解を深めるという物語は、今までも『戦場のアリア』や、南北関係を描いた韓国映画『スティールレイン』『天軍』なども、たびたび描かれているが、今作は、音楽映画としての側面もしっかりと描かれている。
一歩先は紛争によって物理的だったり、精神的な問題に直面するという悲惨な物語と音楽映画のサクセスストーリー的要素が、絶妙なバランスで共存している作品である。
紛争地帯に住む者は、オーディションに行くにも、練習しに行くにも、いちいち検問を通らなくはならない。
それでもコンサートを成功させたいという想いは、土地が奪われたり、戦車に家が破壊されるかどうかの不安や、先祖たちが残してきた、負の連鎖から抜け出したいという気持ちが後押ししている。
ところがその一方で、決して簡単には埋められない溝が立ちふさがる。
パレスチナとイスラエル、ユダヤ人とアラブ人の間には、紛争による溝の他にも、宗教や潜在的な価値観や概念が邪魔をしていて、決して分かり合えない存在同士でもあるのだ。
そもそもコンサートを行うことになった発端は、現状を把握できていない慈善団体がなんなく、「平和っぽい」からということで、進められた企画である。
しかし、そうでもしなければ、互いに向き合うという機会すらもなかっただけに、慎重になり過ぎて動かない政府よりも、理由は何であれ、慈善団体の思い付きのような行動も時には必要だと思わされた。
オーケストラというは、全体が一体となって奏でるハーモニーが大切だというのに、シンクロするには敵対視する相手と心を通わせなければならないという、かなりの無理難題ではあるが、若い世代は、直接的な敵視というよりは、家族などによって植え付けられた潜在的なものであることから、言ってしまえば浅い知識の状態で敵視している部分も強い。
新しい世代は、分かり合えるかもしれないという希望も提示される一方で、やっぱり現実問題は厳しい状態であるという、希望のもてる結末ではあるものの、決してストレートなハッピーエンドとしては、終わらない作品だ。
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