「このラストに待つ、セリフ抜きの魂の協奏が、パンデミックや格差による分断の時代に、ひとすじの希望の光を示す感動をもたらしてくれたのです。」クレッシェンド 音楽の架け橋 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
このラストに待つ、セリフ抜きの魂の協奏が、パンデミックや格差による分断の時代に、ひとすじの希望の光を示す感動をもたらしてくれたのです。
“世界で最も解決が難しい”とされる紛争が今この時も続くパレスチナとイスラエルから、音楽家を夢見る若者たちを集めてオーケストラが結成されるという、現実にはあり得ない物語に見えます。しかしユダヤ・アラブ混合の管弦楽団は現実に存在しました。
本作がインスパイアされた実在の楽団とは、現代クラシック音楽界を代表する巨匠指揮者ダニエル・バレンボイムと、彼の盟友の米文学者エドワード・サイードが、中東の障壁を打ち破ろうと1999年に設立した和平オーケストラ。ゲーテの著作のタイトルから「ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」と名付けられたその楽団には、二人の故郷であるイスラエルとパレスチナ、アラブ諸国から若き音楽家たちが集い、「共存への架け橋」を理念に、現在も世界中でツアーを行うなど活動を続けているそうなのです。
実在するこの楽団から着想を得たというのが本作です。若者たちの対立と葛藤、恋と友情を彩るのは、ヴィヴァルディの「四季」より《冬》、ラヴェルの「ボレロ」、パッヘルベルの「カノン」など誰もが知るクラシックの数々の名曲が演奏されます。
タイトルにある「クレッシェンド」とは、「だんだん強く」を意味する言葉です。音楽により生まれた小さな共振が、やがて世界に大きく響きわたっていくことがモチーフとなっているのでした。
物語は、世界的指揮者のスポルク(ペーター・シモニシェック)、実業家でボランティア活動に熱心なカルラ(ビビアナ・ベグラウ)から、紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちを集めてオーケストラを編成し、平和を祈ってコンサートを開くという企画を引き受けます。
オーディションを勝ち抜き、家族の反対や軍の検問を乗り越え、音楽家になるチャンスを掴んだ20余人の若者たち。しかし、当然のように戦車やテロの攻撃にさらされ憎み合う両陣営は激しくぶつかり合ってしまうのでした。
そこでスポルクは彼らをアルプスの南チロルでの21日間の合宿に連れ出します。寝食を共にし、互いの音に耳を傾け、経験を語り合うなかで、少しずつ心の壁を溶かしていく若者たち。中には国同志の対立を超えて、恋に落ちるカップルまで現れるまでに。
けれどもコンサートの前日、ようやく心が一つになった彼らに、想像もしなかった事件が起こるのでした。
本作で感銘を受けたのは、すごく繊細でリアルな演出です。タイトル通り、ユダヤ・アラブ混合の楽団は、当初絶望的なほど喧嘩が絶えない対立が描かれます。その対立を乗り越えるため、合宿中指導者のスポルクは、音楽面だけでなく、精神面でも融合を目指して対立するメンバー同志を向き合わせて、いいたいことを大声でぶつけ合わせたり、ゲームを取り込んだり、川に飛び込ませたり、忍耐強くあの手この手を繰り出すのでした。涙ぐましいほどのスポルクの努力は、少しずつ彼らの演奏の変化につながっていくのでした。 最初はバラバラだった彼らが繰り出す音は、次第に素敵なハーモニーを繰り出すのでした。たとえ小競り合いを繰り返していても、音楽には嘘がつけません。クラッシック好きなら、演奏での微妙な演出の付け方にグッとくることでしょう。
圧巻は、ラストの空港で彼らがそれぞれお互いの母国に帰るため待機しているシーン。ずっと21日間も一緒に合宿を過ごした間柄なのに、お互いに会話もなく帰国の飛行機を待っている状態でした。すると誰かが、ラベルのボレロを刻み始めます。それにつられて、ひとり、またひとりとメンバーたちが演奏を初めて、最後には全員が大団円となってボレロを演奏するのでした。まさにタイトル通りの「クレッシェンド」となったラストでした。
このラストに待つ、セリフ抜きの魂の協奏が、パンデミックや格差による分断の時代に、ひとすじの希望の光を示す感動をもたらしてくれたのです。ぜひこの唯一無二の音楽に触れられてみてください。