「敬意と勇気と今決めること」クレッシェンド 音楽の架け橋 redirさんの映画レビュー(感想・評価)
敬意と勇気と今決めること
西岸の小さな町の風景が映る。老人が家の前に座る西岸の町。それだけでも私には十分。
コンサートはなかった。
このことはとても重要だと思う。バレンボイムさん、サイードさんが立ち上げたウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団という事実活躍していた(今はどうなのか不明)楽団に嫡孫を得ているようだが、映画タイトルは、Crescendo #makenusicnotwar
#つきの映画タイトル(サブタイトル)!
これは2019年の作品(2018年はまだコンサートしていたみたいそのあとまだ調べてない)
SNS がある今では、秘密なんてどこにもないと映画でも言っていた。若者たちのSNSを禁止しようという提案に対し。
最終的に、私の個人的な考えだがISIS が出てきてアラブの大義もなんもわからなくなり本当に中東も世界中もぐちゃぐちゃになった。このような若者たちのオーケストラ、バレンボイム級のマエストロが率いる楽団のコンサートでさえ、成立しないのだ。
パレスチナ の若者は今毎日目の前にある占領の直接の被害者として生き、また二度と帰れない帰れてもそこにはない家の鍵を拠り所に年老いていく祖父の記憶に生きる。イスラエルの若者は、ナチスに迫害され殺され急死に一生を得てやっとイスラエルの地にたどり着いた世代の記憶を、イスラエルでまた中東戦争に巻き込まれた祖父母たちの記憶を占領している側として生きている。
そしてマエストロの記憶、ナチス党員として両親を失った記憶、マエストロの記憶は、罵り合いに使う記憶ではない。
記憶することは大切。忘れてはいけない、二度と同じ過ち、罪、不幸を繰り返さないための記憶、大切ではないか。記憶をたどり記憶を色褪せたものにしない消さないための血の滲むような映画を沢山見てきた。
でも、この映画を見ながら、記憶を無くしたら?今を生き美しい音を奏でる若者たちが亡霊たちの記憶に囚われ前進できないのなら、、いっそ記憶を消し去ったら、と極端な思いに駆られた。
そしてクレッシェンド版ロミオとジュリエット、トニーとマリアは、なんとも、周りの激しい主張とテンションの中で、なんとものほほんとした風情で、それでも家族の記憶やオンゴーイングな記憶予備軍がそれぞれの生の背景にあり、のほほんとしてもっと強く個性と主張を発してしまうところが、また、、、
コンサートはなかったのだ。
音楽は素晴らしい。どの曲も。泣ける。
コンサートはなく、仲間を失い、マエストロがいない、壁越しの空港での突然のセッション。ガラスの壁を挟んで、段々と奏者が加わりクレッシェンドするボレロ。
絶望と希望を感じる、これから#makemusicnotwar の世界を生きる、若い人たちに、縋るような絶望と希望を感じる。
記憶からハッシュタグへ縋るような思い。
いろいろ言っても希望愛信頼音楽は人を感じさせ動かす。
というわけで日本語タイトルはこの作品も、よくない。
クレッシェンド音楽の架け橋ではないよと思う。
今この瞬間にも新しい戦争が始まっている。クレッシェンドし加速していっているものは一体何なのか、、、
それでもクレッシェンド。敬意をクレッシェンド、勇気をクレッシェンド、記憶は過去のもの、一歩踏み出すのは今、決めるのは今を生きる私たち。