幸せの答え合わせのレビュー・感想・評価
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コロナ禍に見るべきロケーション・ムービーなのかも
イギリス南岸のドーバー海峡に突き出た石灰岩の絶壁が目に焼き付くイーストサセックス州シーフォード。かつて、『つぐない』(07)や『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(15)等が撮影されたこの地で、結婚29年目を迎えた熟年夫婦の破綻が描かれる。理由は、何事にも妥協を許さず、それを自分にも要求し続ける妻に、遂に夫が耐えきれなくなったからだ。しかし、妻側に全く罪の意識はない。長年のすれ違いが明確な結論として提示される夫婦の物語は痛烈だが、やがて、そこに親元を離れて暮らしていた息子が登場することで、視点が変わり、家族が歩んできた時間の尊さと、それが未来に繋がることが暗示される。要求が愛情の証だと信じる妻を演じるアネット・ベニング、安らぎを求めて冷徹な決断に至る心優しい夫をビル・ナイ、そして、親たちをふんわりと包み込む息子を演じるジョシュ・オコナー。適材適所の配役が、一筆書きできるようなシンプルな物語にニュアンス(行間)をもたらしているのは間違いない。そして、風景。岩がゴツゴツとした波打ち際や、絶壁の上に青々と生い茂る草たちが、画面に開放感を与えている。そういう意味で、これはコロナ禍に見るべきロケーション・ムービーかも知れないと思った。
ベニング、ナイ、風景、詩の数々・・・素材の味わいをじっくり活かした家族ドラマ
これぞキャスティングの妙。30年間連れ添った夫婦役を演じるアネット・ベニングとビル・ナイが見事にハマっている。妻が「想いをきちんと言葉で伝えてほしい」と言えば、夫は「言わなくてもわかるだろ」と返す。夫の言葉をことごとく否定する妻。すっかり自信喪失しているようにも見える夫ーーー。それにしてもいきなり「出ていく」だなんて、彼の仕打ちは身勝手と取られても仕方ない。現実にはこんな問題を抱えつつ我慢して生きていくパターンが多いのかも。だが本作はあえて二人に別離の道を与えた上で、その先をどう歩むかを見つめようとする。舞台は英国南岸のシーフォード。太古より少しずつ波に削り取られた白い崖は結婚生活ですり減った心そのものだろうし、"Hope Gap"という地名も互いの価値観の違いを絶妙に象徴する。その情景を有名詩の数々がさらに深く彩り、まさに素材の良さを最大限に活かしたスープのような味わいに仕上がっている。
監督が両親の離婚という実体験を基に描いた真摯な家族劇
アネット・ベニングとビル・ナイ、どちらもユーモラスな演技も得意とする名優だが、本作ではシリアスに徹し、結婚してから29年目にして重大な局面を迎えるシニア夫婦を演じている。ベニングが演じるグレースは、引退後に詩選集作りを始めるなど詩をこよなく愛するロマンティストで喜怒哀楽も豊か、信心深い理想主義者でもあり、夫や息子に対して不満があればはっきり言う。一方ナイが扮する歴史教師のエドワードは、家では寡黙で、妻にお茶を淹れてと言われれば文句も言わずに従い、夫婦の会話を避けるかのように自室に引っ込んでウィキペディアの書き込みに没頭している。都会で一人暮らす息子のジェイミーが父に呼び出され、週末に海辺の町シーフォードの実家に帰ると、エドワードは家を出ていくと言う…。
「グラディエーター」などの脚本で知られるウィリアム・ニコルソンが、成人してから両親が離婚するという体験に基づいて「The Retreat from Moscow(モスクワからの退却)」という戯曲をまず書き、そこから映画用の脚本も書いて監督を務めた。自身を投影したであろうジェイミーの心情も細やかに描いており、別居した両親の間で心を痛めながらもなんとか仲を取り持とうとし、その過程で自らも変化する息子の姿を示すことで、本作における救いや希望が託される存在に位置付けている。
エドワードが授業の中で言及する、1812年のナポレオン率いるフランス軍によるモスクワ侵攻後の退却のエピソードは印象的だ(戯曲の題もこの史実から取られている)。極寒の退路で、助からない負傷兵は軍服を脱がされ置き去りにされた。衰弱して馬車から振り落とされる兵士がいても、誰も振り返らなかった。なぜ劇中でこの話が語られるのか、いろいろ解釈は可能だろうが、離婚をある種の“撤退戦”に重ねたと考えるのもありか。状況をひっくり返すことはできない、ただ被害を少なくして生き残ることを優先するしかないのだと…。
なお、映画の原題は「Hope Gap」で、こちらはシーフォードに実在する海岸の地名から取られている。固有名詞なのだが、「希望の隔たり」とも読めて、パートナーに対する望みがかけ離れてしまった夫婦を表すようで皮肉めいている。
あまりにリアル
友達夫妻が数年前からまさにこの映画の夫婦のような状態だ。映画と違って、夫は妻も恋人も好き、妻と離婚する気はないと言っている。妻としては有り得ない、夫の都合ばかりがいい話だから少なくとも物、住まいなどはきれいに別々にする事を妻が提案してそのようになった。夫妻とは家族ぐるみでつき合ってきたが、クリスマス・カードや誕生日祝いのメッセージは今や二人一緒からでなくバラバラに来る。一緒に旅行したり休暇を過ごしたり、とにかく沢山の思い出があるから残念で寂しい。どちらかと言えば夫の自由な勝手気儘さが発端だろう、とても優しい人なんだけど。
二人の娘達は母親に言った。映画のジェイミーみたいに:「私は審判ではない」「それは二人の問題でしょう」母親は娘達は当然自分の側についてくれると思っていたから傷ついた。娘二人とも結婚し子どももそれぞれ二人いて仕事も忙しいが、母親に寄り添っていることは伝わってくる。
彼女はメディテーション・コースに通っている。夫の裏切りが発覚して2~3年たつと思うが瞑想はまだ必要のようだ。だから映画では妻の立ち直りがずいぶん速いと思った。息子のジェイミーが両親の別離を受け入れ、メッセンジャーを担当し、公平に二人と付き合い、特に母のメンタルを気にする役回りを引き受けたのはとてもハードだが良かった。彼もそれで少し大人になったと思うから。二人の大御所俳優相手に、繊細な役のジョシュ・オコナー、よかったよ~!
おまけ
映画はシーフォード?よく知らないけれど、ブライトンが最寄り駅のセブンシスターズという所も美しい真っ白の岩壁のようだ。一度行ってみたい。
不幸な人間が3人いた、今は一人だけ
妻も夫も関わりたくない人達。お互いに勝手で我儘。夫も我慢してついて行っているように見えるが、結局生徒の母親と付き合い逃げ場を見つけてからの離婚切り出しって最悪。可哀想な息子の役回りに見えるがなんだかそれもどうなんだかと。
ロケーションがほんときれい
ストーリーの最初の方は、とにかく妻のグレースの気の強さから「そりゃ離婚を切り出されるわ…」と思ったし、間に挟まれる息子が気の毒でしかなかったけど、ストーリーが進むに連れ、本当の自己中人間は夫のエドワードじゃないかとしか思えなくなりました
グレースがあんなに言いたい放題になってしまったのは、グレースと向き合って話し合う事ができなかったエドワードに責任があるような
きっとめんどくさかったのかなと
そんなふうに29年も過ごしてきて、自分に優しくしてくれる相手が見付かったからじゃあサヨナラって身勝手すぎる
その上離婚の話も息子に任せたりして、エドワードって夫としても父親としてもサイテーとしか思えないです
捨てられたグレースが可哀想に思ったけど、あんな優しい息子がいるって幸せだし、今後の人生は自分で自分を幸せにしていけるのではないでしょうか
そして私が一番イラッとしたのはアンジェラ
グレースに言ったアンジェラのあの言葉は許せないです
いやいやこれからグレースは幸せになるからっ
舞台になったシーフォードの風景がとにかく美しかったです
息子の気持ち
年齢、一人息子と自分と同じような設定。途中、イライラとさせられるやや極端なやり取りも「ちょっと似たようなことがあるかも」とも思わせてしまう。
そんな中で、最後の息子の一人語りシーンがかなりグッとくる。夫婦はお互い我慢して暮らしているところがあり、子供はそれを敏感に感じ取りながらも仲良くして欲しいと思っているのだろうね。
一言「覆水盆に返らず」
結婚29年目の夫婦。気象の荒い妻と、それを受け止める寡黙な夫。
夫はずっと愛していたふりをしていただけで、新しい生活へ半歩踏み出している。
「そんなの許さないわよ!」と激昂する妻。
その間に入って、右往左往&連絡係になる息子。
ほぼこの三人で話が進むのが、興味深い。
妻の性格がすごくきつい。腹が立つとテーブルひっくり返すし。
離婚なんて絶対応じない云々。
「こんな妻嫌だわー」と思っていたのだけど。
段々、これって私にも当てはまる部分があるなあって、ブルッときたなあ。
諦めが悪いのよね。で、夫婦でいるのが当たり前って思うのも違う。
まずは人間同士だもの。思いやりを持たなきゃ。
これだけだと、ただの離婚話夫婦。
そこにイギリスらしい「思いを詩に乗せて」語られるところが、内容を中和してました。
原題は「Hope Gap」。家族の思い出の海岸のよう。
それをこの邦題にしたのは、いい仕事してました。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「彼女が愛したのは、彼女の作り上げた偶像」
脚本がいいですね
お話は解説の通りで厳しいながら身につまされるようなものでした。
エドワード(ビル・ナイ)のウィキペディア趣味からのナポレオン軍兵士の日記の引用や、アンソロジーを編纂するグレイス(A.ベニング)が引用する詩がとても素晴らしくちりばめられていました。美しい脚本です。
主演3人はそれぞれにハマっていてほぼ完ぺきのできですね。
グレイスが教会に行った後、「キリエで6回(だったかな?)「憐れみ」を祈ったわ」なんて言ってました。この後しばらくしてモーツァルトのハ短調ミサ(K427)のキリエがかかります。美しい!レクイエムじゃなくてこの曲を選んだセンスが最高です。
邦題はちょっと違うと思うぞ。
先輩同僚があの頃、“危機”にあった僕に言った 「おい〇〇、これうちの子が昔使っていたやつだけど持ってけよ。❮一輪車の練習❯ってどうやるか お前わかってるか?」
開演の前、
いきなり心臓を ぎゅーっと掴まれてしまった、
館主が
「この映画は、脚本家のウィリアム・ニコルソンが、幼い日の両親の離婚劇に傷ついて、自身のその体験を脚本に書き起こし、そしてニコルソン自らが監督を務めたものである」、また
「我々が聞いてしまってよいのかと戸惑う両親の会話が織り込まれている」・・と、
館主が舞台横で、上演前の小さな解説をしたからだ。
まったくそんな経緯を知らなかった僕は、このいきなりの「告知」に何の心の準備も出来ておらず、心が騒ぎうろたえる中、あっという間に館内は照明が落とされて暗くなってしまった。
身じろぎも出来ず、バツ1の男がひとり。
・・・・・・・・・・・・
うちの息子も言ったっけ、
自分は両親のあいだのメッセンジャーボーイではない。伝言は断ると。
泣いていた。
子供は両親の離婚を目撃して傷つく。
幼い魂を傷つけてでも決断する両親の選択は「きっと正しかったのだ」と、大人たちは自分に言い聞かせながら、振り返り振り返り行くしかないし、
時には逃げるようにそこを立ち去ることしか出来ないのだと思う。
ナポレオン軍の敗残兵は象徴的。
父親ビル・ナイ、
母親アネット・ベニング、
息子ジョシュ・オコーナー、
この一家三人の痛みの過去を、監督が自己の辛い体験をそれぞれ出演者たちに重ねて演じさせる形で、あの頃を反芻させ、捉え直しをさせてみる。そういう作品だったと思う。
そして恐らくこの作品は、監督の再出発のための映画なのだろうが、僕自身においても、ずっと引きずっているモヤモヤを明らかにさせてくれる映画体験だった。
・・・・・・・・・・・・
ホープ・ギャップ。
白亜の岩肌が水面から垂直に立ち上がる崖。世界的景勝地。英国南部シーフォードの海岸だ。
劇中、なかなかその全容を写してくれずに観衆をじらすのだが、ようやく壮大なパノラマが現れて、大スクリーンに立ちはだかるあの偉容には、やはり言葉を失うものだ。
「本作の4人目の主人公とも呼べる不可欠な存在だ」(cinema cafe.net )との解説には頷くほかない。
ホープ・ギャップ。
地の果ての秘境なのかと思っていたら、意外にも人口2万人の瀟洒な街に隣接した、町民たちのお散歩コースだった。
ホープ・ギャップ。
その意味は「希望」。「段差、途切れ、隙間、食い違い」。
希望と断崖と誤解が、こんなにも人間の生活の場の近くにあることに驚く。
今後、
夫も、妻も、子供も、
一緒に暮らした日々をかの地=ホープ・ギャップの方角に思い出しながら生きていくのだろう。
監督のご両親も、この映画を、どこかの街の映画館の暗がりで観るのだろうかなァ。
父親と母親は、どんな思いでこのスクリーンを見つめるのだろうか。
いつか僕も“反省会”が必要なのだろうか。
ラスト、
ジェイミーがシーフォード・ヘッドへの坂道を登りながら、子を真ん中に草原を手を繋いで楽しそうに進む親子3人の幻を見る。
目を落として、もう一度目を上げると3人の姿が消えている。
僕は
❮一輪車の練習の話❯を思い出す。
・・・・・・・・・・・・
再婚同士は割とうまくいくそうだ、
失敗の原因も、
自分の力不足の理由も、
受入れ方や身の引き方も、体験上お互いにわかっているからだと言う。
でも心の崖は、誰しも一生心に抱えて生きていくんだよね。
【”一度は深く愛し合ったのに・・” 熟年離婚は、成人した子供にも影響を与える・・。Hope Gapと呼ばれる”家族の思い出”の入江と聳える白亜の崖も作品に趣を与えています。】
ー 高校教師のエドワード(ビル・ナイ:抑制した演技で、哀しい決断をする夫を好演)は妻グレース(アネット・ベニング:激しい気性だが、感情の振れ幅が大きい女性を好演)に結婚29年目を迎える直前に、ある告白をする。その告白のために、予め遠方に住む息子ジェイミー(ジョシュ・オコナー)を家に呼んでいた。ー
<Caution! 以下内容に触れています。>
◆感想
・グレースの気性の激しさと、エドワードの物静かな佇まいのギャップ。良くしゃべるグレースに、静かに相槌を打つエドワード。
が、グレースはそんなエドワードの態度が気に入らないのか、平手打ちを食らわし、食卓をひっくり返す。
ー ちょっと、気性が激しすぎないかい?グレースの乗る小型車の再度には、何かにぶつけた跡が残っているし・・。平手打ちされても、”今日は疲れたから寝る・・”と精気の無い顔で寝室へ行くエドワードの姿。ー
・”もう限界だ・・”
ー エドワードは、そんなグレースの対応に疲れて、嫌気が差していたのだろう・・。教え子の母親アンジェラと、親密な関係になっている事を告白する。序盤のシーンを見れば、分からないでもない・・。ー
・とばっちりを受けたのは、ジェイミー。離婚調停の場での、修復不可能な両親の姿を見て、傷つき、幸せだった幼少時に良く連れて行ってもらったHope Gapの入り江に行く・・。
ー 劇中、ジェイミーは頻繁に散歩に出ているが、Hope Gapの入り江に行っていたのではないかな・・。幸せな思い出が残る場所へ。ー
・アンジェラと暮らすエドワードの家に、ある日突然グレースが・・。狼狽えるエドワード。が、事情を知っているアンジェラは気丈にグレースに言い放つ。
”不幸だった3人が、1人になっただけよ!”
ー 強烈な一言である。家で、意気消沈するグレース。ー
・だが、グレースは自死を止めるボランティア活動に参加し、ジェイミーも友人たちとの、語らいの中、心の平穏を取り戻して行く・・。
<原題:Hope Gap。明らかに、ダブルミーニングであろう。ラスト、Hope Gapの海岸に独り佇み、海を見つめるジェイミーの後ろ姿が、印象的だった作品。>
<2021年8月1日 刈谷日劇にて鑑賞>
断崖絶壁になる前に、どうにかしろよ。
まぁ、色々と身につまされることが多く、マジで見入ってしまいました。
譲ると言う事を知らず、全方向に棘を刺す様な妻。それでいて自分一人は上機嫌。それねぇ、みんな耐えてるんです。耐えてる、っていうか、流してる、って言うか。
よそで恋しちゃダメでしょう。ってのはある。
一人にしてくれ、ならまだしも。
セブンシスターズのホワイトクリフは、「白亜紀」の語源にもなった白亜(チョーク)の崖。ホワイトクリフは数億年を掛けて浸食がすすみ断崖絶壁に。結婚して29年だったっけ?29年も掛けて出来たGAPで、とらえ方によっては、3人が不幸になったと言えないことはないし、別れることによって不幸なのはエドワード1人だけになったと、言えないこともないけれど。
そりゃ、とらえ方、つまりは主観の問題。
家族の歴史と引き換えにしたGAP解消が、本作では上手く行った様に見えますが、現実には「そんな上手い話はなかなかねーよ」って思います。別れた夫婦が、ともに、各々生きる意味を見つけられればいいんですけどね。
いずれにしてもセブンシスターズの絶景ですね。これに尽きるw
わがままで救われない妻を演じたベニング
アネット・ベニング×ビル・ナイ×ジョシュ・オコナー。
イギリス南部の海辺の町で暮らす熟年夫婦と独立して家を出た息子の物語。
始まって間もなく知る原題の意味。“Hope Gap”って近場にある美しい入江のことだったのですね。折に触れこの入江の美しい景観に救われた気がした。
そう、これは厳しい作品だった。
観るに辛い作品だった。
夫婦の間に在る埋めることができないギャップ。
“Hope Gap”の文字通りの意味を知る。
ベニングが演じたわがままな妻。
彼女を見ているのがホント辛かった。
無様な彼女を見たくなかった。
例えその後に新たな人生が始まるとしても。
I have been here before.
なんて嫌な女、なんだろ?
なんて不甲斐ない男、なんだろ?
国を超えて、熟年夫婦が抱える課題なのか。
いや、夫を殴るかな~
なんとも身につまされる映画。
長年連れ添っているからこそ、相手に苛立つし、何をやっても許されると勘違いしてしまうのかな?
それにしても、こんなに高慢な女がいる?
それでも、息子はちゃんと育ったね。
父を、母を尊敬してやまない。
子どもの頃の幸せだった記憶を、大切にしてる。
もっと早く決断してたら?
いや、今だからこそ息子が、2人の間で冷静に中立を保てたんだ。
人生にタラレバはないのかもしれない。
美しい詩を愛してやまない彼女が、汚い言葉で、嫌みなフレーズを止められない。
なんとも皮肉なコントラスト。
どの言葉にも、重みがあって、もう一度観たいと思いました。
彼女のように、ならないように、自戒を込めて(^_^;)
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