劇場公開日 2021年11月26日

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「アリストテレスが観たら褒めるに違いない」幕が下りたら会いましょう 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0アリストテレスが観たら褒めるに違いない

2021年11月29日
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鑑賞方法:映画館

 松井玲奈の演技はよかったと思う。
 全体に静かに過ぎていく映画で、時折ガラガラという音が聞こえる。筧美和子の演じた尚が出て行ったときの、キャリーバッグのキャスターの音だ。この音が随所で使われるのだが、殆どのシーンであまり効果的とは言えなかった。ただ一度、入口のガラスを吹きながら、しゅはまはるみ演じる母親が「お帰り」という場面があって、そこはとてもよかった。
 親しい(ちかしい)人間の死は、必ずしも悲しいとは限らない。しかし何らかのインパクトを与えることは確かである。人間の関係性は千差万別だから、どのようなインパクトであるかを体系化することは難しい。ただ共通することはある。親しい人間の死は、多かれ少なかれ、乗り越えなければならない出来事なのだ。

 本作品の主眼は、松井玲奈の演じたヒロイン麻奈美が、妹尚の死をどのように受け止め、どのように乗り越えていったのかということにある。麻奈美は劇団を主宰し、脚本と演出を担当するくらいだから、他人に命令し、他人を従わせ、他人と議論することに慣れている。演劇の脚本というのも、本質的には相手や自分のレーゾンデートルを問うような台詞が多いから、非難されることや問い詰められることにも慣れていると言っていい。
 麻奈美は当初、脚本家や演出家の視点で尚の死を受け止める。いわば神の視点である。悲しみも後悔もない。母は泣くが、麻奈美は泣かない。むしろ死体と一緒の霊柩車の閉塞感に耐えられなくなる。尚の死はどこまでも他人の死である。
 それでも妹との思い出はある。死は思い出を蘇らせる。その思い出も葬る必要があるのだが、いつまでも麻奈美の心にわだかまる。思い出を葬らない限り、前に進めないことは麻奈美にもわかっている。
 見知らぬ人との出会いも、見知らぬ世界の体験も、商業主義の演劇も、麻奈美には何ももたらさなかった。一から出直して、もう一度尚の死に向き合う。妹はどのような場所でどのように死んだのか。
 終盤のどこかで、思い切り叫ぶか、あるいは延々と泣くかする場面が必要だと思った。でなければ麻奈美はいつまでも尚の死を乗り越えられない。叫んだり泣いたりすることは、心の浄化になる。演劇的に言えばカタルシスである。
 そのシーンを待ち構えていたのに、結局現れないままに最終盤となったのだが、思いがけない形でそのシーンが来た。ああ、これだと思った。これこそ麻奈美が前に進んでいくためにどうしても必要なシーンだ。
 前田聖来監督が意図してそうしたのかは不明だが、本作品はとても演劇的な構造になっている。悲劇のお手本みたいだ。アリストテレスが観たら褒めるに違いない。

耶馬英彦