「発見されない搾取・戦う相手を間違えている社会の比喩として」真夜中乙女戦争 剛徳さんの映画レビュー(感想・評価)
発見されない搾取・戦う相手を間違えている社会の比喩として
私たちは花を、生活に潤いを与えるものとして消費しています。『真夜中の乙女戦争』の冒頭に近いシーンでは、その花を流通させる為の仕事が、人としての尊厳が皆無の、労働を搾取する為の合理性が徹底的に展開された職場として描かれます。
私は、この映画の感想で頻繁に使用される「無気力な大学生」、という言葉に強烈な違和感を感じます。経済的理由でモラトリアムが十全に享受できない大学生のモラトリアム,それ自体は正当な感情である社会問題に対する不満が、誤った思想や行動でしか発露できない、この映画をそんな現在の日本が抱えるリアルを前提にして描かれたものとして鑑賞しました。その為、エンディング近くで流れた、冒頭近くでバイトを首になってベンチに座るシーンではそこに居なかった先輩が、ベンチに座っていたことは、私にとってとても重要なシーンでした。
黒服は私のファウストなのか、又は先輩がネガで黒服がポジで、私は観察者なのか、登場人物を固有の名前ではなく、仮の名前で呼び続けることと、現実の社会のリアルと対比させることで浮かび上がらせる、社会が抱える欺瞞と普通の日常を愛して営むことの尊さ、そんな風にこの映画を味わいました。
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