王の願い ハングルの始まりのレビュー・感想・評価
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ハングル文字〜表音文字
不勉強の為、ハングル文字が表音文字だという事を初めて知りました。
世宗王を演じたソン・ガンホ(穏やかで人間味溢れた演技はさすが✨)と、和尚シンミを演じたパク・ヘイルが、互いに本音をぶつけ合うシーンが秀逸。
王妃を演じたチョン・ミソンのたおやかな表情と演技に魅せられた。
終盤寝落ちしてしまい、気付いた時にはハングル文字のエンドロールが…でした😓
映画館にて鑑賞
ゼロから物を作り出す苦悩が今の文化の礎になっているのを実感します。
特に気にして無かったんですが、ちょっとした機会から鑑賞しましたw
で、感想はと言うと、なんか賢くなった気がしますw
今から600年近く前の1446年。朝鮮には自国語を書き表す文字が存在せず、特権として上流階級層だけが中国の漢字を学び、使用していた。
後に朝鮮王と呼ばれる第四代国王の世宗大王は誰でも容易に学べ、書く事ができる朝鮮独自の文字を作ることを決意する。
当時、文字は上流階級の特権であり、庶民に文字を与えようとしている王の行動に臣下たちが激しく反発するが、遂に訓民正音、ハングル文字を創製する。
と言うのが大まかなあらすじ。
普通に身の回りに文字が溢れている時代であっても文字を新たに作ると言う作業は普通に考えても大変。
様々な創作物や国際補助語として作られた人工言語などあるが、これらは今の文字があるからこその作り上げられただけに殆ど何も無い状況で作り上げると言うのは並大抵でない。
ましてや上流階級者の特権として使用されていた物が庶民にも使用出来るとなると、自分達の旨味が無くなると反発も必至。
いろんな事で「大変だな〜」と言うのがひしひしと伝わってきます。
当時の朝鮮は漢字文化圏で漢字以外文字はなく、話し言葉以外に意思を伝える術を持たなかった為、漢字の読み書きが出来ない民衆に対して、ハングル文字を創製・制定しようとする。
だが、当時の明(中国)は大国であり、明の一部であるからこそ一流の文化を得られるとし、そこから離れる様な行為を行えば、一流国の恩恵は受けられない。その事で国の文化水準が下がってしまう事は納得が出来ない。と言うのが保守派の反発理由。
「国民は言いたい事があっても書き表せずに終わることが多い。これは文字ではなく漢字の素養が無い民に発音を教えるための記号に過ぎない」と言うのが世宗大王の言い分。
どっちも分からなくは無いんですが、文字が書けない読めないと言うのは意思の伝達に手紙を用いる事が出来ない。
ハングルの文字の創製に限らず、今の文化は様々な事が試行錯誤されて、今に至る訳ですから、知る事はとっても大事。
でも、映画としての面白さはちょっと難しいかな。
作品としては良く言えば知的好奇心をくすぐるが、悪く言うと重くて固い。
「パラサイト 半地下の家族」のソン・ガンホが世宗大王を演じているので見応えはあるけど、当時の朝鮮の歴史的状況やある程度の漢字などの成り立ちを知るか、興味がないとちんぷんかんぷんになってしまう。
確実に観る人を選ぶ作品です。
個人的には河合克敏さんの「とめはねっ! 鈴里高校書道部」を読んでたので、漢字の成り立ちや書道の意図などがなんとなくですが分かっていた(つもり)なので、それなりに入ってくるんですが、それでも一旦詰まると知らない情報が多かったりして、置いていかれたりするんですよね。
史実とフィクションを絡めて、フィクションの加減をどれだけ入れたとしても、ある程度史実を元にした話なので固いのは仕方無いけど、エンタメ色は少なめ。
文字自体が一つのアートであると考えると、エンタメに成り得ると言えなくは無いんですが、ちょっとこじつけですかねw
もう少し、見易ければ良かったかなと思えるけど、崩し過ぎると作品の意図が曲解されかねない。
全体的に重く、固く、雰囲気も暗い。
それでも多言語が普通になっている今の日本に文字の有り難さを感じると言うのには、些か文化が乱雑し過ぎて、ちょっと難しいかと思いますが、それでも当たり前の物を改めて考えるのはとても大事な事。
観る人を選びますが、いろんな作品を観る中で、こういった作品も個人的にはアリかと。
あくまでも個人的な一意見として捉えれ頂ければ幸いです。
日本ではやらなくていい
こんな気分の悪い映画、日本ではやらなくていい
冒頭からしばらく、日本の僧がくるのだが、
これが慰安婦問題とかぶってみえる
前の王がいいといったことを、
民が平気で破る
そういう国だよなと改めて認識
その後は、分かりづらい、つまらない
気がついたら寝てたよ
【朝鮮王朝の名君、世宗と王妃と”儒教の国の仏僧”が、民と国の行く末を考え、行った尊崇な行為を描く。古代漢字研究の第一人者であった故、白川静教授のコメントを聞いてみたいです・・。】
ー ラストのテロップを見て驚いた。
王妃を演じたチョン・ミソンさんが48才と言う若さで亡くなられた事に哀悼の意を表します。ー
◆ハングル文字が作られた理由、過程を面白く鑑賞。
・世宗(ソン・ガンホ)が”誰もが、読み書きできる国”を作るため、”訓民正音”(ハングルの正式名称)を造り上げる過程が、知的好奇心を擽られ、とても面白かった。
・”高麗は仏教を信仰していたために、滅んだ”と信じた人々は、儒教思想を基に朝鮮を起こした訳だが、当然朝鮮では、仏教徒は白眼視される。
特に、官吏達から・・。
・そのような状況下、仏教徒はチベット密教で使われていたサンスクリット文字を使う事に気付いた世宗が、臣下達の猛反対を押し切り、仏教の僧侶シンミ(パク・ヘイル)を説き伏せ、ともに新しい文字を作り出す、艱難辛苦の過程が実に面白い。
それまで、表意文字の漢字しか使ってこなかった朝鮮で、陰陽五行の考えを取り入れたりしながら、サンスクリット文字を参考に新しき表音文字を徐々に創り出して行く姿。
ー それ故に、当時の朝鮮の民は、文盲が多かった。ー
・臣下達の反発に悩む世宗を”仏教徒”だった王妃(チョン・ミソン)が励ます姿。それは、彼女が死しても・・。
<知的好奇心を、凄く刺激された映画。
可なり、脚色があるという事だが、全く気にならず。(と言うか、事実を知らないから・・。)
時折織り込まれるユニークなシーンも、佳き哉。
故、白川静教授が今作を鑑賞されたら、どの様なコメントをされたのだろうか・・、と思ってしまったよ。>
仏教と儒教と、そして、夜の空を見上げて…(説明入れてます)
今年72本目(合計137本目)。
実はこの映画、韓国で公開されたとき(2019年)、相当な議論が巻き起こりました。韓国は儒教の国だからです。
李氏朝鮮では、仏教は徹底的に弾圧された立場だったのです。
そして、ハングル(便宜上、現在の名称。以下同じ)は世宗大王が作ったものとされますが、彼1人だけの功績か、誰か協力者がいるのか、また、参考にした文字は何か(主に契丹文字説、サンスクリット説、完全オリジナル説などがある)が不明で、その点で最初に「史実をテーマにしたフィクションものです」と流れます。
この映画は、その中でも「李氏朝鮮が弾圧した仏教側の立場(仏教徒は、サンスクリット語を読み書きできた)でハングルができていたら?」という立場で作られています。実際、この考え方は少ないようですが、かといって、契丹文字説も矛盾なく完全に受け入れられているわけでもなく、現在でもまだ学術上の争いがあるようです。
どちらの立場に立って考えたとしても、文字を新しく作るのなら、それは、既存の文字を参考にすることが多いでしょう。そのとき、やはり、私たちが今そう思うように(日本では、日常会話で使う常用漢字は、2000字ほどありますね)、多くの文字ではなく、できるだけシンプルな組み合わせでできる文字の作り方はないか?という点が論点になってきます。「文字の作り方」といっても、漢字のような部首を取る形式や、母音+子音の組み合わせ形式、アルファベット…など、いろいろあります。ハングルはこの中では「母音と子音の組み合わせ」でできています。
そしてこの映画は「仏教徒がかかわった+サンスクリット参照説」の立場です。
(なお、儒教+契丹文字説でも、この「母音+子音文字」の考え方は変わらない)
「作っても、国民が容易に理解できる言語でなければならない」という考え方、かつ、将来まで使われることを想定してある程度の「余裕」を持たせて作られたのが、今のハングルです(この当時できたハングルは本当に黎明期で、母音子音とも、なくなったり、表記の変わったり、読みが変わったなどの字がいくつかあります)。
そして、何の言語を参照して新しい言語を作るとしても、基本となる母音・子音字は少なければ少ないほど良いのです。しかし、一方で少なすぎるとその組み合わせでも表せる組み合わせには限界が来ます(母音・子音形式をとる場合、この点が必ず待っています)。さらにそれをどこまで許容するか、もっと削れるか、容易に習得できるか…という点、それらのお話も登場します(あくまで、仏教+サンスクリット説に取った場合だが、契丹文字説にとっても、この点において、本質的な筋は変わらない)。
特に減点対象とする点はないので、フルスコアにしました。
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(※補足) 「夜空には多くの星があるが、星座は28個しかない(のだから、28個くらいに基本字をまとめられないのか)」について
・ この内容は2回出てきます。日本ではおやっと思うかもしれません。
この映画はもっぱらハングルの歴史に焦点を当てた映画ですが、中国の影響を受けた朝鮮、日本では、「二十八宿」という、中国式の星座(星官という)が使われていました(日本では、江戸時代の終わりまで使われていました)。
一方、西洋ではトレミーの時代に、トレミーの48星座というのが(今の88星座のうち、48個という考え方では、ほぼそのまま)すでに作られていたので「なんで28個なの?」という疑問が出てきます。これは、中国の影響を受けた朝鮮・日本ではこの「二十八宿」という星官のシステムが主流で、それが当たり前に使われていたのです。
※ おとめ座のスピカ(現在の名前)から始まって、今の88星座で言えば比較的よく見える星を結んで作られていました(結び方(星座線)はまるで違う。スピカは「角」とだけ呼ばれ、スピカを含む(独自の)結び方(範囲)は「角宿」と呼ばれていた)。また、南半球への航海が可能になった時代以降では、南半球の星官(「十字架」→「みなみじゅうじ座」 など)も作られるようになりました(また、このころには中国も、西洋文化に接したため、自然と西洋式が少しずつ主流になっていきました)。
※ インドでは、1つ削られて「二十七宿」にもなりました。日本や朝鮮では「二十八」(28)であり、季節や方角(4つ)や曜日(7つ)の「4」や「7」を約数に持つため、こちらはこちらで、こうしたことと結びつき、それはそれでまた独自の文化(占いなど、隣接する分野)に影響を与えました。
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仏教と儒教の確執
ハングルが創られるまでの物語、新しい文字を創ろうとした王と、
日頃は王族から虐げられている仏教の僧が「王に協力する。。?だと。。?!!」と思いつつ、
普段は政治の中枢にいる儒学者達が「王と仏教徒が創った新しい言葉を民に広めろだと。。?!!」
という、シンプルに文字を創った以上の、それぞれの立場でのそれぞれの苦悩、確執も描かれていて、真実に近い描写のように感じました。
念仏を唱えるのが供養ではなく、民に広めることを願っていた王妃への供養は、女官達から民へ広めることを止めないこと、それこそが供養なのでは?という和尚の言葉がとても胸に響きました。
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