劇場公開日 2022年1月21日

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「マチューはよく頑張った」ブラックボックス 音声分析捜査 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0マチューはよく頑張った

2022年1月27日
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鑑賞方法:映画館

 邦題から、聴覚に優れた音声分析官が能力を発揮して原因特定の難しい事故を暴いてみせるヒーロー物かと思っていたが、流石にフランス映画である。主人公だからといって運がよかったり思わぬ助けがあったりせず、しかも一筋縄ではいかないストーリーに仕上がっている。

 日本では経団連に入っている大企業と政治家や官僚(政官財)の癒着は、連綿と続いている。役所には許認可制度という法律の後ろ盾があって、いわゆる職務権限なのだが、役人はそれを利用する。つまり賄賂を受け取ったり、天下り先を用意させたりして、許認可を甘くするのだ。許認可は所管の大臣名で実施されるから、大臣にもそれなりの利益がある。
 日本国憲法には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と書かれているから、一部の大企業を優遇するのは憲法違反であることは明白だ。当事者である政官財の人間たちは、それを承知の上で悪事を働く。万が一バレそうになっても、情報を隠せば追及を免れる。黒塗り文書である。または公文書の改竄である。企業はまだしも、政治家と官僚は税金で生活している訳だから、罪は深い。

 すべての情報を開示すれば不正は起きにくい。それがわかっていても情報はなかなか公開されない。ソ連のミハイル・ゴルバチョフが、政治改革である「ペレストロイカ」のひとつとして唱えたのが「グラスノスチ」である。情報公開だ。密室政治だから不正が起こり、腐敗する。つねに情報を公開し続けることで、正しい政治が維持されるという趣旨である。青年の主張みたいな純粋な理念だが、これが長続きしなかった。政治は人間が行なう。人間は生物(なまもの)で、常に腐敗に向かうのだ。
 フランスも例外ではないようである。哲学が高校の必修科目になっているから、大抵のフランス人は、哲学的、論理学的に考える訓練が出来ている。客観的で巨視的な見方ができるはずなのだ。それでも腐敗が起きる。情報が隠され、あるいは改竄される。

 主人公マチューは孤独である。同じ官である妻は、政官財のサークルの真ん中にいる。友人は財であり、やはりサークルの真ん中にいる。自分がアウトローになってしまえば、妻の立場も友人の立場も危うい。しかし一方では理不尽に死んだ300名の乗客乗員がいる。不正を正さなければ、もっと多くの死者が出るだろう。

 中盤以降はとてもスリリングな展開で目が離せない。細身で戦闘力ゼロのマチューに感情移入して、政官財のトライアングルの強大さに恐怖を覚える。しかし民間から寄せられる情報もある。徐々に事実が見えてきた。マチューには勇気がある。それにコンピュータと通信に関するスキルがある。300名の無念を晴らせるかもしれない。
 しかし政官財には実力行使の部隊がある。非合法だが、事実を隠蔽して情報を改竄すれば合法になるのだ。つまりは合法である。それでも非力なマチューは、巨大な敵に立ち向かう。マチューはよく頑張った。腐った生物(なまもの)は冷蔵庫から出して廃棄しなければならない。そして新鮮な生物(いきもの)と交代させるのだ。

耶馬英彦