「彼女が好きなものは…その言い換えと、ちょっと思い出した話」彼女が好きなものは たいよーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
彼女が好きなものは…その言い換えと、ちょっと思い出した話
他者を理解すること。その摩擦はいかに世界を優しくするのだろう。衝突も偏見も乗り越えるためなら必要な価値観だと思う。泣き笑いして、誰かの優しさにふと触れたくなった。
中学生の頃、学級委員をしていた私。何故かクラスに馴染めない子と友達になることが多かった。腐女子のあの子もそんな感じ。修学旅行で一緒になった時、彼女は僕の制服の袖を掴んで、二条坂を登った。彼女はきっと、僕のことを好きだったのかもしれない。そんな僕には彼女がいたから、少し後ろめながら友達を続けた。
一度話は置いといて、作品の感想を。近年の「流行り」のようなLGBTQ+の文化的表象とは一線を画す。本作が示すのは、人間の本質的な他者理解を情動的に描くことで生まれる、1つの愛だと悟る。気持ちの悪い、恋愛的マウンティングから始まり、いくつもの化学反応が作品の中で華を開く。カルチャーとして、個人として、社会として…今まで見なかった景色に触れることで、新たな問題と答えを生む。劇的にしない、本質的な対話が核を強く照らされることで、高揚感と他人と生きる幸せの価値を感じる。他人に興味のない自分が閉めたブラックボックスをこじ開ける様な作品だった。
惜しいところを強いて言うなら、渡辺大知演じる近藤のヒール的役割は必要だったかとは思う。無知な他人は既に彼にとってもヒールであり、わざわざ必要だったか?と。しかし、高校生の役どころは皆素敵すぎて堪らなかった…。奮闘する姿は言葉になって加速する。向き合って問いつづけ、1つの答えを出していく。そんな連帯が心に響く。原作から削がれたタイトルが、いくつもの答えとなって帰ってくる。
ふと自分自身に不安になって、足がすくんだ時、この映画を観ようと思う。
さて、話を戻して。
高校生になった時、その子はかつてのクラスLINEに招待されることも、成人式の集まりに来ることもなかった。でも、僕は時折思い出す。きっとどっかで生きていて、また何処かですれ違う気がする。かつて理解されなかった世界とは違って、今は地に足付けて生きているんじゃないか。そんなことをふと思い出した。彼女はきっと、僕のことを好きだったのかもしれない。いや、僕はきっと、彼女のことが好きだったのだ。