「決して人ごとではない」モーリタニアン 黒塗りの記録 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
決して人ごとではない
世界の奴隷制度を語るとき、モーリタニアは必ず話題に上る国だ。国として表向きは奴隷制度を廃止したと言っているが、実際には続けられているらしい。モーリタニアは日本と無関係の国ではない。スーパーで蛸を買うと、大抵は原産国がモーリタニアとなっている。
本作品を観て、米軍に法律家がいることに驚いた。そもそも軍隊に法律家がいるのは矛盾そのものである。軍隊は人を殺す組織だ。軍隊の訓練は殺傷武器や大量殺人兵器や乗り物などの使い方、建設技術と破壊技術、近接格闘術、サイバー攻撃、他人を操る心理技術などで、あとはそれらの技術を支える体力づくりである。法律の知識は軍隊の訓練にはない。そもそも人を殺すことを善としている以上、殺人を悪としている共同体の法律では裁かれない。そして米軍の最高司令官は大統領である。
本作品でベネディクト・カンバーバッチが演じた軍の法律家スチュアートは、軍に入ってから法律家になったのではなく、弁護士資格を持つ法律家が軍隊に入ったのだと思う。軍務に就いていることには矛盾がなかっただろうが、法律家としての働きを求められた途端に、自分の存在の矛盾に悩み始める。そして法律家としての意志が表面化する。自分は真実を知りたい。
真実を知りたいのはスラヒを弁護することになったナンシー・ホランダーも同じである。法律家としての冷静さと人道的な弁護士としての熱さを兼ね備えた複雑なヒロインをジョディ・フォスターが見事に演じている。美しい青い目は昔のままだ。
世界は軍と弁護士のように、矛盾を抱えている。人を救うはずの宗教であるイスラム教徒がスンニ派とシーア派に分かれて対立しているし、紛争地域に手を突っ込むアメリカとロシア、それに中国がいる。武器商人は武器を作り続け、劣化して使用期限が切れそうな武器をあちこちに売り捌く。やがて軍産複合体となった巨大な利益集団は、世界中から紛争の火種が消えないように、火を付けて回る。末端のサラリーマンはただ熱心に商品を売っているだけだし、軍の下っ端は目的もわからずに派遣されて人を殺す。
頂点に立つはずの大統領も、軍産複合体の意向を無視できない。当時史上最悪の大統領だったジョージ・ウォーカー・ブッシュ・ジュニアからバラク・フセイン・オバマに代わっても、軍産複合体を解体するようなドラスティックな改革は出来なかった。
モーリタニアはアフリカの国らしく政情不安が続いて政策はブレにブレている。国内の治安も悪い。しかしスラヒはモーリタニア人でも抜群に優秀で、アラビア語だけでなくドイツ語やフランス語を話せるし、尋問を受けている間に英語も習得してしまう。並大抵の頭のよさではない。本作品は、才能に溢れたモーリタニアの若者が、アメリカの軍産複合体によって無為の15年を過ごしたという話で、バカが利口を支配するという、世の中に溢れている事例のひとつである。
これからも世界はバカが利口を支配し続ける。それはバカを支え続けるバカがいるからである。人はパンの前には自由と権利を投げ捨ててバカになるのだ。人ごとではない。元からバカな人はしょうがないが、利口な人はパンのためにバカにならないように身を引き締めていなければならない。アベシンゾウやアホウタロウが20時に当選確実が出るような選挙をしている国では、スラヒの権利は守られない。名古屋の入国管理局の牢獄で殺されたウィシュマさんは、スラヒと同じ目に遭ったのだ。繰り返すが、本作品の出来事は、決して人ごとではないのだ。