「「怒り」を感じることができる秀作。」プロミシング・ヤング・ウーマン 猫舌さんの映画レビュー(感想・評価)
「怒り」を感じることができる秀作。
あらすじは割愛、最初の感想としては「素晴らしい」に尽きる。
何も考えずにタイトルだけで映画を主張した。つまらなかったらすぐにウィンドウを閉じてしまう私が、この時ばかりは画面にかじりつくように映画を観続けた。話の展開もわからない、前知識もない状態で本作を観れたのがよかったのだと思う。
本作のテーマだが、在り来たりといえば在り来たりなテーマなのかもしれない。かつての親友・ニーナが複数人にレイプされた話。詰まる所は復讐劇だ。
大事な友人を助けることのできなかった自分を憎み、許すことができず、まるで自分を罰するように日々を生きる主人公・キャシー。彼女は毎日の中で身を削るようにしてニーナの受けた悲しみを晴らしていく。それは泥酔したふりをして、男たちの「欲望」を露わにするというとても危険な行為だった。
私は、本作に書かれていないだけで、キャシーは「復讐」のさなかで逆上した男性に傷つけられたことがあると思う。みんながみんな、本作の中にいた男性たちのように、きみわるがって帰してくれるとは到底思えない。男はよくも悪くも「男」で、女もよくも悪くも「女」だ。それはもう、最後のシーンにおいても力でキャシーが勝てなかったように、女性が非力であることはもうどうしようもない事実であるのだと思う。
彼女が過去に傷つけられていたとしても(もちろん本作にその描写はないので勝手な私の想像しかないのだが)歩みを止めなかったことに、私は彼女の「怒り」を感じた。
彼女がしていた「復讐」は、泥酔した女を連れて帰りあわよくば性行為をしようと企む男たちへの痛快な批判でしかない。一度でも彼女が男性たちに暴力を振るったことはあったろうか。警察に通報したことはあったろうか。おそらく、アメリカの法律にあかるくはないので憶測でしかないのだが、強姦未遂で男たちを通報することは彼女もできたはずだ。それなのに彼女はそれをしなかった。ただ、痛烈に批判しただけだった。それだけの行為に、私は彼女の重たい「怒り」を感じたのだ。
この「怒り」は現在社会のおいても多くの女性たちが抱いている「怒り」と似通ったものを感じる。
強姦された女性たちが泣き寝入りすることも、精神的・物理的に暴力を振るわれた女性が何もいえずに耐え忍ぶことも、女性であるがゆえに当てはめられる多くの偏見も……。
声をあげていいはずの「怒り」を飲み込んで、何もいえずに生きる女性がどんなに多いことか。同性であったとしても、私ですら知らないことの方が多いと思う。
この作品の良いところはそんなキャシーの「怒り」をとても緻密に描いているところにある。
まずは、最初のシーンからラスト付近まで続く彼女の復讐劇。そして、コーヒーショップで働く彼女の言った「なんでもできるけれどこれをしている」という言葉(詳細は不明なためあくまでもニュアンスで許して欲しい)。ライアンに対する言葉、マディソンへの報復、学長への行動。知的で、それでいて人の道からは外れることができなかった彼女の人間らしさ。理解のない両親(と断言するのも違う気がするが、母親の態度はどうかと思ったし、父親も何か変だなと私は思った)のもとに居続けて友人も、恋人も作ろうしなかった自分への「怒り」が綺麗に残酷に描写されている。幸せになる道を、彼女はあえて選ばなかった。幸せになれる方法なんて、いくらでもあったのに、だ。
ライアンがいい人だったら、きっとハッピーエンドで終わって居たんだろう。キャシーの怒りをすくい上げることがもしもできたら…。と視聴してて、本当に心が痛んだ。
賛否両論あるだろうが、私はラストがとても好きだ。
死ぬことがなければ、という意見はあるだろうし、そこについては否定もしない。前述したように、この物語が幸せになる道はいくらでもあったのだから。
けれど、あえてその道を選ばずにキャシーは復讐を決行した。殺されることを、半ば予想して先回りし続けた彼女はなんとクレバーなことか。
プロミシング・ヤング・ウーマン。将来有望な女性。まさしくだ、と泣けてきてしまった。
罪の意識がない人間に、罪を認めさせることは不可能だ。
自分が間違ったことをしたと思わない人間を裁くことはできない。ニーナが自殺したときに、きっとキャシーはそれを悟ったのだ。
だからこそ、最後まで自分の罪を認めなかったアルたちに「自分を殺させた」のだろう。これで、どんなに彼らが弁明しようと、彼女を殺した事実は変わらない。「これで終わりではない」のだと、かつて罪を認めなかったものたちにキャシーは宣戦布告をしたのだ。
鮮やかで、痛切な彼女の復讐劇は「ニーナ&キャシー」、これにて終幕と至った。
自分を許すことができずにもがき苦しんだキャシーが、ニーナのネックレスをつけて復讐をしたことで、彼女はやっと許すことができたのかもしれない。ニーナを救えなかった時点でキャシーはもう、この結末をわかっていたのかもしれない。
なんにせよ、私は彼女「たち」の「怒り」を体験できて光栄だったと思う。
本作はぜひ、いろんな世代の人々の見てもらいたい作品だった。