「『プロミシング (showing signs of future success)・ヤング・ウーマン』には2つの暗喩があると思う。1つは世間的なサクセス、もうひとつはキャシーの復讐にとってのサクセス…」プロミシング・ヤング・ウーマン もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
『プロミシング (showing signs of future success)・ヤング・ウーマン』には2つの暗喩があると思う。1つは世間的なサクセス、もうひとつはキャシーの復讐にとってのサクセス…
①Juice Newtonの『Angel of the Morning』を劇中歌で使用した映画はこれで2本目(もう一本は『デッドプール』)。この歌の爽やかさが映画の内容の過激さを中和する意図があるのかな?それとも皮肉さを狙っているのか?キャシーが朝帰りの途中で工事現場の男達に下卑た言葉で冷やかされるシーンの背景に『It's raining men』が流れていたのも中々皮肉。②一回観ただけでは面白さが分からないかも知れない。二回、三回と観た方が良いかも。アメリカ映画はブロックバスターとは別に時たまこういうオフビートな映画を作るから面白い(劇中でもキャシーの両親がTVで観ていたのは『狩人の夜』というカルト映画だったし)。アカデミー賞脚本賞を取ったからどうだ、というのではなく脚本が巧い(私の中では、ヴェネチア国際映画祭>ベルリン国際映画祭)>カンヌ国際映画祭>ゴールデングローブ賞>ニューヨーク批評家協会賞>全米批評家協会賞>ボストン批評家協会賞>アカデミー賞、くらいの格付けですから(あとロンドン国際映画祭やモントリオール国際映画祭、サンダンス映画祭等もありますわね。)④キャリーは精神的に不安定だったという台詞(便利な台詞だね)が出てくるけれども、いくら幼なじみで親友の為とはいえ、命までかけるだろうか?やはり、少なくともキャシーの方はニーナに対して恋愛感情はあったと思う。逆はなかったとしても。合わさると「キャシー/ニーナ」になるペンダント(『うる星やつら』ご参照)をずっと持っていたし最後の大芝居の小道具として使ったし。「ニーナは崩れてしまった。アルしか頭になくなってしまった」という台詞があるが、それでニーナが暴行されたパーティーにキャシーが参加しなかった訳もわかるし、アルへの復讐にはニーナに対してやったかこと➕嫉妬もあったのではないだろうか。⑤毎週如何にも酔っ払った股の緩い女の振りをして必ずそういう女をベッドに誘おうとする男を脅す芝居を続けているのもレズビアンでないと出来ないのではないかな。ストレートなら芝居中に感じることも有るだろうし偶々タイプの男だったらどうする?⑦これはスリラー映画というカテゴリーに入れられているようだが、少しもスリリングではなかった。むしろ知的な面白さに満ちた映画のように思う。情報は台詞などで伝えずあくまで設定したシチュエーション・映像で伝える。説明的でないので分からん人は分からんで良いよというスタンスで映画はズンズン進んでいく。⑧劇中でキャシーが大学では如何に優秀な学生だったかという台詞が繰り返し出てくる。本人の夢も医師になることだった。ところが、愛する人が暴行され告訴しても真面目な取り合って貰えず、挙げ句に退学して自殺。そんな大学に居たくはなかったという気持ちは良く分かる。そのpromising young womanが大学の同級生との付き合いもせず友達も作らずしがないカフェの女給となっている。あの時点で彼女は自分の夢とした人生を棄てたのであろう。あとは毎週女の下半身にしか興味のない男にサイコ女の振りをして裁きを下す日々を繰り返していた。⑨70年代に、妹の担任教師にレイプされて勇気を出して裁判に持ち込んだのに過去の男性遍歴等を持ち出されて同意によるSEXという判決で相手の男は無罪となったが、男の魔手が今度は妹に及んだのを知ってライフルを持ち出して(ヘミングウェイの孫娘だけあってライフルを構えた格好が良く似合っていた)男は穴だらけにして(股関も撃ち抜くという徹底ぶり)仕留めるという結末で本作よりも更にすっとする(裁判の結果無罪となるというラストのオマケつき、さすがにこれは映画的な脚色で現実はそういう訳にはいかないでしょう)という『リップスティック』というややキワモノ的映画がありました。ハリウッド映画界に続いて最近では日本映画界でも性的強要の告発がやっと起こり始めましたが(これは女性側にとってとても勇気がいることだ)、本当に「下半身に人格はない」と言うけれど男というものは少しも変わっていませんね。日本のサラリーマンでもお持ち帰りは有りますし(国内では偉いさんだけでしょうが、海外では平社員でもあります)。⑩復讐のターゲットであるアル・モンローはロンドンに居てるしでそういう毎日を過ごしていたキャシーの前に偶々大学の同窓生のライアンが現れ、問わず語りに同窓生の近況を聞くうちにアルがアメリカに帰国していること、近々結婚することを知りムクムクと復讐心が沸き起こる。元々優秀でクレバーなキャシーのことだけに、綿密で周到な復讐計画を立てるのだ(どれだけ周到かはラストでわかる)。⑪と言っても、最終目的はアルであるとはいえ、その前に落とし前を着けなければならない相手が先にいる。どうも男に対する復讐が全面に出ているような見方をされているが、復讐の矛先は同性(女性)にも向けられる。⑫先ずは、同じ女性が暴行(輪姦ではないでしょう)を受けていたにも関わらず援護するのではなくその動画を観て笑っていたという、双子が出来た同窓生へ。泥酔させられた上に暴行されたことによる痛み・苦しみに同性なのに鈍感なこの女性に、泥酔したうえホテルの部屋で目覚めた時に知らない男性がいたことによって引き起こされる不安・恐怖・苦みを味わせて復讐その1完了。⑬続いて大学内の暴行を受けたという被害告訴問題を十把一絡げで処理していたこれも女性の教授へ。他人ではなく自分の娘が同じ目に遭う時に感じる恐怖・苦しみを味わわせて復讐その2完了。⑭次は原告側(暴行を働いた男側)の元弁護士。同じ様な事件で原告の無罪を勝ち取って来た。しかし今はそういう自分の過去の所業を悔いて仕事から身を引いている。キャシーはそんな彼を許す。しかし、自分の復讐計画の仕上げできっちり彼を利用している。⑮ライアンも一丁噛んでいたと知り、好意を持ち始めていただけに少しは悩んだようだが、動き出した復讐作戦はもう止められません。しかし、誰も彼も「若かったんだ!ガキだったんだ!」』という同じステレオタイプの言い訳しか出来ないのに辟易。若い男であればそれで許されると思っているのかしら。男なら許してもらえるかも、という男性社会の持つ意識の歪み。被害者の痛み・苦しみには想い及ばないのか、高学歴者であるのに。頭の良さと人間としての賢さとは全く関係が無いことが丸わかり。⑯そして最後の真打ち(?)アル・モンローへの復讐(間接的にはジョーへ、そしてライアンにも)。キャシーは死んでも良いという覚悟で臨んでいる。片方の手錠を力を入れれば簡単に外せるように繋いでおいたり枕の下で暴れたり(おとなしくしてしまえばアルも力を抜いてしまうだろうから)。ニーナが暴行されているところを撮影した動画や、キャシーの死顔を観客に見せず観客の想像に任せるのは良い選択。観るのもおぞましいという想像を膨らませてくれる。⑰啓発的な部分は確かにあるが、懲罰的な意味合いな映画ではないと思う。男性(特に若い)の性欲には蓋はたてられないし、酒や麻薬でラリった場合は理性など吹っ飛んでしまうし、何より未だに社会には男性有利が色濃く残っている(残念ながら我が日本でも)。従い、残念ながらこの類いの暴行事件は減りこそすれ無くなりはしないと思う。いらゆるジェンダー問題提起やフェミニスト問題提起が効果を示すとは思えず、なにより肝要なのは男性側の自制心の強化・自分の行動が相手に及ぼす心的外傷への理解の進歩を期待するしかないが、男って馬鹿だからね、同性だから良く分かる。社会制度や会社に守って貰わないと弱い動物ですから。⑱キャシーの死体は焼かれ(人の死体を焼く時は発火促進材をまかないと良く焼けないし、実際ひどい臭いがするそうだから、それにしては二人の反応がもひとつだったのが不自然)さて、これで犯罪を隠匿し予定通り結婚式を挙げている最中を見計らかって最後の復讐の花火を打ち上げる。そこで流れるのが①で述べた『Angel mf tke Morning』…🎵Just call me angel of the morning, baby, don't touch my cheers before you leave me…baby, then slowly turn away from me, I won't bother you to stay with me…B・A・B・Y!…Just me call me angel of the morning, angel, then slowly turn away fiom me, D・A・R・L・I・N・G❗🎵…
この歌を背景にアルは結婚式の最中にキャシー殺害の容疑で逮捕され社会的地位も信頼も無くしてしまった(あの動画か証拠にあるので今度は申し開きは多分出来ないでしょう。ジョーやブライアンも含めて)。若気の至りのせいで気の毒になどという同情は全く無用だ、これにてキャシーの復讐計画は時分の命と引き換えに無事完了に完了。”you think this is the end, didn't you ? It is now. Enjoy the wedding! LOVE, Caccie&Nina”
⑲問題意識ガチガチで観るではなく、一本の奇妙に面白い映画として楽しむのが、この映画に対峙する一番良い観方だと思う、キャシーが命を賭けて戦おうとした何か、守ろうとした何かを忘れなければ……⑳キャリー・マリガンはアップになると老け(化粧負け?)が目立つが、女優としては一皮剥けたと思う。お母さん役をはじめ知らない役者さんばかりだったがお父さん役はクランシー・ブラウンだったんですね。すっかり良い爺さんになっちゃて、懐かし。