「心を殺された側の叫びは伝わらない」プロミシング・ヤング・ウーマン さやさんの映画レビュー(感想・評価)
心を殺された側の叫びは伝わらない
キャシーにとってニーナは大切な友人であると同時に、その生き方や人格を心底尊敬している人物だったんですよね。そのニーナがレイプされ集団で見せ物にされて笑われて、訴えても弁護士に印象操作され言いくるめられ、その後(おそらく心を病んで)死に至ってしまった。
序盤のキャシーは明確な相手に復讐しているのではなく、適当に声をかけてくる男を泥酔したフリで騙していますが、ニーナと一緒に心を殺されて投げやりに生きている状態に見えました。
そこにかつてのニーナを傷つけた人間達が幸せに生きている様子を目の当たりにして、復讐劇が始まる訳ですが。キャシーからすれば復讐成功のハッピーエンドだったんだと思います。あのあと生きていたとしても、ニーナを殺された怒りや悲しみが消えることはなかったでしょう。
この映画で一番怖かったのは、弁護士以外誰も自分の過ちを悔やむ様子がないところです。特にライアンが逆ギレした様子すら見せるのには「もうやめてくれ...」という気持ちになりました。お願いだから傍観者として人の尊厳を傷つけ心を殺した一因になってしまったと後悔してくれ、と。
そしてエンドロール後、途中で少し席を立っていた正面の男性が連れの女性に「この映画ならいいかなと思って途中トイレ行っちゃった」と笑いながら言っていました。ああ、この映画に出てきた「後悔しない側」の人達と分かり合えることは一生ないんだろうなと思いました。