「もうええわ」茜色に焼かれる pekeさんの映画レビュー(感想・評価)
もうええわ
ほんとうにつまらない映画だった。
大変な時間の無駄でした。
途中からげんなりして、「もうええわ」と、よほど退場しようかと思った。わりと観客が入っていたこともあり、ほかの人に遠慮して最後まで観ることになったけれど、やっぱり途中で席を立ったほうがよかったようです。
現代に生きる庶民なら多かれ少なかれ、社会の理不尽さを感じ、様々な苦労を味わっているはずです。
映画は日頃の憂さを晴らし、夢の世界に遊ぶものではないのか? 現実生活で嫌な思いをし、映画でもまた不愉快な思いをしなければならないのか? 何故お金を払ってまでこんな気分の悪いことに付き合わされなければならないのか? などと、そんな思いが頭に浮かび、ため息を連発しながらスクリーンを眺めていました。
いや、いくら不幸や苦労や奮闘を描いていても、感動的であればかまわないのですよ。でも僕は全然感動しなかった。感動もしなければ、「よく出来たストーリーだな」と感心もしなかった。不幸を寄せ集めたスクラップ・ブックを、ただダラダラと見せられるようで心底うんざりした。
たしかに尾野まっちゃんの演技は相変わらず素晴らしかった。そこは文句なしです。けれど、ストーリーには、まったく感動しなかった。僕には、この映画のどこが良いのかさっぱりわかりません。監督の思いつきで作った不幸話をつなぎ合わせただけのような、お粗末なこの物語に、僕の心の琴線は1ミリたりとも震えなかった。
ストーリー展開の上で文句を言いたいところも多いので書いておきます。
一番「?」と疑問に思ったのは、終盤、紅い服を着た良子が包丁を持って復讐に行く場面。てっきり公営住宅の自宅を放火した生徒たちのところに行くのだと思ったら、あれあれ、あの同級生の男(熊木)のところへ行くのんかい? あの男を殴る前に、その怒りの矛先を、まず放火した生徒たちに向けるのが普通ではないのか。だいいち、良子も計算した上であの男に近づいたのではないか。そこに風俗店のマネージャーも加勢して……。自分だって女を食い物にしているのに、よく正義の味方ヅラしてそんなことできるなぁ。同級生もえらい災難だ。それから、自宅が火災にあった責任のすべては放火した生徒たちにあるはずで、どう考えても公営住宅の管理者側が良子たちを退去させたりはできないはずである。
順番が多少前後するかもしれないけれど、平気な顔して親子で盗難自転車に乗ってるところも大いに気になった。なんかなぁ~。それでええのんか?
前半に出てくる「まあ頑張りましょ」というセリフも、何度も繰り返されるとわざとらしくて、「さむっ!」と思わず体を震わせました。
あと、このような作品によって、自動車事故の加害者家族の印象が操作され、当事者たちが苦しめられることにならないか。このような作品が、公的扶助を本当に必要としている人々をさらに躊躇させることにならないか、現在公的扶助を受けている人々に対する偏見を助長させたりしないか……そういった点もちょっと気になりました。
上映後ほどなくして、「いやいや、これは、おれの大嫌いな『湯を沸かすほどの熱い愛』とテイストが似ているぞ」とイヤな予感がしたのですが、その予感が見事に的中してしまいました。ひょっとして、これは『湯を沸かすほどの――』の続編なのかと想像してしまった。銭湯を営むオダギリジョーが、失踪していたその間に、良子と不倫関係になり、純平が生まれ、その後、交通事故に遭ったのではないか――と。そうやって、この映画を観ても全然違和感ないですよ😆
そうか、どうやらオダギリ ジョーは僕にとって鬼門らしい。今後、オダギリ ジョーが出ている映画は観ないでおこう。「熱い」とか「焼かれる」とかいうタイトルにもじゅうぶん注意しよう。この手の「熱血かあちゃん、親子もの」は、もうほんまに勘弁してほしいわ。
そんなわけで、「ただただ、ため息ばかり」という映画でした。
尾野真千子のファンなだけに、残念であった。