「群像劇の難しさと咀嚼を経た余韻」エッシャー通りの赤いポスト 昭和ヒヨコッコ砲さんの映画レビュー(感想・評価)
群像劇の難しさと咀嚼を経た余韻
群像劇は難しい。
登場人物が多くなり、それぞれの人物紹介や背景説明と続くのだからキャラクターの数だけ時間が取られる。
更にこのキャラクターのことは何となくわかった!となった次の瞬間には別のキャラクターにカメラが移るので感情曲線はその都度0に戻る。
だから50人以上を主役と言ってのけるこの作品の半分以上はかなり低い水準で感情や興味がくすぶり続ける。
そうして訪れる全てのキャラクターが一同に会するシーン。
メインキャラクターである小林監督の目の前にずっとあったけど気にかけていなかった赤いポスト(ターニングポイントのメタファー)が現れてから一気にクライマックスに移行する。
それまでの低めを維持していた感情線が一気に引き上げられる。
視聴者が抱く「映画へのくすぶり」が「登場人物たちの現状を変えたいという淡い希望」とリンクして、クライマックスの目の覚める疾走にシンクロしていく。
正直、話を理解するのは簡単だがテーマを理解するのがとにかく難しい。
良く言えば感情を溢れさせた、悪く言えば感情を垂れ流した演技と演出からストーリーを汲み取ることは出来ても描かれているものは少ないので好き嫌いは大きく分かれる。
全てを見終わって答え合わせをしてようやくこの映画が園子温監督から遠慮がちな若者へ向けた挑発であり鼓舞でもある作品なのだと私は解釈した。
単に視聴するのではなく、作品の背景を把握したり想像したり、監督の特性を理解していることが前提になっている面が大いにあるので観る人を選ぶというのはその通りかと。
コメントする