秘密の森の、その向こうのレビュー・感想・評価
全78件中、1~20件目を表示
セリーヌ・シアマの精緻な演出がさらに進化。
前作『燃ゆる女の肖像』に続いて、セリーヌ・シアマはほとんど完璧な映画を作ってきた。しかも今回はさらにミニマリズムを極め、時空を超えて母と娘が出会うというSF的な設定を、非常にシンプルな子ども映画という枠に落とし込んでいる。もはや精緻な一筆書き、といった印象すらある。
主演している双子の少女たちの存在感も素晴らしい。ただ、ふたりでパンケーキを作るシーンなど、完全に素が見える演出は、自分としてはいただけないというか、もちろんとびきり可愛らしいシーンではあるのだが、そこは声のトーンも違っていて、そもそも2人の演技が達者なだけに、現実に引き戻される気がしてしまうのだ。
とはいえセリーヌ・シアマ監督がそんなことをわかってないわけもなく、祖母、母、孫といくつものレイヤーが重なっていくような本作に、もうひとつメタなレイヤーを重ねているのかも知れないとも思う。原題の「プチ・ママン」が出るタイミングとそのときに映っている人物や、劇中劇の内容のことを思うと、シンプルなようでいていちいち深い意味が込められているもわかる。また数年後に思い返したり、観直したりすることで、違う視点が得られるような気もするので、いつか試してみたい。
シアマ監督がいざなう森の深淵に感動が込み上げた
たった73分。それは通常の作品に比べると少し短い映画体験かもしれないが、しかし言うまでもなく、重要なのは長さではなく質だ。この映画には冒頭から心を繊細に包み込むかのごとき柔らかで優しい触感があふれ、ふと気づくととめどなく涙がこぼれてしまうほどの情感がそこかしこに。人生とは出会いと別れ。8歳の少女ネリーは亡くなった祖母に「さようなら」が言えなかったことを悔いている。その母マリオンもまた、実母を失ったことで心が張り裂けそうな悲しみを抱えている。やがて一つの不思議な「森」を介して起こる出来事を一言で表すなら、それはマジックリアリズムと言えるのかもしれない。そして『燃ゆる女の肖像』同様、シアマ監督はヒロインたちの視線をじっくりと印象深く映し出し、かつて感じたことのない深い”気づき”と”つながり”を浮かび上がらせていく。その手腕に恐れ入った。映画の持つ無限の可能性を噛みしめずにいられなくなる逸品だ。
女性同士の愛と連帯を描いてきたセリーヌ・シアマ監督が、“娘と母の絆”の可能性を広げた
セリーヌ・シアマ監督はアデル・エネルを起用した「水の中のつぼみ」「燃ゆる女の肖像」の2作で、内省的な女性主人公が、華やかだが孤独なヒロインに恋慕し、感情をぶつけ合いながらも連帯感をはぐくんでいくストーリーを描いてきた(シアマとエネルはプライベートで長年のパートナーでもあった)。
新作の「秘密の森の、その向こう」が前述の2作のテーマにどこか呼応しているのは、主人公ネリーと瓜二つの少女マリオン(双子の姉妹が演じている)が並んで写るキービジュアルからもうかがい知れるが、それだけではない。シアマ監督にしては珍しくファンタジックな設定を採用することで、娘と母の関係、その年齢差にとらわれない新しい絆のありように挑み、繊細な手つきで鮮やかに提示してみせた。
最後まで観終わると、ある事実を知っていた人物の途中の表情や台詞はどうだっただろうか、と見返したくなるタイプの作品。事前情報をなるべく入れず、ネタバレを回避して鑑賞していただきたい佳作だ。
「燃ゆる女の肖像」とは打って変わった、双子のサイコファンタジー
「燃ゆる女の肖像」でカンヌ映画祭の脚本賞を受賞したセリーヌ・シアマ監督の新作。今回も、自ら脚本を書き下ろしたオリジナル作品です。
「燃ゆる女の肖像」とは打って変わって、今作はとてもローバジェット。ワンロケーションで、主要な登場人物もたった5人。しかし、その5人の中に少女の双子が混じっていて、この双子の設定がとても秀逸なんです。一人二役かと思うほど二人は似ていて、しかも他人という設定。そしてキューブリックの「シャイニング」を思い出すまでもなく、双子の少女はちょっと不気味でもあります。
「ダークファンタジー」というか、「サイコファンタジー」という感じの小品。上映時間73分ですが、けっこうな余韻が残ります。見終わって、すぐにもう一度見直したくなりました。いろいろ確認するために。
プレーンパンケーキ
何も載ってないパンケーキ的な美味しさだった。
時々メープルかかってないパンケーキ食べたいときない?
シンプル過ぎて語るとこあんまりないんだけど、あらすじ全く見てなかったから、「"あのこ"がそうなんだ!」って普通に驚いた。
なんか似てるし姉妹とかかな、いなくなった母親の隠し子かな?間取り似てるのは予算削減かな?って思ってた。
音響しっかり作り込んでて世界に浸れたのはグッド。心地よかったし、二人の世界に没入できて癒された。
アパートの汚い部屋で森林浴できた。
何かテーマと物語と映画が上手くリンクしてない感がある。主人公の心情的に重要なシーンとそうでもないシーンが描き分けられていない。でも、それを描き分けると湿っぽくなっちゃう。
どうしたものか……
個人的にはこれくらいあっさりしてるほうがストレスなく観れて好き。
リアルな人物に共感しても辛くなるだけだし。距離ある方が好きなだけ近寄れるし、好きなだけ遠ざけられる。
優しさがジワジワくる作品
ほとんどが家の中と森の中だけの珍しい作品でした
あまり音もなく、登場人物もほんと少なく、ストーリーの起伏もなく、でも退屈せず観れました
ネリーが後部座席から運転席のママにお菓子やジュースをあげるシーンがとっても微笑ましくて大好きなシーンです
可愛いというよりきれいな双子ちゃん、ストーリーの中でも演技をする2人が上手すぎました
はしゃぎながらクレープを作ったりスープを飲みながらふざけたり、そういう子供ぽさは可愛くて
あの頃ってちょっとした事を本気で楽しめる年で、もうあんな時の自分に戻れない事がなぜか寂しくなったりしてます
私もネリーみたいに子供の時の母に会って友達になりたいと思いました
余韻も心地よく、優しい気持ちになれる作品でとっても良かったです
いつの間にか惹き込まれていた
この監督さんに関しても、作品に関してもなんの前情報もなく見たので衝撃的な作品でした。
フランス映画は大好きなので好き嫌いなく機会があれば見ます。
この作品はまるで絵本から飛び出したようなとても綺麗な作品だった。
内容も祖母、母、娘と3代に渡る心の通わせ方、お互いの接し方を丁寧に描いてて面白かった、
最近のSFみたいな、どこかを区切りに過去と現在、未来だ〜って視聴者側に決定的に見て分かる一線はなく、森を2人の少女が走り抜けて過去と現在を行き来するのはこの監督さんの世界観なんでしょうか。
家の前や中など決して変わらないカメラアングルが安定してて落ち着いていて、
余計な情報は入れない、最低限といった感じで、邪魔にならずスラスラ見れました。
一度見終わって、じゃぁ次にこの人の視点になってもう一度、と思える作品。
時間の許す限り数回見させていただきました。
ネリーはきっと最初から一目みて、名前を聞いた瞬間から母だって分かっていたけど、変に甘えることなく、対等にマリオンと接しているところがフランスらしいなと感じた。
また機会があったらこの監督さんの作品をいくつか見たいです。
宝箱に落とし込んだよう
さらりとしていて深い
大切な1本
雰囲気メイン
ファンタジー要素が霞むリアリティ
きれいな映像のもと終始まったりと…
全く知らない作品だったが、フランスものだし何となく好み系に感じ鑑賞。
冒頭の雰囲気はバッチリ期待通り。特にタイトルテロップの入り方はイケていて、名シーンと言っても過言ではないほどのできだ。
その流れで期待値マックスになったところからの、ラストまでまさかの鬼まったり感。本作上映時間72分が「タイタニック」よりも長く感じてしまったぞ。
確かに2人の女の子ちゃん達はとても可愛くほのぼのできたが、夢か現かよくわからんまま進む淡々とした展開に、危うく何度も寝落ちしそうになった。
本作はどちらかというと女性向け作品なのか、男性としては共感箇所求めて瞑想…もとい迷走しっぱなしだった(笑)
全体を通して個人的には正直期待外れと言わざるを得ないが、既述のオープニング以外にもラストシーンの母娘の掛け合いはふいに良い。なんだかんだ良い余韻が残り、ほっこりできる作品ではあった。
詩的で美しい情景。可愛らしい2人の少女。
心が癒されます。
祖母から母そして孫。3代の女たち。
「祖母の死」
後悔と喪失感。
8歳の孫のネリーはおばあちゃんが大好きだった。
祖母の家を後片付けに行く。
その森で秘密基地を作っているマリオンに出会う。
(2人の少女は双子らしい、そっくり!!)
そしてマリオンの家に招かれたネリーは、杖をつくマリオンの母親。
おばあちゃんの家と間取りの全く同じマリオンの家。
ネリーはマリオンに告げる。
「私はあなたの子供なの」
ありそうでなかった設定です。
セリーヌ・シアマ監督はインタビューでこう言っています。
アイデアに詰まったとき、
「宮崎駿ならどうする?」
だから宮崎駿の世界観の影響を受けて作られているとの事です。
祖母の死を乗り越える母と娘の物語。
喪失から再生のファンタジー!!
タイムスリップ
亡くなったおばあちゃんの家の片付けにきたネリーの家族。ネリーはママから聞いた森の中での話を探りに森へ1人で遊びに行く。
そこで出会った女の子と友達になるが、その子の名前はマリオン。え?雨が降ってきてそのマリオンの家に行くと、なんとおばあちゃんの家。え?マリオンはネリーのママ。
不思議な出来事をネリーなりに理解して幼いマママリオンとの遊びを数日楽しむ。
現実に戻り、おばあちゃんの家に帰ったネリーはパパにはそのことを話さない。理解してもらえないと思っているのか?最後の日に出かけていたママが戻っていた時、ネリーはママに話したんだろうか?ママは記憶の中に、幼い頃、森でネリーという女の子と遊んだ事を覚えているのかなあ。
心温まるメルヘン。自分の母、もしくは自分の娘とこんな経験ができたらなんか嬉しいなあ。してみたいよ。
ごっことささやき
オタキング氏の発言だが「映画は面白いかどうかを見るものであって、これをわかるかどうかって言い出すとアート系になっちゃうんですね。で、わかるかどうかで言い出すとすっごい作り手は楽なんですよ。」というのがある。
これは園子温を語る回から出てきたもので、それはわたしのような園子温大嫌い包囲網にいる人間にとっては頷き筋肉痛が発生するほど禿同な神回になっているのでぜひご覧いただきたいがアート系でも優れたアート系には面白いという見地がある。だから氏は園映画を“頭の悪い人が好きなアート系”と定義したわけなのだった。
──
映画を見て「わかる」から評価を高くする──ことはしたくない。
「わかる」から高評価すると、つまんなくても支持することになり、じぶんの気持ちにあざむくことになってしまいかねない。から。
とはいえPros側に「面白い」と「わかる」しかないのは不便だ。
アート映画には「興味深い」という見地があると思う。
園子温とセリーヌ・シアマを比べたとき、その引き出しのちがいは、中学生が見てもわかる。
情報量や含蓄や着眼点や隠喩や多様性、バランスと達識と経験値と、それら無形のものが画に込められて「興味深い」という捉え方ができると思う。
その点セリーヌ・シアマ監督の映画は興味深い。なんとなくベルイマンぽい感じもある。イルディコー・エニェディというハンガリーの監督の心と体とという映画があったけれど空気感が似ていると思う。前作燃ゆる女の肖像を興味深く見たが、それは面白く見たと同義だと思う。退屈しなかったんだから。・・・。
このアート系を巡る考えの緩衝地帯にいるのが、例えばウェス・アンダーソンだ。
フレンチ・ディスパッチどうでしたか?俺は面白くはなかったぞ。だけど興味深かったかな。でもあざとかったな。だけど頭の良さはわかりすぎるほどわかった。アンダーソンがやった散文と園子温がプリズナーズ・オブ・ゴーストランドでやった散文なんて比べようがない。だけど業界のウェス・アンダーソンわかってますオーラは好きじゃないな。ムーンライズ・キングダムが一番いいな。・・・。
映画を「興味深い」と、捉えたとき好き(好ましい)という立脚点が加わらなければならない。と思う。
「興味深い」だけだと弱いからだ。例えるならカンヌの「ある視点」。あるいはリューベン・オストルンドやミシェル・フランコみたいな。「興味深い」だけの映画はアート映画というより実験映画に区分される。ような気がする
ウェスアンダーソンはまちがいなく興味深い。だが好きかどうかは人それぞれ。だけどムーンライズは好きだった。──という考察において、ウェスアンダーソン評価がアート系映画を巡る各人の考察のバロメータになろうかと思う。
セリーヌシアマには明らかな好ましさがある。燃ゆる女の肖像はいうに及ばずこれも少女時代の多感をファンタジー風につづっている。なんらかの「ごっこ」によって形成期の心象が語られる。抽象的だが興味深く、好ましかった。
ビクトルエリセのミツバチのささやき(1973)という名画をご存知だろうか。すこし大げさに言うとあれを彷彿とさせた。
全78件中、1~20件目を表示