Arc アークのレビュー・感想・評価
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不老不死
もし、不老不死になれたら、なったとしたら、どうなるのだろう。
映画の最後の方に描かれたように、若い人は無条件に不老不死を選択する一方、一定程度年齢がいった人は、限りある命を選択するのだろうな、と思いました。
何か、小学生は「夏休みが一生続けば良いのに」と思う一方、大人が「一生続くと何もしなくなる上、ありがたみも忘れる」ということを悟っているように感じました。
メインのテーマには考えさせられるところがありましたが、「オープニングのあの踊りは何?」「父親は誰?」などと、理解が出来ない面もありました。
なお、芳根京子が、松岡茉優やベッキーに見えたりしました(私だけ??)
芳根京子に盛大な拍手
全体を通して言えることは、キャスティングの良さと、俳優の皆様の演技力だった。演技はで知られる芳根京子さんは今回も素晴らしい位の熱演だったと思う。特に、今作ではさまざまな年代の役を演じられていることもあり、相変わらずの演技力に息を飲んだ。
問題としては脚本であると思う。無駄な部分がおおく、ただダラダラと長いような気がしてしまった。永遠の命に対する反発に関しての、登場の短さ、それを多くの記者からの罵倒で養っているような気がして安っぽく感じた。やはりデモ的な要素は民衆の声として必要なものなのではないかと感じた。
また、終盤の小林薫さんと風吹ジュンさんの掛け合い脚本、演出に関しては良かったのではないかと思う。私は20代で1人ではあるが、あの二人のような歳の取り方をしてみたいものだと思った。
いやあ、ことごとくはまらなかった。芳根さん、ごめん。
直前に原作を読んでから観に行ったのが、明らかに裏目に出ちゃった。ことごとくはまらなかったあ。少しネタバレしていると思いますので、まだ観ていない人は、以降お気を付けください。
-------------------- 以降、多少ネタバレあるかも・ご注意願います --------------------
原作を読んだ自分の印象は、「乾いた調子で淡々と描かれる、それでいてテーマは壮大なSF」 だったが、映画はウェット、抒情的で芸術的な文芸作品といったテイストに感じた。そこが自分にはまらなかった理由のひとつだと思う。
原作と映画は別々の作品だということは、もちろんわかっているつもりだが、「原作のプロットだけ借りた映画」 とすら思った。自分が感じた "原作が伝えていること" と、"映画が伝えていること" は似て非なるというか、自分の感覚では正反対に近いと感じたから。原作「技術の進歩によって永遠の命という選択肢も選べるようになった人間、という環境で人間はどんな選択をするのか」という話かと思う。だからタイトルは「(終わりのない)円がよいのか、(初めと終わりのある)円弧がよいのか」 という意味合いから「アーク(円弧)」なのだと思う。一方、映画は、そもそも人間が命を扱うことへの潜在的な抵抗があって、終わりのない円 を否定しているように思う。それを嫌い過ぎた結果、全体が「無限の生に反対するキャンペーン」みたいになっちゃって、限りなく薄っぺらい映画になってしまったように思います。かなり残念。
例えばエマと天音を対立構図で描いている点は、原作を読んでから観た俺には気になった。原作の天音は、あくまでエマの延長線上にいる。天音はその手段を実現させ、エマはその手段を用いない、という違いはあるが、「その手段は必要」ということは二人の共通する意思であり、その上で、「でも私は使わない=私はそれを選択しない」というエマの自由意思が描かれていたように思う)。
この映画は、二人の対立構図を、映像面で、暗くて見にくい画面、不穏な雰囲気で表しているのだと俺は感じ、それはそれでうまいと思う。しかし、そもそも俺は(原作に共感したので)対立構図で観ていない。なので、はまらないのは当たり前かもしれない。やはり観た俺の失敗だろう。
船に乗れた人、乗れなかった人の対比。乗れなかった人を描くための、天音の島の長い描写。フミさんとリヒトの長い描写。フミさんの存在意義はなんだったのだろう。なんか悪い意味での日本映画的なものを感じた。
この技術の破綻をクローズアップする終盤。やはり自分の感じた原作の雰囲気とだいぶ違う。グロテスクとか倒錯といった言葉まで自分の頭の中には浮かんできた。言いすぎだけど、浮かんだんだからしょうがない。そう、この映画では、描かれている技術に対する「(生理的な)否定であり拒否」 が見事に表現されていることが、俺にはハマらなかった根底だと思う。
原作は、この技術で拓けた世界においても人間は自由意思で「選択」するという人間の奥深さを描いていたと、自分は感じたので。
ラストの銀塩写真と言い、ちょっと 「古いもの、従来の考え方へのノスタルジー」 が色濃く漂いすぎて、観念的すぎると思った自分でした。
原作にあるとおり「(終わりのない)円ではなく、(初めと終わりのある)円弧」 というのが、タイトルの意味。だが、それは決して 「円より円弧の方がよい」 という意味ではなく、円がありえる世界でも円弧を選ぶ人もいて、そしてその価値もたしかにある、という意味だと、俺は今でも思っている。そしてこの話は、人類初めて "円" を歩み始めた主人公、そして途中で "円弧"を選び直した主人公の話なのだと思う。
いやあ、芳根さんを観に行くだけのつもりだったのだが、事前に読んだ原作がとても面白かったので、つい、熱くなってしまいました。お恥ずかしい。そして、芳根さん、ごめんね。演技はとても上手でした。その点は堪能させてもらいました。さすが芳根さん。「わさび」以来のファンです。
50歳以降、135歳の手前までモノクロという工夫も、"この映画が伝えたかったこと" とはちゃんと対応していて、上手だと思います。
センスがある!
タイトルなし(ネタバレ)
はじめの演出でグッと引き込まれた。
ダンサーの仕草や表情、続く芳根京子の仕草と表情。
何で足元に砂?って思ったけど、最後も砂浜のシーンだったから、リンクしてたのかなぁ。あんまりよくわからなかったけど、、
そこからしばらく、とにかく絵がキレイだし、雰囲気が好きだな〜って思いながら見てた。
動きを固定するとこの寺島しのぶの動きかっこよかったなぁ
で、後半。
画面に映る平均年齢がグッと上がるしモノクロだしでどうしても華やかさに欠けてしまうし、ゆったりするんだけど
名だたる名優たちの演技でまた違った良い時間。
しかもいろんな繋がりがわかってきたり、見た目年齢と役の実年齢があべこべなので頭の中が忙しいのでそこまで退屈はしない(とはいえもう少し短くてよかったかも)
30歳で薬打って70歳くらいで長生きやっぱしなくていいやーって薬やめたら急に老け込むのかな?
長生きはしたくないけど若い時間が増えるのはいいなー
覚書として
私自身、いいことも悪いことも忘れるからこそ、遅かれ早かれ人は死ぬからこそ、だからこそ生きていけると思ってるので不老不死を願う人がいること自体信じられないのですが。
さて果たしてそうなった世界はどうなるんだろうと観てみたら、出生率の低下、自殺者の増加などなど、なるほど。
コンテンポラリーな作品ですが、掘り下げがうまくて飲み込みやすく分かりやすいです。
日本での、香川県の島々での撮影だそうで、個人的に馴染み深い瀬戸内の海の色が画面いっぱい広がってるのに、画面の色は硬質で日本じゃないみたい。
途中モノクロにもなりますが、濃淡が美しい。
色や光の美しい映像です。
さようならメロス
「風吹ジュン」「小林薫」「寺島しのぶ」そしてラストカットの「倍賞千恵子」。方々の醸し出す匂いで集中をギリギリ保てた。方々を感じる為にだけでも足を運ぶ理由になり得るかな。
ネタは好みだし、原作に興味がモリモリ涌いてはきたけれども、要所要所がピンと来なかった。画面は好きなんだけれども、演出なのかなぁ…。芳根さんも勿論頑張ってはいるのだけれども、時間を感じないと言えばいいのかわからないけれども、60年という時間から来る達観さが皆無過ぎて、そこだけが残念。しかもそれが終盤の非常に重要な要素だっただけに。
芳根さんは、やさぐれてる時の口紅付けるシーンが凄く良かった。個人的にはそれこそピンと来ない方だったけれども、このシーンの瞬間にピンときましたね、すんません(苦笑)。
諸々だらだらと書き連ねましたが、〆に言いたい事はただひとつ。「ハルちゃんハンパねぇ!」です。ナチュラルボーンキラーでした(意味不明)。
いい?生きることの対極にあるのは死ではないのよ。生きることの中に死がある。
不老不死。遠くは始皇帝も固執した、永遠の命。弘法大師だって望んだことだ。その技術が、科学的に可能となった世界の話。ただし、その数だか資格だかには制限がある。それでも全員が希望するわけでもなく、しない(そのまま老いて死んでいく)という選択もある。おやおや、ちょうど今のワクチン接種の現状に似ていなくもない。
人類が永遠の命を手にした時、それが科学的にも宗教的にも受け入れられた時、それは人類にとって進化なのだろうか?
・プラスチック片に封入された昆虫標本の置物。
・万年生きるという亀の死と、亀を弔う、変わらぬ姿のまま生き続ける人間。
・見た目年齢が混乱している、母と兄と妹と兄嫁の四人の家族写真。
・モノクロの画面が、過去ではなく未来。
・薄っぺらくない、フミの「生まれ変わったら、私のこと見つけてね」というセリフ。
ほかにもいくつものアンチテーゼが潜んでいる。
たぶん人生の選択をしたリナの脳裏には、エマの「自由に行きなさい。罠にかからないように。」という言葉が浮かび上がったのではないだろうか。そして、自分の人生に確信を持てたからこそ、虚空を強く握りしめたのだろう。
そしてこれは自分の好みの問題なのだが、どうも芳根の演技が苦手だ。時に、セリフ回しが早口なること、時に、間を外すように大きく息継ぎをすること、何かに迎合するような卑屈そうな笑顔を見せること。このキャスティングで、減点0.5
芳根京子の演技がずば抜けているが
これはSF?
意味不明なストーリーが延々と続く。
前半と後半でストーリーは分断され、後半はなぜかモノクロ映像になる。
建物や設備は昭和に戻ったかのように前近代的だが、テーマは不老不死の医療技術が開発されるというSF的な内容だ。
“空想的ストーリーが延々と続く。そのような未来は決してやってこないと思われるが、緩慢にストーリーは続いていく。
話はオチに向かい、意味不明なカットとセリフは、さらに積み重ねられていく。
100年を2時間で描く。実際には2時間だが、居眠りしていても時間は進まない。
結論は、生き続けることが幸福ではなく、死もまた、人間にとっての幸福ということなのだろうか。
まわりの人が死に絶えた後に、生き続けるのは辛いことなのかもしれない。
原作は読んでいない。描かれている世界観もよくわからない。
見ているうちに、自分が浦島太郎になってしまいそうな気分になった。
石川監督の「蜂蜜と遠雷」はシナリオ、キャスティングとも素晴らしかったですが、このSF作品はちょっと評価しづらいですね。
次回作に期待しましょう!
テーマも設定も興味深いものだったのですが、、、
見所は多いが、中途半端
原作未読。
がっつりSFというのではなく、レトロフューチャー的。「わたしを離さないで」や「リトルジョー」「ビバリウム」みたいなのを狙ってたのかな。
雰囲気のある画面と静かな音楽。前半は死体を新しい剥製?にする会社の話で、結構エグいシーンも。
前半はカメラのせいか、画面が暗くて荒い(邦画でよく見る)。奥行きもあまりなくて、せっかくの雰囲気のある建物も安っぽく見えるのがもったいない。しかし、モノクロのシーンは美しい。全編モノクロで良かったのに
その会社の代表エマ(寺島しのぶ)が引退し、跡を継いだ弟アマネ(岡田将生)はずっと不老不死の技術を研究開発していたが、ついに実用化される。老化しない人と今まで通りの人に世界は二分される。
こういうスパンの長いストーリーは話を進めるだけで手一杯になりがちだが、この作品も登場人物それぞれの葛藤を描くことはなくただただ流れていく(とはいえ、寺島しのぶは、死体を物と言いながら、自分のパートナーには執着し思い通りにならないアンビバレンツを短いシーンで表現してる)
ヒロインに関しても十分描かれているとは言えず、ただ周りの人に引っ張られて流されるだけに見える。
昔産み捨てた我が子との再会も、夫に「その子の名前も知らない」と言ってたのに、実は自分の両親が育てていたらしいことが示唆され(じゃ、知らない訳なかったんじゃ…)と見ててずっこける。だから、捨てた子に対する後悔とか執着とかもなかったのでは?と思ってしまうのだ。ヒロインにとって「生きる意味」ってなんなんだ?
なにより、不老不死の処置を受けたら「死ねなくなる」のかと思ってたのに、老いることも死ぬことも選べたのか!と。だったらあえてその処置を受けないことの意味が軽くなっちゃうよなあ。
生と死の意味についてがテーマだったのかもしれないけど、消化しきれなかったという印象。
セピア色の世界
長編映画にする意味がないなら無理しなくても
序盤が面白くないの。
2シーン目ぐらいで主人公が海辺にいて、少しザラツイた感じの映像で、カメラも少し揺れるのね。「主人公の心象表現なんだな」と思うんだけど、陳腐な感じがして「この映画つまらなそうだな」と思っちゃうの。
それから退廃的な盛り場みたいなところで、「どうして退廃的な盛り場では前衛的なダンスが行われるんだろう」っていうステレオタイプがくるのね。寺山修司の頃の演劇っぽい。
そこで芳根京子が才能を発揮して寺島しのぶに認められるんだけど「え、それで認められんの?」っていう良く解らないダンス。
それでボディ=ワークス社に入ってプラスティネーションやることになるんだけど、主人公が死体に接する様子とかなんか訳分からない描写が入ってくるのね。
あと建物も服装も1960-70年代で統一してるんだけど意味あんのかな。香川県が協力だから、ロケ地が香川県庁舎なんだよね。前の東京五輪のころ活躍した丹下健三建築。この一点で、前衛的なダンスも含めて、時代感を1960-70年代にした気もするんだけど、効果ない気がしたな。
それで寺島しのぶが死体にポーズをつけると『天才だ!』って感じになってるんだけど、ただ下むいてた顔を上に向けて、手をさしのばしただけだからね。無理あるよ。
そのうち寺島しのぶが死んで、物語が次のフェーズに進むんだけど、そこまでが面白くないのね。それで映画に対する興味が完全に消えちゃうの。「早く終わらないかな、この映画」って感じで義務感で観ちゃうのね。寺島しのぶパートは回想形式でも良かったのに。
しかも、そこまでして描いた寺島しのぶパートが後半に効くかというと、ほぼ効かなくて、なんなら寺島しのぶパートなくて映画は成立するの。なくした方がいいよ、絶対。尺の問題あるだろうけど。
でも、寺島しのぶに出演してもらって、そのパートを全カットするって無理だから、編集段階で気付いてもできなかったろうな。
その後は「不老不死になったら人間はどうなるか?」っていうテーマで、だいたい想定の範囲内で話は終わり。
プラスティネーションで死体を永久保存にすることによる永遠と、不老不死を手にしたことによる永遠でなんか対比があるんだろうと思ったら、特になかったの。
50頁程度の短編作品を2時間の映画にするっていう大変さに挑んだ石川慶監督に敬意は払うし、時系列いじらずに順番に語る構成にしたのもある意味すごいと思ったな。
でも、そういうの抜いて作品として観ると、序盤のもたつきで後半が活きなかったかな。
映像とキャストは魅力的だが…
映像の見せ方や芳根京子の演技(特に表情)は、非常に魅力的。
他のキャストも演技達者な人が多く、ポイント2点。
しかし、話の展開が唐突で、説得力がなさ過ぎる。
なぜリナが子どもや故郷を捨てて流離う踊り子になったのか、
プラスティネーションの道に入るに至った動機も含めてわからない。
この部分が描かれていないので、息子との再会や最後の選択が生きていない。
さらに不老不死の技術が完成してからの未来の描き方も雑だ。
脚本のお粗末さで、せっかくの映像美が台無しの作品になったと思う。
未来に見えない
芳根京子が好演していて、観応えはありました。
生死をテーマとすることで、人はどう生きるかに焦点が当たる作りは、哲学的でさえあります。
ただ一つ不満があって、今より少し未来の世を生きる17歳の少女が、そこから1世紀超の間を過ごすにしては、背景となる街と建物、服に車や船、カメラや電話などのガジェットまで、時代が変わっていったように見えないのですね。
ずっと2015~2020年くらいの文化水準に思えちゃう。
その辺、同じ時期公開の『夏への扉』がなんとなくであっても処理できていたのと対象的で、本作は雑でした。
主人公のいる空間、そのそばだけというので処理しようとしてたみたいですが、これって映画向きの素材ではなかったんじゃないかと。
原作の小説という表現以外だったら、おそらく舞台演劇なら可能だったかもと。
それでも映画にしたいのであれば、ハリウッドなど十分にCGを使える環境でないと、手を出しちゃいけない原作だったように感じました。
人体の不思議展
死体と遊ぶな子供たち(1972米)という映画を思い出しました
捨て子がジジイになって逢いにくるホラー映画という法螺
パペットショーから突然キャストが入れ替わるマジックショー
脳髄をプラスティネーションしちゃうぞ
芳根ファンです!
芳根ちゃんの演技力が、素晴らしいなと
感じらる作品でした✨!
しかし映画全体的に暗くて、おちを楽しみにしていたけど、最後も結局何が言いたかったのか、私には分かりませんでした😢
話に引き込まれなかったから、時間が長く感じました~💦
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