「日本でリメイクしたら、駄作」CUBE 一度入ったら、最後 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
日本でリメイクしたら、駄作
謎の立方体(CUBE)に閉じ込められた6人の男女。
ハッチを開けて隣室に移動しても、似たような部屋が延々と続く。
安全な部屋もあれば、殺人トラップが仕掛けられた部屋も。
ヒントのような数字、各部屋も絶えず移動。
トラップをくぐり抜け、僅かな手掛かりを頼りに、脱出を試みるが、各々の本性も露になっていく…。
斬新な設定とスリリングな展開で、低予算ながら世界中で評判となった1997年のカナダ映画『CUBE』。
見たのはもうだいぶ昔だが、ハラハラドキドキ面白かったのを覚えている。
続編だけではなく、バッタもんも量産。今や“シチュエーション・スリラー”の代名詞。
確かに面白味あり、今も尚カルト的人気を誇るほど色褪せないが、それを日本でリメイクしちゃった…。
この言い方で分かる通り、
何故今頃『CUBE』…?
そもそも何でリメイクしたん…?
本作の監督かプロデューサーはつい最近オリジナルを見て、スゲー面白い作品を見つけた! よし、日本で作ったら絶対ヒットする!…と、今頃マイブームが来たのかなぁ…?
オリジナルのヴィンチェンゾ・ナタリ監督がクリエイティブ・アドバイザーとして参加。その昔ハリウッドでもリメイクの企画があったらしいが、ハリウッド・リメイクには興味無く、今回の日本リメイクには関心あったとか。
言わばオリジナル公認のリメイクな訳だが、そんなのリップサービスでしょ。
だって、この出来を見たら…。
もう挙げ出したらキリないけど、まず初っぱなから。
オリジナルのような異空間さ、異質さ、不気味さ、不穏さが皆無。
一生懸命セットで再現しました~的な。作り物感丸出し。
よって、生か死かのスリリングなサバイバル感もナシ。作り与えられたようなゲーム感覚。
スリリングさがビミョーなのは、日本映画特有の要素のせいでもある。
ベタな主人公の過去のトラウマ、悲壮感や泣かせ展開。
それって、絶対必要不可欠?
日本独自のアレンジで、作り手はそれらを描く事によって、ドラマ性やキャラ像などの深みが増したと思っているのだろうけど、見当違い。
別にそれが巧みな物語性だったらいいものの、そうでもない。明らかに本編とは関係ナシ、取って付けたような違和感。
登場キャラの過去やトラウマはあってもいい。が、こういうシチュエーション・スリラーにおいて、それらは簡潔でいいのだ。本作は何度も何度も執拗に挟み、しつこい。
日本独自のアレンジ要素で新味を出したつもりが、却って作品や物語展開を失速させてしまっている。
6人のキャラ性格もステレオタイプ。
トラウマ抱えているが、ご都合主義な役回りで数学に滅法強く、脱出に糸口を見つけ出していく主人公。
クールだが、リーダーシップある男。
一見人懐っこいが、裏の顔は?…な青年。
周囲に心を閉ざす少年。
うるさく、偉そうな中年。
謎めいた美女…。
特色あるキャラはおらず、お決まりのような役設定、立ち位置。誰が死に、誰が生き残るかも大体見当付く。
彼らが分かり切ったように動くのだから、人間関係の緊迫さも台本通りのよう。
異常な限定空間に閉じ込められた者たち。本来なら、もっとえげつない修羅場があってもいい筈だ。
豪華キャストの無駄遣い。柄本時生に至っては、究極の使い方!
それでも唯一怪演見せてくれたのは、岡田将生。本性を現してからは場をさらった。
悪くなかったのはそれくらいで、後は…。
先日の米アカデミー賞で、『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞に輝いて、日本映画の底力を見せつけてくれたが、本作は日本映画の典型例なダメダメ部分を見た気がする。
演出、演技、脚本…。そもそもの発案。
何がこうも違う?
明白。
監督、スタッフ、キャストの本気度。作ろうとする意義。作り届けたいメッセージ…。
それらを本作から全く感じなかった。
海外の名作を使って、人気俳優を揃えて、話題性だけでヒットを狙ったような安っぽい失敗作。
家でDVDで見たが、これを映画館という限定空間で見たら、退屈とガッカリとの“ある意味”サバイバルだったであろう。
も一つ話題の為だけの、星野源による主題歌。オリジナルをネタにしたようなこの歌、何なの…?
最後の最後に正体が分かる杏。
“杏ドロイド”って事…?