「【”哀しき狼たち。” 様々な暴力の在り方、加害者意識と被害者意識、そして真の民主主義とは何であるかを考えさせられる重き作品。】」狼をさがして NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”哀しき狼たち。” 様々な暴力の在り方、加害者意識と被害者意識、そして真の民主主義とは何であるかを考えさせられる重き作品。】
ー 年代的に、”三菱重工本社ビル爆破事件”はリアルタイムでは認知していなかった。
私がこの事件及び、「東アジア反日武装戦線」の存在を知ったのは、事件後可なり後年、学び舎で”法治国家において、超法規的措置をどう考えるか”と言うテーマで討論していた際である。ー
◆鑑賞スタンス
・”テロはどのような大義があろうとも、許されない。”という当たり前のスタンスで鑑賞。
であるので、”三菱重工本社ビル爆破事件”後に「東アジア反日武装戦線」から出された声明文には、激しい嫌悪感を催した。
何ら罪のない、8名の命を奪われた人と385人の重軽傷者に対して、”彼らは、日本帝國中枢に寄生し・・”と言うコメントは許し難かった。
・だが、その後、大道寺将司の慚愧に堪えない想いが、俳句としてナレーションされる辺りから、やや観方が変わった。
被害者の方々や遺族の方々への、深い謝罪の言葉。
自らの行為への深い悔いを現した俳句の数々。
ー 日本が犯した過ちに対して、別の方法を考えつかなかったのだろうか・・。
”若気の至り”ではすまないだろう・・。ー
・”近隣の国々”の日本への被害者意識を、今一度キチンと理解する事。
”日本を支援していると標榜している国”への被害者意識を忘れない事。
そして、且つて行ってしまった事に対する加害者意識を忘れない事。
但し、「東アジア反日武装戦線」が行ってしまった”誤った加害者意識”による行為に走らない事。
◆京都大学教授の言葉は、ズシンと来た。
・本当に大きな”暴力”とは、官僚主義による”暴力”であったり、司法当局による”暴力”である・・。
ー 再後半、映し出された故、大道寺将司宛てに送られていた膨大なハガキ、封書が段ボールに積まれているシーン。
そして、彼にはその膨大な支援の声が届けられていなかったという事。
学生時代に叩きこまれた
”如何なる人物にも人権はあり、その人物が犯した過ちを裁く際には、人権を尊重した上で適正な法の裁きを下す。”
と言う司法の根底を揺るがすシーンであった。
更に言えば、当時あのような事件を起こした首謀者に対し、擁護する者もいた、と言う事実も明確になったシーンでもある。ー
<この国は、民主主義を標榜しているが、真の民主主義が機能しているのだろうか。
真の民主主義が遂行される国になるには、私を含めた一人ひとりの国民の日々の意識を変える事の大切さ、
”現状を是とせず、カントリージェントルマンの如く、行政府の行いをきちんと確認する事”
を、今一度思い起こさせてくれた作品であった。
そして、今後この国を背負っていく若者たちに、
”今の日本は、オカシクナイカ?”と言う意識を持ってもらう必要性と、時には諭す必要性(不惑を越えたら、そういう事をしなければいけないでしょう、微力だけれど・・。)を感じた映画でもあった。
・嬉しかった事 今作を鑑賞していた観客の半分程度がお若い方であった事である。
<2021年6月13日 刈谷日劇にて鑑賞>
あ、書き忘れた。
ですので「俗称・ゆとり教育」で削減された「教科時数」の分は「教科外時間扱い」の「総合的な学習」に内包されます。
元々、道徳は「教科」ではなく「領域」という扱いでした。
ですから教科時数が削減されても道徳に影響はないんです。
「道徳」の時数が削られた分、「総合的な学習」が誕生し、道徳は総合や各教科にて、教科の枠を越えて縦断的、横断的に扱う、って事でしたので、実質の道徳や倫理教育時間は増えていたのです。
お仕着せの「これが正しい事なんですよ!」なんて強制的な従来の道徳教育は心を揺さぶりません。
総合的学習は、いわばハーバード白熱教室の「これからの正義の話」のように、生きた道徳・哲学に子供達を触れさせる事が可能だったんです。(とはいえ、教員の資質に左右され過ぎました。時代が早過ぎたのかもしれませんね。)
こんばんは〜♪
「監獄に繋がれた男」は大道寺氏よりも、カミュ異邦人のムルソーが浮かんだpipiですw
あんまり往復書簡繰り返すと、NOBUさんがまた仲良しレビュアーさんに叱られたら困るからアッサリと(笑)
「ゆとり教育」なるものは、本当は存在していないのです。
あれの本質は、暗記主体の学習で評価する体制の変革。思考力育成重視の教育法確立でした。
学習塾のマーケティングで「円周率を3にしたら学力低下する」という話題に、日本中が踊らされましたけど、それはTVで「納豆が健康に良い」と報道したら、翌日のスーパーから納豆が姿を消すのと同じ。
これまた本質は「円周率をπとするならば、3とするのも同じ」って事なんです。
πでもxでも□でも、任意の記号とするなら3でも同じじゃないですか。数字だって「記号」に過ぎないんですから。
だから、ただの四則計算のトレーニングに貴重な時間を費やすのではなく
「学問の本質部分について思考する為の学習時間を確保しよう」というのが、あの時の文科省指導要領改訂の本質なんです。
それを理解出来ない大多数の一般教員達と、資本主義経済の原則で動くビジネスの奴らによって「ゆとり教育」という、ありもしない幻影が生まれただけなんです。
今、ようやく「クリティカルシンキング」とか「PISA対応学力」とか騒いでますけど、これこそが「ゆとり教育」と侮蔑された教育方針が「本当にやろうとしていた事」なんですよ。
世間の理解を得て、僅かでも形になり始めるには、20年以上もの年月がかかるのだなぁ、、、と。
無常とか諦念とか厭世観とか、思いは千々に乱れますねぇ、ゆとり教育と聞くと、、、。
ハッ!どこがアッサリだ?
ごめんなさい〜(苦笑)
労組との会議準備お疲れ様です〜。
私も春闘やら団交前は、水面下でも水面上でも事前交渉でwin-winの落とし所を見つけておくのが当然だと思っておりましたからw
真の敵というか最も厄介なのは、総会にて実現不可能な理想を振りかざす共産党連中でありましたよ(苦笑)
論理的思考や説得の通じない極左理想主義者達を調伏するのが、1番大変な仕事でありました(爆)
触れなば切らん!も好きですが、触れなば落ちん、の風情はもっと好きですw
(あ〜く〜じょ〜になぁるなら月夜はおよしよw)
コメント頂き、ふと思いました。無罪推定の原則を、子供達が小さい頃から、自然に当たり前に教えていけば、世の中の争いの数%は減らせるかもしれませんね・・・。
現実の法廷や、検察の事情聴取では、処罰感情が優先されているケースも少なからずあると確信しています。
私自身の根っこは中道右派であろう、と割と子供の頃から思っていました。
小学生の頃から大所高所とほざき(完全なプロレタリアート階級のクセしてw)大学のパンキョー憲法の論述テスト「9条は合憲か?違憲か?」では、思いっきり左派の教授に対し「合憲」と書く反骨者でした。
ただ就職して3年目に労組役員の話を頂いたんです。それで「自分は彼らの事を外側のイメージでしか知らない。だから一度内部に入って、一からじっくり教えて貰おう。その上で「やはり合わない、彼らが間違っている」と思えば、自分が獅子身中の虫となれば良い事」と考え、拝命しました。
それから10年ほど労組活動の最前線に身を置き、広島平和行進や反核デモを多数経験しています。旧社会党&社民党&民主党のお手伝いもして永田町も随分と行きました。先輩諸氏には元青ヘルやら白ヘルやら色々いましたから生の話を色々と聞きました。
(赤はほとんどいなかったです。)
私は主に人権問題と教育問題をメインにやっていたので、デリケートなイデオロギー関連にはオブザーブ気分でいられましたけれどね。韓流ブームなるものの到来以前に、日系3世達がどれだけ理不尽で不当な境遇に晒されていたかを目の当たりにしてきたので、アジア問題関連にはセンシティブかもしれません。書記長職を断れそうにない状況になり「産休に入る」という奥の手で逃げましたw
今でも自分の思考は保守寄りだとは思うのですが、新聞はまず朝日から読んでしまいます(笑)
右左ではなく、中庸を貫きたいと思う毎日ですw
NOBUさんのレビュー、とっても楽しみにお待ちしてました〜w
もしや、もしや、
NOBUさんは法学部のご出身でありましたか?
「真の民主主義」、本当に本当に難しいです。
右や左や資本家や労働者の思想対立で語るイデオロギーの時代は終焉を迎えたと思いますが、
「民主主義」の前提には、どうしても「構成員の、特定範囲の同質性」を必要とします。
アメリカ独立戦争や明治維新などの近代革命が勝ち取った議会制民主主義は「理性や教養を持つ市民」と認定された選民による制限選挙だったわけだけれど・・・。
例えば映画comの星評定も一つの民主主義。ここに「理性や教養を持つ構成員」というふるいを設けたなら、それは真の民主主義ではなくなってしまう。
かと言って、あらゆるすべての評価を無条件に信じるのは衆愚政治に等しい・・・。
NOBUさんの仰るように
「(構成員)1人1人の日々の意識を変えること」が、遠回りなようでいて、実は1番の近道なのでしょうね。
映画って、短い時間の中に非常に多くの「擬似体験」が凝縮されていますから、意識変革のヒントが宝石のように散りばめられていますね。
そして、優れたレビュアー様達の言葉は、また新たな宝石を発見する為の手がかりとなる・・・
NOBUさん達と知り合えて、映画を観る楽しみが何乗にも膨らみました。いつも感謝しています。
これからも宜しくお願い致します^ ^