AGANAI 地下鉄サリン事件と私のレビュー・感想・評価
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観ていて気分が悪い
まず双方(特に監督の方)が滑舌が悪く全体的な字幕が欲しいです。
チラシで気になり観に行きましたが、一度だけ見た予告で感じた嫌な予感が的中しました。
個人的にドキュメンタリーという作品は何かを否定的に捉えたくても撮り手(監督は)出来うる限りフラットであるべき、もしくは完全に私的なものであるならば終始一貫してその視点で撮るべきと思うのですが、この作品は被害者という立場から加害者(と決めつけた相手)を一方的に叩いているように感じるので見ていて本当に気分が悪いです。
こういう言い方をすると被害者叩きと言われそうですが、発言権という点では被害者は圧倒的に加害者よりも優位にあり、その立場に甘んじていると感じました。
相手は現在はアレフ広報担当とはいえ事件当時は出家して本格的に団体と関わりだしてから10ヶ月だったと本編内でも語られるのですが、つまり今回話をしている相手は一連の事件には関与していない(捕まっても無ければ事情聴取すらされたか分かりません。本編の感じだと本当にいち信徒だっただけという感じです)テロを起こした人物の経典を未だに信仰している、というだけの人物です。
個人的にはこの人が本人の自発的な感情の発露以外で謝罪することに何の意味も無いと思いますし、もっと言えばこの人個人(広報担当としてではなく)には謝罪や罪悪感を強要される立場にはないのではと思います。
「自分はあなた(の所属する団体)に酷い目に合わされたので、あなたにどんな態度を取るのも自由だ」というような雰囲気が発言の端々から感じられるのです。
他の方も上げられていますが、わざわざ監督自身の両親まで呼び出して3:1で囲んで「(僕に)何かいうことがあるんじゃないんですか」と謝罪の言葉を強要したり、メトロで献花させ(これも監督・広報担当どちらがやる(しろ)と言い出した事なのかは不明)マスコミに自分がしたような質問をさせた挙句に「はっきり謝ったらどう」というような上からの物言いでまたもや謝罪の強要をするなど、監督自身が被害者であるという悪い面が前面に押し出され、私情・私的な恨みの感情が強すぎて本当に見てて気分が悪かったです。
私などには想像すら及ばない苦しみに遭われた事は理解しますが、映画として切り取られた時作品の質を落としてしまうものでした。
特にマスコミに囲ませてる場面では、その前のシーンで自分の結婚相手が人に見られるの嫌?だから友達呼べなかった、晒し者になるのが嫌だったというような事を言っていた(字幕がなく滑舌も悪いので聞き間違いかもわかりませんが)のに、それを相手にやっているのは単に嫌がらせか復讐でしかなく無い?と思ってしまいました。
それをやるならば実行犯である人物に対してであり、それが叶わないため代わりに自分の手の届く範囲で殴りやすい相手を殴りに行ったという印象で見終えました。
被害者という「強者」と加害者という「弱者」
オウムの現役信者を映画に出演させ、今の想いを吐露させた、という意味での価値は感じるが、どうも観ていて気持ちのいい映画ではない。
鑑賞の最中、監督(サリン事件被害者)の、荒木氏に対する言葉、強要がどうしても気になる、というか不快だった。
荒木氏本人は、謝罪の意志はないにもかかわらず、そして監督自身もそれは分かっているだろうにもかかわらず、何度も何回も、しつこく謝罪を強要する。
挙句には自分の親まで連れて来て、謝罪せよ、と言外に強要する(あれは完全にリンチやわ)。
二人の出身である関西を旅するのだが、京都大学はもちろんわかるが、その他の場所は、なぜそこへ行く必要があったのか、何のための目的地なのかははっきりせず、もやもやする。
また、最後の方の(おそらく京都と思われる川沿い)でのインタビューは、延々と質問が同じことの繰り返しのように聞こえて、段々眠くなってしまった(周りの人の足音くらいはカットしといてほしい)。
にもかかわらず、一方で非常に重要であろうと思われる、荒木氏が実家に帰るシーンは全く撮られていない。
監督が荒木氏に対して、「僕の気持ちが分かると思うので、ご両親に会ってください」と言うのであれば、荒木氏の家族を映画に収める必要はなくても、荒木氏が確実に実家に入っていくまでのシーンは撮るべきだろう。
映画を観た後、監督のインタビュー記事を読んだ。
「謝罪を強要したのではなく、荒木氏にオウム真理教を辞めてほしかった」と述べられていた。
なるほど、確かに荒木氏は今でも麻原への信仰をやめていない。
麻原があの大事件の首謀者である事も認めようとしない(弟子たちが勝手にやったと思っている節がある)。
荒木氏にとって謝る事は、麻原が犯罪を犯したと認める事。
しかし、認めると彼自身のアイデンティティーが失われてしまう。それを恐れて、荒木氏は頑として認めないのだろう。
ある意味純粋。でも、それ以上に哀れ。そう、荒木氏は哀れとしか思えない。
監督の母親が、「まだ信じたはんのんやなぁ。かわいそうに」と言ったようだが、まさにその通りだ。
しかし、それならそれで、監督も、もっと上手くアプローチできたんとちゃうかなぁ。
自分やったら、こう言うなぁ...
「あなた、麻原を信じてる、彼があの事件を起こしたかどうかは分からない、と言う。
でももし無実なら、なぜサティアンの中で隠し部屋に逃げ込んでいたのか? 無実なら堂々としていて、逃げ込む必要なんかなかったでしょう?
しかも、警察に見つかった時、小便漏らしてましたよね? そんなもんなんですか、教祖たるものが?」
と、荒木氏が崇拝する麻原の欠点を徹底的に突いて、
「麻原なんて、ただの詐欺師」
という事実を突きつけてやればよかったのだ。
しかし一方で、荒木氏の弱さ故、謝罪=彼の自滅、死。つまり自殺までしてしまいかねない危うさも感じた。
興味深いという意味で面白い映画ではあったが、被害者という「強者」と加害者という「弱者」の『見世物ムービー』的な印象。
万が一、テレビで放送することがあった時、観るかなぁ~。非常に微妙なところである。
欲があるかないか 信仰宗教の生活と憎み続ける生活
この作品初めチラシを見て、
地下鉄サリン事件の被害者と被疑者達の信仰現信者広報者との旅
と言う情報だけで観に行きました
1つ思ったことは被害者の監督でもある彼、それはそれはサリンのおかげで大変な苦しい思いをして生きてきたと思います
親にも助けてもらって今までがあると思います
それならばもっと敵を知り、己を知るが必要ではないかと思いました
信仰とは信じる生き方の生活
ヨガ ヨギーニは4500年前からある生き方
煩悩を経ちきる本来のヒトの道 生き方
その生き方をやめるやめないって話は簡単なことではない
それが彼の影響受けた教祖と事件後に報道や裁判で知ったテロリストの麻原氏とは人は同じでも明らかに別人物
だからこそ今なおブッタの道にいて修行し生きている
それをなぜやめないってのはあまりにも宗教の宗と言うものを知らなすぎ
もっと信仰宗教と言う歴史のある生き方を勉強してからアラキサンと話をして欲しかった
ただ恨むだけではなく
果たして監督 被害者でもある彼はアラキサンに何を求めていたのか?
自分が悪かったと涙して土下座して欲しかったのか?
とにかくラストまで謝罪知ろって言う圧が凄く息苦しかった
途中何度もアラキサンの大事な思い出話をしているのに途中で話をわって入ったり挙げ句の果てには寝ていたり
それは果たして本当にサリンの後遺症の症状なんでしょうか?
ラストには追悼の日に合わせたのか
報道陣が囲む地下鉄へ花束をさせに行ったりインタビューをさせたり先導し演出してるようにしか思いませんでした
インタビュー中 謝りなよ っと隣から
本当にビックリしました
これこそ洗脳 マインドコントロールって言うのだと思いました
もちろんオウム真理教が取った行動で悲しい思い辛い状況になった人はたくさんいて間違いないのですが
どちらが本当の被害者なのかわからなくなりました
欲があるかないか
それによって
信仰宗教の生活がある人間と
サリン事件から憎しみ続け謝罪を求め続ける人間の生活
の映画
と言うのが率直なこの映画の感想です
ちなみに私は無宗教
出家しようとは200%思いませんが
オウム真理教の新興していること調べたくなりました
しかし
初めてこう言う形でアラキサンや教団の内部を見せてもらえたのは間違いなくて被害者であった監督のおかげだと思います
それは評価大だと思います
いまだ真正面から謝罪ができないことの重み
渋谷シアターイメージフォーラムにて鑑賞。
同日同じ映画館で上映中のロシア映画DAUを見ようかと思っていたが、ふと気が変わり本作を見ることに。オウム関連では森達也監督のAやA2も以前に見たが、本作はまた違った趣向。
監督と荒木氏との対話を通じ、荒木氏が被害者への思いを時折絞り出し逡巡しながらも結局麻原彰晃のマインドコントロールから逃れられていないことが浮き彫りになる。
麻原の責任の所在がどのくらいであったかはもう今となっては正確に確かめられない一方、確かでないからといって、麻原を未だ信奉するアレフという教団の広報担当として謝罪責任を果たさなくて良いかというとそれは違うのでは無いかと感じた。麻原にまつわる真実がどうであれ、サリン事件に何らか関与があった以上、アレフの道義的責任は免れないのではないか。
特に印象深かったのは2点。荒木氏の出家は94年だったが、95年のサリン後の96年であっても出家しただろうか?という監督の問いに、出家しなかったのではと荒木氏が答えたこと。もう一点は荒木氏が、アレフを抜きにするとごく善良な人であることが全編通じて感じられたこと。「およそ師を誤ることほど不幸なことはない」という林泰男被告への判決文は荒木氏にも当てはまるのではないか。
見終わった後非常にモヤモヤする映画だが、そういう映画こそ見るに値するものだと思う。
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