「アオリというよりストーカー」アオラレ ぽったさんの映画レビュー(感想・評価)
アオリというよりストーカー
ハリウッドの脚本術といったような本がしばしば見受けられるが、この映画はそうした脚本術が透けて見えるようなストーリーだ。
やや唐突に子供とゲームの話をするので、これは伏線かと思っていたらやはりそうだし、あちこち逃げればいいのにわざわざ実家に籠って戦おうとするなど、不自然な流れが目につく。悪漢にとどめを刺すところは強気なセリフ「これがあんたへの礼儀だ」と言うし、全てが終わって、最後にまたも似たような出来事が起きると、同じ過ちを繰り返さぬよう手を止める。すると息子が「グッドチョイス」という。これもよくあるパターンである。
だらしないところのある女が反省するきっかけになった出来事でした、という教訓を得るには大事件でした。
事件が起こるまでの会話は気が利いているし、渋滞に巻き込まれ遅刻しそうだというイライラもよく伝わってくる。テーマは面白いのに、その後の展開が不自然すぎて残念。犯人は、もっと平凡な男がクルマに乗ると狂うというようにしたほうがよかった。だがその心理的なプロセスは複雑微妙なものであり、外見的な行動を描写する映画は、複雑な心理を見せるのが得意ではない。だから最初からわかりやすい悪にしておかなければならなかった。これではクルマのトラブルが原因というより、異常者とのトラブルになってしまっている。
ただその男が、ここまで執拗に女を追いかけ回すのに、もっと理由が欲しい。異常だから何をやってもいいわけではない。異常者には異常者なりの理屈がある。
男は行き当たりばったりでイカレているはずなのに、ケータイを仕込んで連絡したり、タブレットを座席の下に隠して追跡したり、先を読む知性があり計画的である。女に謝らせるためにやっているんだと言いたいのか?クスリを頻繁に飲んでいる演出も言い訳っぽい。この男は脚本術のために動いているようにしか見えない。