「二人と一羽のマッチョ」クライ・マッチョ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
二人と一羽のマッチョ
クリント・イーストウッド監督はどちらかといえば好きではない。しかし、人生を悔いるジイサンの終活系作品は好きだ。具体的には「グラン・トリノ」「運び屋」そして本作だ。
細かい形は違えど人生の終わりに何かをなそうとするという意味では同じような作品だ。
そしてこれら作品の中でイーストウッドが演じた役柄にはイーストウッド本人の影がチラつく。
イーストウッド本人から始まって本作を含めたいくつかの作品が一本に繋がった大作のようにも感じる。
お隣と異文化交流をし、クスリの運び屋をして、知人の息子をメキシコまでさらいに行く。未来を守り、過去を悔いて、そして今回は、未来に伝えようとした。
自分の持っているものを伝え残し育む。過去作に出てくるような悔いの残った男を新たに作らないために若者に人生を説く。
物語としては、むかしマッチョだった男と、マッチョになりたい男と、今まさにマッチョな男(ニワトリ)のロードムービーのような交流だ。
マイクとラファの関係性、距離感が近付いていく様子が丁寧で、お互いがお互いに歩み寄るパートがちゃんとあるのもいい。
それが次第に親子のように、食堂のマルタも巻き込んで家族のようになっていく様子は傑作の風格さえある。
暴れ馬をなだめるシーンではそれが最高潮に達する。どうやったのかと問うラファに対して「一緒にやったんだ」と返した瞬間はちょっと涙ぐんでしまった。
マッチョとは、一人で強く生きられることではなく、誰かと寄り添い支え合える者のことかもしれない。少なくともマイクはそう考えたように思える。盗みをしながら闘鶏場に一人で生きることでは決してないのだ。